6:ガイダンスの裏側では


 僕と滝井が少々不純な動機で演劇部への入部の意思を固めていたころ。

 その演劇部では、実はこんなやり取りが繰り広げられていたのであった。

 ……知らんけど。



   *



 体育館の舞台袖にある物置部屋。

 演台とかロールスクリーンやら投光器などといった備品が無造作に放り込まれている魔窟の一角に、三条学園高校演劇部の部室がある。

 正確には倉庫スペースの一部を、生徒会というか、生徒会長である守口浩子個人のごり押しで拝借して部室として使っているだが、それは本筋と関係のない些末なこと。

 取って付けたような明り取りの窓しかない空気の澱んだ部屋の隅で、演劇部部長の森小路瑞稀は小さな身体をさらに小さく縮こませながら、どんよりと暗い顔をして落ち込んでいた。


「一生懸命練習したのに……言いたいことの半分も言えなかった」


 針の跳んだレコード……は、例えが古いか。

 データの一部が破損したMP3ファイルのように、終始同じセリフを何度も口の中でブツブツ繰り返していた。 

 いくら美少女とはいえ机に突っ伏してブツブツ喋る姿は正直言って辛気臭い。

 ゆえに周囲の人間がイラッと来るのは当然の帰結、守口が「アンタさあ」と棘のある口調で尋ねてくるのも当然と言えた。


「〝半分〟。じゃなくて、〝ゼンゼン〟の間違いじゃないの?」


 辛辣なセリフとともに守口に訂正を求められ、頭を抱えて「はぅぅ」と更に落ち込んでいく。

 それでなくても空気の入れ換えが悪くてカビ臭い部屋が、瑞稀の陰気さでより一層鬱々と重くなり、守口が「暗い!」とぼやいて扉を全開にして換気をしたほどである。


「まあ、しょうがないんじゃない。アンタがポンコツだったんだから」


「ポンコツ言うな。努力はしたんだから」


「へぇ、どんな努力?」


 突っ込まれて「これよ」と証拠の物を突きつける。

 手にした小さなメモ帳にはカンペがびっしり書き込まれ、演劇部の活動を始めとする勧誘の内容が具体的かつ分かりやすく記されていた。


「ふ~ん。中々良く書けているじゃない」


 ざっと一読した守口の口から出たセリフがこれ。

 クソボロにこき下ろすかと思っていたのに、意外や意外に思いの外な高評価。

 しかも「プレゼントしては、ほぼ完ぺきね」と、ふだんの毒舌とは真逆の感想まで言わしめるお墨付き。


「そ、そうかな?」 


「部活動の簡潔かつ的確な紹介が過不足なく。キッチリまとめ上げていて、瑞稀には文才があるわね」


「えへへ」


 ニヤケて照れる瑞稀に、守口がほぼ手放しで褒めるが、そこはブレない安定のツッコミ役。

 言った傍から「でもね」と辛辣な指摘を投げかける。


「いくら完璧なカンペを用意していても、喋んなきゃ意味ないわよ」


「ぐっ!」


 しかも、どうしようもない正論。何せ実際のところ、口にした内容は先ほどのアレ。

 ただ一言「お願いします」と喚いただけ。

 入部してくださいとも、一緒にお芝居をしましょうなど、肝心なことを一言たりとも発していない。

 勧誘どころか紹介にすらなっていない、意味不明な絶叫で持ち時間をすべて使い切ってしまったのだ。


「昨日、あんなに大見栄切っていたのに、何あの声? あんな小さな声なんかじゃ、蚊が鳴くどころか、ミトコンドリアも鳴かないわよ」


 顕微鏡で見るような微生物を引き合いにしての痛烈なダメ出し。


「何、ソレ。酷い!」


 守口のトゲトゲな毒舌に瑞稀は「いくら何でも言い過ぎだ!」と抗議するが、相手は超合金な心臓の持ち主である。


「ゴメン。ミドコンドリアに失礼だったわ」


 瑞稀の抗議は完全スルー。


「もっとヒドイ!」


「ヒドイって、瑞稀。アンタ反論できるの?」


 のみならず、倍返しされたうえに、目力のある眼にギロリとひと睨み。

 メンタルが豆腐な瑞稀は、振り上げた拳がたちまちに折れてしまう。

 

