第3話
Pandarin社の180階会議室。
普段は役員の会議で用いられる広々とした空間で、二人の女性が向かい合っていた。
一人は黒いミディアムヘアに、大きな青いリボンを結んだ10代半ばほどの少女。
ダークブルーの瞳に白い肌。青いゴシックなドレスを纏っている。
Vtuber星宮すずりである。
対するはPandarin社の社員、平紗やゆ。
「やゆ、さん」
「はい」
「第二回配信の、社会階級別視聴率ですけれども」
「はい。上級市民は空欄のままです。申し訳ございません」
「そこは結構です」
「中級市民0.082%、下級市民0.093%に低下しました。評議会が布告を取り消したためと思われます。数にすると中級市民は700人足らず、下級市民も30,000人に満ちません」
「はぁ」
すずりはテーブルに膝をつき、ため息をついた。
「覚悟はしておりましたが、気分が明るくなる数字ではございませんわね」
「はい」
「若干ですが、中級市民より下級市民に支持されているようですわね」
「それは布告の取り消しが伝わっていなかったためと思われます。次回以降はさらに下がるかと」
またため息をつくすずり。
「今回は抵抗のない配信を心掛けたつもりでしたが。地球の遊戯も単純なものを採用しましたし」
「それですが、すずりさん。配信内容に少々問題が」
「なんですの?」
「地球のじゃんけんという遊戯は、配信ですずりさんがやったように左右の手で連続して出して遊ぶのではなく、複数の参加者が一つの手を選んで出し、その優劣を競うのがメジャーなようです」
「それは。完全な運任せでは?」
「はい。しかし遊戯には運も重要な要素であると、地球人はみなしているようです」
「そうなのかしら。難しいですわね」
「良いニュースもあります」
「なんですの?」
「街頭モニター前で配信を見る最下層民が、前回より多く確認されました」
「それは良い兆候ですわ。どれくらい増えましたか?」
「ハールタニナ全域で10人と少しです」
すずりはまた、ため息をついて、茶のカップを手に取った。
「先は長いですわね」
「我が社はVtuber事業を長期的な投資と考えております」
「そう思っていただけて幸いですわ」
役員用の椅子に深々と腰掛ける星宮すずり。
「ところで、残りの二人のメンバーの募集の件ですが」
「はい。本日お引き合わせします。と申しますか、一人は既にここに来ております」
「?」
すずりは眉を不審げによせて、やゆを見た。
「まさかと思いますが」
「はい。わたしがマネージャー兼Vtuberとしてデビューいたします」
「なぜ、あなたですの?」
「お嫌ですか?」
「そうではございませんけど」
「わたしはまだ25歳です。自分で言うのもなんですが、かなり若くも見えますし。Vtuberデビューするのに無理はありません」
「あなた個人の資質は問題ではありませんわ。
たださっきまで担当者だったあなたとユニットを組むのも、奇妙な気がして」
すずりは歯切れが悪かった。
彼女の目的は、配信の支持を最下層民まで拡大していくこと。
その意味では上級市民でない平紗やゆの参加は、むしろ望ましかった。
しかし、やゆのPandarin社内での立場が少々問題だった。
彼女の肩書は社長補佐室次席補佐員。Pandarin社の職員側ナンバー2だ。職務は多忙を極める。マネージャーを自らやっているだけでもおかしいのだ。Vtuberを兼務する時間があるのだろうか。もし倒れられでもしたら、次は誰がPandarin社内で事業を推進してくれるのか。
「すずりさん」
やゆが笑った。
「まだ始まったばかりなのに、未来の事を考えてどうします?」
「そうですわね」
すずりは大きな目をつむった。
「しかしあなたにはメリットがない提案に思えますけど?」
「ありますよ。大きなメリットが。すずりさんたちとよりお近づきになれることです」
「わたくしともう一人ですか。その方は?」
腕時計を確認するやゆ。
「時間です。いらっしゃるかと」
その時、会議室の一角がなんの前触れもなくぱっと輝いた。
光の中から少女が現れた。
年齢は8歳前後。
透白の肌に、金髪をリボンでサイドテールに結んで、反対側の頭には奇妙な形のお面をつけている。つりあがった目の色は明るい青。すずりも美しい少女だったが、それすら霞んでしまうほどだった。
黒いシャツ、ピンクのマフラーに白いジャケットを羽織り、すずりが思わず赤面するほど短いスカートをはいていた。下着が見えそうだ。
やゆは違うものを見て取っていた。
この少女が着ている洗練された衣類は、全て他の世界、おそらく地球からの輸入品だ。
そんなものを一つでも身に着けられる人間は、この第一世界にほとんどいない。
「はじめまして、やゆさん!こんにちは、すずり!」
少女が両手を上げてばんざいする。
「ここね?」
「はい。三人目のメンバーは桜影ここねさんです」
この少女から応募があったのは、やゆがVtuberのメンバーをパワーネットで公募してすぐだった。
その時点で、三人目は確定した。
落とすわけにはいかなかった。星宮すずりも上流階級中の上流階級だが、桜影ここねは格が違った
父親は世界最大のハケン企業Modius Harken連合の会長。母親は世界ナンバーワンヒーロー、スタープライム。
