狼の牙

第50話 ハードな新生活

「さーみんな、楽しいお勉強の時間ですよ~」

『え~っ!!』

「えーっじゃなくてちゃんとやるの~っ!!」 


 新しい孤児院に元気な声がこだまする。

 子供たちのブーイングの中で頑張っているのは最近ウィンターブルームの町から王都へきた少女、アンナマリー・ハートウィスパーだ。

 彼女はいま孤児たちに文字の読み書きを教える仕事をしていた。

 もちろんエリオットの勧誘かんゆうによるものだ。


 孤児院を経営するためにやらなければいけないことは山積みのエリオットであったが、まず始めたことは『子供たちの教育』だった。

 知の基礎となる読み・書き・算数ができなければ将来、単純作業の肉体労働しかできない人間になってしまう。


『労働契約書が読めません。自分の名前も書けません』

 なんていう人間ではどんなひどい労働条件で搾取さくしゅされるか分かったもんじゃない。


 世話をすると決めたからにはそんな目にはあわせられないのだ。

 もっと明るい未来を得られるようにしてやりたかった。

 そのために基礎教養を身につけさせる必要がある。


『少年やす学成がくながたし』という言葉がある。

 子供たちの将来のため、勉強はすぐに始めなくてはいけなかった。


 そんな時に注目したのがヒマをもてあましていたアンナマリーだ。

 この娘、実家が薬師という知的職業だったため意外にも学がある。

 そして『製薬会社を立ち上げて大金持ちになる』という夢をもっていた。


「将来の従業員を育ててみないか?」


 というふうに誘ってみたところ、二つ返事でOKがもらえたのだった。

 ……まあ現実は甘くはなく、悪戦苦闘の日々ではあるが。


「ねーちゃんベンキョーなんかやめてあそぼうよ~」

「ダーメー! 遊んでばっかいたら立派な大人になれないよ!」

「りっぱになんかなんなくていーもん」

「も~そんなこと言わないで~」

『あ・そ・ぼ! あ・そ・ぼ!』

『あ・そ・ぼ! あ・そ・ぼ!』


 声をあわせて遊ぼうコールを連呼する子供たち。

 もうこうなったら誰にも止められない。


「う~んじゃあちょっとだけよ~?」

『ワーイ!!!』

「わっちょっと服ひっぱらないで、破れる、破れる!」

「はやくはやくはやくー!」

「や~ちょっとやめて~! ギャー!」


 子供特有のとてつもないエネルギーにふり回されて、アンナマリーはメチャクチャな目にあった。

 ちなみに当然のことだが、子供たちの食事環境は大幅おおはばに改善されている。

 もしかしたらまずしい家庭の食卓事情よりもましなレベルかもしれない。

 良質の食事は大きなエネルギーとなって、いまアンナマリーを直撃しているのだった。





「ふぶぇぇ~~」


 珍妙な鳴き声を出しながらテーブルに突っすアンナマリー。

 予想外の重労働にノックアウト状態だ。


「無理なお願いをしてすまないね」

「きゅう~」


 アンナマリーにとっても人を指導するよい経験になると思っていたのだが、ちょっと考えが甘かったようだ。

 変な鳴き声をだして頭をテーブルにゴロゴロこすりつける彼女。

 何の意味があってそんな行動をしているのか分からないが、やがてピタリと動きを止めて窓の外を見た。

 

 そこではエリオットの部下、情報部所属の騎士オスカーと問題児イサークの姿が。





「おいまた足が止まっているぞ! 上半身だけで戦おうとするな!」

「はあっ、はあっ、うるせえ!」


 オスカーは左右の手を前に出してイサークのパンチを次々と受け止めていた。

 受け止めながらなめらかなフットワークで庭を動き回り、ガムシャラに突っ込むイサークを翻弄ほんろうしている。

 イサークは全身汗まみれであり、すでに体力の限界がきていた。

 それでもオスカーは厳しい言葉を投げかける。


「おいそれでもパンチのつもりか! ネコがじゃれてるんじゃないぞ!」

「ゼエ……ゼエ……アアアアッ!!」


 ペチィッ!


 やぶれかぶれの一発がオスカーの手を直撃し、かわいた音が鳴る。


「よし! 3分休憩きゅうけい!」


 休憩の言葉と同時にイサークはくずれ落ちた。

 地に手をつき呼吸もままならない様子。

 それでもオスカーは何も見えていないような態度で、時間をはかっている。


 格闘技の訓練なのは何となく理解した。

 だが小さな子供にこれはちょっとやりすぎではないだろうか。





「ひ、ひええ~、オスカーさん厳しい……!」


 外の光景を見ていたアンナマリーはふるえ上がった。


「見た目はカッコイイのに、あんなに怖い人だったなんて」

「ああ、あいつは元々貧民街の出身だからね。

 甘さが命取りになるっていう考え方なのさ」

「ええ~、あの人が?」


 彼女はあらためてオスカーの姿を確認する。

 長身のたくましい身体。

 感情表現は少ないがそこがかえって良さともいえるクールな顔。

 直立不動で時間を計っている上品なたたずまい。


「ぜんぜんそんな風に見えませんねえ~」

「あれはボロが出ないように気を張って努力しているんだよ。

 昔のあいつなんて……」


 そこでエリオットはなぜかプッ、と噴き出した。


「ブ、ブラックウルフと呼ばれる喧嘩けんか請負人うけおいにんだったんだ」

「なんですかソレ?」


 エリオットはニヤニヤ笑いながら昔話をはじめる。

 今現在の生真面目きまじめそうなオスカーとはまったく違う、暴力に明け暮れていたころの彼の物語だった。

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