第3話 父と母の話
続いて小学校の記憶――に入る前に、私の家族の詳細について話しておこう。
私の人生を語るならば、一番大きく影響を与えた家族の話は避けて通れないと思う。
まず父の話。
小さい頃の父は厳しくて怖かった記憶がある。
今は禁煙しているが、当時はヘビースモーカーで常にタバコを吸っており、煙たくて近寄りがたい雰囲気だった。私はこの記憶からタバコの匂いが今でも嫌いである。
父のしつけは厳しく、子供が悪いことをすれば冬の夜中、吹雪の中でもパジャマのまま玄関の外に放り出された。
たまに子供に近づいてきたときは、何故かくすぐってきたりヒゲでジョリジョリしてきたりと、父としてはじゃれついてるつもりなのだろうが、子供にとっては攻撃と受け取られてもおかしくない、不快極まりない行為であった。
さらに布団で眠っていると、突然布団の中に閉じ込められ、上からのしかかってくるので酸欠になったことがある。ちなみに父はスモウレスラー並みの体格である。子供からしたら死活問題だ。
何度かこういったことが続いたが、父はおそらく自分の力の強さで子供を壊すことに気付いていなかったように思う。
このとき手に持っていた祖母の形見のネックレスが抵抗の末にちぎれてビーズがばらばらになったあたりでようやくやめてくれた。
余談であるが、父方も母方も既に祖父母は亡くなっている。どちらの祖父母も孫を大切に扱ってくれたので、それだけが救いだった。私がおばあちゃん子になったのもそれが影響している。
今となっては父も丸くなり、じゃれついたりしつけの一環としてやっていたことだと理解しているので私は根に持ってはいないが、毎日わりと命がけだったので今でも父が近づいてくると身構えてしまうのはまあ自業自得だよね。
私には当時の父は力の加減を知らない怪物に見えていたのだから。
次は母の話。
母も母で厳しく、怖い両親だった記憶が根強い。
まず、子供を褒めて伸ばすタイプではない。母親の絵を描いても大した反応は得られなかったし、小学校に上がって以降はテストで九十九点をとっても「なんでこの一点が取れなかったの?」と問い詰めてくるタイプの完璧主義な教育ママであった。
かなり気が強く、結婚する前、父とデートしているときに父が不良に絡まれたら傘で応戦したという話を聞いた。
しつけは父より更に厳しく、「どうしてこんな問題も解けないの?」「アンタって本当に単純だね」と言葉責めしながら勉強を教えてくれる。
私は母に褒められることもなく、毎日泣きながら勉強をしていた。
また、この家のお小遣い事情も母が握っているのだが、他の家では採用されていない特殊なお小遣い制度を設けている。
それは「テストで満点を取ったらその点数分お小遣いを渡す」というもの。
簡単に言うと百点満点を取ったら百円がもらえる仕組みである。ただし、九十九点では何も貰えない。仮に百点満点を取ったとして、百円ではお菓子を買っただけで消えてしまうだろう。それに小中学校ならまだしも、高校に上がったらそうそう満点なんて取れなくなる。最初からお小遣いを渡す気などないのだ。
お小遣い以上のものがほしいときは母にねだるしかないのだが、まず教育関連以外では首を縦に振らない。ゲームや漫画などもってのほか。
こんなお小遣い制度だから、友達と遊びに行くこともできず、ひたすら家にこもって勉強させられるか、絵を描くくらいしか時間の潰し方がなかった。
母は私が絵を描くのも気に入らないようで、それすらも取り上げようとしたが、それだけはなんとか死守した。
さて、こんな両親に育てられて、子供がどんなふうに歪んでいったか、是非この半生記を読んでいってほしい。
次回は兄弟の話をしようと思う。
〈続く〉
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