「……ゴメンなさい。出来ません」


 なけなしの反骨心もたちどころに雲散してシュンとなると、気弱な瑞稀の態度に守口が「まったく、もう」と毒づいて不機嫌のボルテージが上がっていく。


「人見知りが悪化してコミュ障寸前なアンタが「もう一度、芝居をやりたい」って言ったからひと肌脱いだのよ。瑞稀がガンバルって言うから、忙しい生徒会の時間をやり繰りして部員になって、書記の土居クンまで引きずり込んだんだのよ」


 一気にまくしたてると「優。アンタも怒りなさいよ」と、守口が怒りの矛先を何故かもう一人の部員である土居優に向ける。


「あれだけ時間を割いて私たちがお膳立てしてあげたのに、このアンポンタンは壇上でビビッて全部台無しにしたのよ!」


 瑞稀を指差しながら土居に向かって好き放題ディスりまくる。

 言い返したいが全部が全部事実なだけに反論できず唇をグッと噛んでいると、守口に刺身のツマ扱いされた土居が「まあ、まあ」ととりなしながら優しい笑顔を浮かべる。


「クラブ紹介での件は残念だったけど、久しぶりの壇上だったから、緊張をしてもしかたがないよ」


「何か、ゴメンなさい」


 あたたかなフォローが心に沁みるが、優し過ぎる気遣いは下手に罵声を浴びるよりも余計に堪える。

 しかも勧誘の失敗など欠片も気にしておらず「そんなことよりも、瑞稀さんが芝居を再開してくれた」と、瑞稀が芝居をすることを心から喜んでいるのである。

 この見目も性格も良い優男はジャニズムの塊のような守口に頭が上がらないのか、生徒会役員も頼まれたからと副会長を引き受けたのみならず、演劇部への加勢も「浩子ちゃんが是非にと頼むから」と二つ返事で入部届にサインしてくれたのである。

 本当に気遣いの人である。


「生徒会だけでも大変なのに、わたしなんかに忙しい時間を割いてくれて本当にありがとう。優クンにはいくら感謝しても、しきれないくらいだわ」


 自分のために貴重な時間を割いてくれた友人に、心からの感謝を込めて頭を下げる。


「ねえ、私は?」


「浩子ちゃんは半分面白がっているでしょう?」


「うん、その通り」


「即答する?」


「私は自分に正直な女なの」


「うわーっ、悪趣味だー」


 憎まれ口にに文句を言いつつも、本当は心の底から感謝しているのだが、残念ながらそれを素直に言葉に出せるほど、瑞稀は出来た人間ではない。


「良いわよ。せいぜい面白がって見ていてよ」


 ゆえに、つい憎まれを口にしてしまうのも無理からぬことではあるが、性格と意地の悪さでは守口のほうが一枚も二枚も上。


「そうね。楽しみに観させてもらうわ」


 瑞稀渾身のイヤミはさらりと躱され、虚しく空を切ることとなる。


「私に勝とうだなんて1万年早いわよ」


 口元に掌を当てながら守口が「オーホッホッホッホ!」と、まるで悪役令嬢かよと突っ込みたくなるように高らかと哂う。

 調子にのって高笑いをし過ぎて「ゲホ、ゲホ」と咽ているのはご愛敬。


「そんな心にもないことを言って。本当は心配でたまらないのに、浩子ちゃんも随分と意地っ張りだね」


「べ、べ、べ、べ、別に、意地なんて張っていないわよ。何、言ってるのよ、このバカ優は」


 土居に言われて急にツンデレになってソッポを向く辺り、守口も瑞稀と同じく素直でないし、所詮悪役としても小物なのであった。


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