ここね本人も、万年に一人と言われる天才児であり、歴史上最強のサイキッカーであり、その美しさは第一世界の至宝と称えられていた。
いま室内に突然出現したのはテレポートだ。
宮殿のあるブラック・ピラミッドから一瞬でやって来たのだろう。
同じことができる者は、世界に数人だけだ。それも制限付きで。
ここねにとって、テレポート程度は小手先の技にすぎないと言われている。
「すずり。ちょっと背が伸びたね」
「ここね。あなたは変わらないですわね」
微笑むすずり。この二人は知り合いだ。どのような知り合いなのか、やゆは知らなかった。見た目は十代半ばほどのすずりと、8歳前後のここねだが、二人とも実年齢17歳で半年の差。すずりも小柄で童顔だが、ここねはひどく幼い外見をしている。
応募と同時に送信されてきた履歴情報によると、医学的な検査を受けたこともあるようだが、原因はわかっていなかった。
「あなたが三人目ですの?」
「うん。応募したらすぐに合格通知がきたよ」
すずりはジト目でやゆを見た。
「いえ、彼女を含めることは様々なメリットがあるのですよ。何よりこの世界のどんな人間であれ、我々の活動を阻むことが難しくなります。権力においても、暴力においてもです」
そこまで話したところで、会議室の扉がノックされ、やゆの個人秘書がティーセットを運んできた。ところで、ここねを直視して固まってしまった。
お盆が手から零れ落ちる。しかし床に転がろうとした直前で、宙に固定された。
時間が巻き戻されたかのように、秘書の手にティーセットが納まる。
ここねのテレキネシスか。もしくは本当に時間を巻き戻したのかもしれない。
秘書はなんとか平静に戻り、お茶を出して退出した。取り乱すような者であれば、秘書は任せられない。
「権力に暴力ですか」
すずりが口を開く。
「はい」
「え? オレなんか戦うとか期待されてる?」
気まずそうなここね。
「お嫌ですか?」
「えっと、オレぇ、そういうの、ぼーりょくとか苦手でぇ。ソフィーアも怒るし。パパにもだめって言われてるし」
その顔を見て、自分の失敗に気づく、やゆ。
ここねほどの上級市民となると、事前情報はあまり手に入らない。
最強のサイキッカーという評判だけで即決採用してしまったが、もしや彼女は。
「やゆさん。ここねは羽虫一匹も殺せないような子ですのよ。
それから娘が参加しているからと言って、彼女の御両親がこの事業を保護する見込みもほとんどございませんわ」
やゆはため息をついた。
「だめですか」
「だめですわね」
上級市民の家庭事情は、やゆにはわかりかねた。
どのみち、ここねを採用しないという選択肢は無かったのだ。気を取り直す。
「とにかく、ここねさんは立っているだけでも強力な客引きになります。我々のデビュー日を決めましょう」
「あ、あの、そのことなんだけど」
ここねがまた気まずそうに目を泳がせる。
「なんですか」
「おれ、配信の時はこのお面をかぶりたいんだけど」
「は?」
思わず身分差を忘れてしまう、やゆ。
「配信時に顔を隠す?」
「うん」
「配信なんですよ」
「う、うん」
「なぜ」
「えっと、オレ、あんまり見た目でどうこう言われるのが好きじゃなくて」
ため息の絶えない会議室だ。そう思いながら頭を垂れる、やゆ。
しかし自分にこの少女に何か強要する力などないのだ。
与えられた手札でなんとかするしかない。人生とはそういうものだ。地球の犬とかいう動物がそう言ったらしい。
「わかりました。ここねさんはお面でデビューですね。一人ずつ初配信をする予定でしたが、二人同時に変更します」
「ごめんね。たぶん視聴率はもっと下がるけど」
ここねは理由を尋ねずに謝った。
顔を隠した上級市民が単独デビューすることの無意味さは、理解しているようだ。
箱入り娘のくせに庶民の感情をわかっている。
それに資料を見せていないのに、現在の視聴率が低いことを見抜き、さらに下がるだろうことを予測した。
さすが見た目だけではない。
「それでは本日はこれで解散ということで。デビュー配信の内容はbizcordで話し合いましょう」
すずりが締めくくった。
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少女たちはそれぞれの方法で、帰って行った。
平紗やゆはオフィスに戻り、重厚なブラインドを開けた。
見慣れた赤い空。赤い太陽。
地球の空は青く、太陽は小さく、大地は緑に覆われていると聞く。
古代人の言う神とやらがいるのなら、なぜ地球にばかり多くを授けたのか。
やゆは僅かな妬みを覚えた。
桜影ここねも同じだ。スーパーパワー、美、知性、金、権力。彼女は全てを一人で持って生れて来た。
彼女が持っていないものといえば。
コーヒーメイカーからコーヒーをそそぐ。
これ一杯で、最下層民数人の命くらいの価値はある。もっとかもしれない。
最下層民から見れば、ハケン企業の上級スタッフは雲の上の人間だ。
そんな自分もいつリサイクル槽に消えるかわからない立場にある。
世界は悪夢だ。だが生きないわけにはいかない。
梓差やゆは、新しく回付されてきた書類をめくった。
第61回通商会議について。
表紙にはそう書かれていた。
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