第6話
Pandarin本社ビルの暗い機密会議室で、やゆはひたすら時を数えていた。
あの地球の黒人女性、アキニが言ったことの意味は?
定刻。個別交渉が終了の時間となった。
Pandarin社は十分な取引をまとめることができたのだろうか。あまり気にしている余裕は無かった。室内が静かになり、会議室正面に据えられた大型モニターに再びアリアナ・キャラハンが映る。
「皆さま。今回も有意義な取引ができました。感謝いたします。それでは我々国連通商代表団は、ここで会議から退出いたします。次の会議に回線をつなぎます。少々お待ちください」
2秒ほどの沈黙ののち、画面には眼鏡をかけた、太った黒人男性の顔が映る。
「国連人権高等弁務官のティモー・ニールセンです」
この男の風貌と肩書は、やゆたち第一世界人にとって畏怖そのものだった。
まず黒人という人種が第一世界にはいない。
そして肥満している。
第一世界で肥満しているのは、まともな食事を得られない最下層民の一部だけだ。
余裕をもって肥満できるほど食事を得られるのは中級以上の市民だけだし、その間でも好ましくないこととされていた。
最下層民が毎日飢えて死んでいるのに、飽食を楽しむのはさすがに下品であるとの理屈である。
ティモー・ニールセンは肥満していて、かつ地球の要職についている。
しかも彼は上級市民ですらない。その事実が地球の圧倒的な豊かさを見せつけてくるのだ。
そして肩書。
人権。
それは第一世界が地球に接して、はじめて遭遇した概念だった。
最重要機密として扱われており、知るのは各ハケン企業の首脳部と、Pandarin社の運営スタッフのみである。
地球から打ち込まれた危険な楔だった。
「第一世界代表団の岩梨ルーカスです」
Pandarin社の社長が引き続き代表として挨拶する。
「さて、さっそくですが」
友好的に微笑むティモー・ニールセン。
「今回いただいた、みなさまの世界の人権状況改善レポートですが、まったく満足のいくものではございませんでした」
室内が凍り付く。
地球の慣用句で表現するなら、ヘビに睨まれたカエルそのものだった。
「残念ですが、皆様には破滅的なほどの身分差社会を改善するおつもりがないようだ。我々の求める選挙実施への動きも無い。このままですと、我々は通商代表団に取引の停止勧告を出すことになります」
「お、お待ちください!!」
必死で叫ぶ岩梨ルーカス。
「我々は下級市民への電力配分を見直しました。ハールタニナの人口は前回比で200名増加し」
「人口の増加は、ただ単に人口が増えたと言うだけであり、経済状況や生活水準の上昇の指標足り得ません」
「他にもツラツラ病に対する予防接種を無料で実施し」
「岩梨さん。我々はそろそろ、うんざりしているのです」
ティモー・ニールセンの顔には、わずかの笑みもなかった。
頭から汗を流した岩梨ルーカスが、やゆを見る。
土壇場で中級市民のスタッフを頼るか。くそが。
しかし、仕方がなかった。地球との交信が途絶えれば、損失な莫大だ。
優先交渉権を他の企業に奪われるだけで、Pandarin社は傾きかねない。
「ニールセンさん。運営スタッフの平紗やゆです。発言をご許可願えますか?」
「どうぞ」
室内がかすかにどよめく。やゆは無視した。
「こちらはつい先日録画された、パワーネットの街頭モニター周辺の様子です。右側はその瞬間に流れていた、配信内容です」
やゆは準備しておいた動画を流した。
画面右には、やゆたち三人のジャンケン配信の様子が、画面左には最下層民たちの姿が映っていた。中には興奮して拳を振る者も多い。ここねが扮する愛媛マロが勝利すると、歓喜の波が広がる。
「これはなんですか?」
「我ら第一世界では、あらゆる社会階層の人間に対して、無料で楽しめる娯楽配信の提供を開始しました。まだ試行段階ではありますが、この画面に映っている貧しい方たちも文化を楽しめるのです。小さな一歩ですが、わたしたちも世界も歩き出しています」
「この画面に映っている人たちは?」
「最下層民です」
やゆが断言した。
また会議室がどよめいた。最下層民の存在は地球に対して伏せられていたからだ。
やゆにとってこれは賭けだった。
「そのようですね」
眼鏡を直し、さらりと流すティモー・ニールセン。
そしてわずかに微笑んだ。
安堵する、やゆ。
やはり地球人は最下層民の存在を知っていた。
そしてそれを隠す不誠実な態度が、彼らの怒りをかっていたのだ。
「地球にはパンとサーカスという警句があります」
ティモー・ニールセンが言う。
「しかしパンとサーカスすら無ければ、人間は人間らしく生きられない。
あなた方はサーカスを作った。次はパンのための麦を植える番です。
バイオテクノロジーの方面では、我々はあなた方より少し先行している。力になれるかもしれません。アリアナに伝えておきます。では、今回はここまでにしましょう」
会議室が安堵に包まれる。
終わった。
モニターが切断され、室内に明かりが灯った。
各社の代理人たちが退出するのを、やゆは頭を下げて見送った。
最後に残った岩梨ルーカス社長が、めずらしくやゆに近寄って来て肩に手を置いた。
「ご苦労だった。助かった」
「ありがとうございます」
やゆは深々と頭を下げた。
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