第45話 余の顔を見忘れたか

 するどいナイフがイサークの首に食い込む。

 うっすらと血がしたたった。


「ヒィ…………!」


 次の瞬間に少年の首は大量の血をき、真っ赤な海の底にしずむ。

 そのはずだった。


 ブオン!


 何かが風を切りながら飛んでくる。

 その『何か』はイサークを殺そうとする男の頭部を直撃した!


 ガゴォン!!


 強烈な衝撃音がして、ナイフの男は白目しろめをむいて倒れた。

 男をノックアウトした『何か』も床に落ちる。

 それは意外にもハンドバッグだった。


 なんでこんな物が!?


 その場の者たちは床に転がるハンドバッグを見て首をひねる。

 しかしゆっくり考えている余裕よゆうはなかった。


「マルコム! 子供を手にかけようとは見下げはてた奴め!」


 入り口から男の怒鳴り声が飛んでくる。

 

「何者かッ! ここは私有地しゆうちだぞ!?」


 反射的にマルコムが怒鳴り返す。

 そこには身分ありげな6人の男女が立っていた。


 堂々たる体躯たいくの、一見して貴族とわかる風貌ふうぼうの若い男。

 輝くほどに美しいドレス姿の乙女。

 そして彼らの護衛をつとめる4人の男たち。


 大男は場違いなほど正々堂々と語りはじめた。


「孤児院を経営するとは、つまり孤児たちの父親になるということではないのか!

 親が子供の食費をかすめ盗るとはなんたる恥知はじしらずか!」

「やかましいわ! ここは私有地だといっている! ゴチャゴチャほざいとらんでさっさと出ていけこの若造がァ!」


 お上品な場所ではなく、またお上品な人間でもない。

 だから殺人未遂みすいの現場を目撃したというのに悪びれもせず、出ていけ! と怒鳴り返されてしまう。

 ヴィクトル二世はあきれたような、困ったような、何ともいえない顔になった。


「なんと……父上はなぜこのような男に爵位しゃくいをお与えになったのか……」

「ああ? 父上だとォ?」


 マルカム準男爵は心に引っかかるものを感じた。

 今の相手のセリフ。

 それを言える人間は、この世に一人しかいない。


「余が誰だかわからんかマルカム。

 余はお前の姿を何度か見た覚えがあるぞ」

「…………アッ!」


 マルカムは文字どおり飛び上がった。

 こんな貧民街にいるはずがないと思いこんでいたので、反応が遅れたのだ。

 むこうがマルカムを見る機会は少なくとも、マルカムのほうは彼を遠くから見る機会がたくさんあった。


 脳裏に鮮明に浮かび上がる。目の前の人物が玉座に座っている姿!

 この国の国王、ヴィクトル・グレイウッド二世陛下だ!


「あ、あわわわ……」


 老獪ろうかいなマルカムもさすがに言葉をうしなった。

 いくらなんでも相手が悪すぎる。


「マルカム・ドーンウインド準男爵!

 身寄りのない子供らに与えるべき金銭を横取りしたあげく、証拠隠滅いんめつのために殺害をもくろむとは言語道断!

 このヴィクトル、王として断じて見逃すわけにはいかぬぞ!」

「く、くううううッ」


 マルカムは左右の拳を握りしめ、歯を食いしばってくやしがる。

 こんな時に悪人がやろうとすることは、一つしかない。


「この歳まで、わしはどろをすすって苦労してきたのだ。

 今さら処刑などされてたまるか、そっちの方こそ始末しまつしてくれるわ!」


 さすがに悪徳商人。マルコムの計算ははやい。

 ヴィクトル二世が死ねばドルトネイ公爵が次の王になる。

 派閥はばつのトップであるドルトネイ公爵が王になれば自分の罪はもみ消されるし、ひょっとしたらさらなる出世まで可能かもしれない。

 

 そう、これしかない。

 ピンチをチャンスに変えるのだ。

 国王殺しという大逆無道たいぎゃくむどうをおかしてでも、この手で未来をつかむのだ!


「やれ、やってしまえ! 国王陛下の名をかたる不届き者だ、殺してしまえ!」


「……どうしてこういう時ってみんな似たようなセリフを言うのでしょうね」


 エリーゼがため息まじりにつぶやく。

 戦闘が開始された。

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