第2節 -神の御座にて-

* 1-2-1*

 百年、千年、万年。

 自分自身が生きてきた年月。

 数えるのも気が遠くなるようなほど長きに渡り、この意識は地球という小さくも大きな箱庭の中に閉じ込められてきた。


 神とは一体どんな存在なのか。


 自分達の後に生まれた種族、人間が追い求めてやまない形なき定義。

 どんな存在で、何を目的としているのかと問われたら、そう。


“そこには何の意味もない”


 少なくとも、数多く生まれたであろう神の一柱である自分はそのように答える。

 人間は一神教であるとか、多神教であるとか宣い、神という定義について〈こうである〉というものを、自らの想像にとって都合の良いように解釈している節があるが、そんなものは当事者である“自分”にだって分からない。

 全知全能たる無謬の一神が存在するのかどうか、存在するのであればなぜ自分以外に神と名の付くような存在を生み出したのかなど。知ることは誰にも叶わないだろう。

 また、それら存在の呼称がなぜ“人間によって定められているのか”など、言うに及ばず。


 そうだ。こんなことを考えることに“何の意味もない”のだ。


 分かっている。分かってはいるが、時折考えてしまう。

 もし仮に、自分という存在に何かしらの意味が最初から与えられていて、結末が用意されているのだとすれば、それはどんなものなのだろうと。

 考えることに意味も意義も無くとも、考えずにはいられなくなる時がある。


 きっと、何かそういった抽象的なものが自分にもあったのではないか、と。



 灯り一つ無い、神の御座の中枢にあたる区画。

 天空城塞イデア・エテルナの中核を担う小さな小さな空間にアザミは一人立ち尽くす。

 ここ最近、マリアの傍を離れている時は常に此処にいて、同じ問答を頭の中で繰り返しているような気がする。

 彼女という主君を得て、彼女の願う理想を実現することに邁進してきたこれまでの千年は、頭の片隅に追いやっていた考え。


 自分が何者であり、何を為す為に生まれ、何の目的をもって行動し、何を成し遂げるのか。

 つまるところ、人間が言う“レゾンデートルの証明”というものである。


 考えても、考えても答えなどでるはずのない問いを一通り頭に巡らせたアザミは、柄にもない深い溜め息を吐いて呟く。


「あぁ、面倒くさい。どうして、このような」


 自らが持つ異能、権能を使えばおおよそのことは叶う。

 力に帰結する事象であれば言うまでもなく、そうでなくとも叶えられないことなど数少ない。

 そんな、数少ない〈叶えることの出来ない物事〉の中に“自らの存在意義を知る”などという、人間が抱くような至上命題というべき事柄があるのだから困ったものだ。


「そもそも、神や悪魔がそのような考えを抱くなどと」


 おかしな話だ。

 自分でもそう思う。にも関わらず、なぜか考えずにはいられない。

 こういった話の好きな主君の影響だろうか。


 きっと、そうなのだろう。そういうことにしておいてほしい。

 でなければ、悪魔に身を堕とした神が自らの頭で人間と同じ思考に寄り添うなどという矛盾が生じてしまう。

 自らの目的は遠い昔から何一つとして変わっていない。

 ただ切実に求める結末はただひとつ。


“自らの死”のみ。


 これを求める理由もひとつだけ。


“自らの生に、意味が無いから”である。



 アザミは苦虫を噛んだ表情をベールの下に浮かべながら、赤と黒の入り混じる瞳を暗闇の向こう側へ向ける。

 目に見えるものが無いのは当然で、何もないこの空間に見えるものは過去の幻影。

 自分とマリアが共に歩んできた過去の記憶が色濃く垣間見える。


 彼女と過ごした千年を思い返し、アザミは幸福な気持ちを噛み締めると共に、今の彼女が実に意味の無い執着心に囚われていることに思いを馳せた。



 マリアの望みとは、人の手に依らぬ人類の統治。

 必要な者だけを残し、不必要な者は存在ごと消し去る。

 言い換えて、新世界にとって都合の良い存在を選び出し、都合の悪い存在はつまはじきにしてしまう。

 そうすることで、この世界がもう二度と戦争を起こさず、難民を出さず、飢餓や不勉強を起こさず、環境汚染をさらに悪化させることなく、病気の根絶をも実現可能な社会を生み出していく。

 人ではない存在とは人類が生み出した叡智、万能のAIたるプロヴィデンス。


“神が万物を視通す目”という仰々しい名を与えられた人々の希望。


 さらに、もう一つの人ではない存在として、“民を導く希望の光”と呼ばれた過去の遺物。もはや人ではなくなった存在たるイベリスという少女。

 この二つを、天空城塞-世界-という枠組みの中に捕らえて三位一体となることで完全なる神は人々の前に降誕し、その神が治める新世界が実現する。


 これを為すのが唯一無二の聖母の名を持つ彼女、マリア。


 確かに、実現した今という世界を見渡しても、これは非の打ちどころの無い完璧な計画だったのだろうと思う。

 けれど、唯一疑問を持たざるを得ないのは“人の手に依らない”と言いつつ、核となる部分に“人であった存在の意志が介在している”ということだ。


 なぜマリアはそんなことをしたのか。

 当初、彼女はプロヴィデンスを手中に収める為には、強固なセキュリティを簡単に突破する手段が必要であると言っていた。

 電子世界のことに疎いので実情はよく分からないが、イベリスという少女は自身の持つ異能によって、それを一人で叶えることの出来る逸材であるという話だったはずだ。

 現にそのことが事実で、彼女無しではプロヴィデンスの掌握など出来なかったことに違いは無い。

 ところが、蓋を開けてしばらくして気付いたことがある。

 イベリスという少女に拘ったことには結局、“マリア自身の拘りがあった”という点だ。


 千年を越えた意趣返し。或いは怨念返しというべきか。


 人の感情に左右される世界の在り方が憎いという少女が、自分の感情に左右された世界を作り上げた。

 結局、人は感情という呪い、呪縛から解き放たれることはない。

 世界を治めているイベリスという少女そのものについても、主観と理想と現実の中で揺れ動いているように見える。

 自分と同じ色をした、何者にも染まらぬ、あの黒い神が、だ。


「なんと、滑稽な」


 愛すべき主君が初めて見せたかもしれぬ醜態を前に、アザミは苦笑を浮かべた。

 しかして、このことによってマリアに対する忠義が揺らぐことなど微塵もない。

 むしろ、常々『本当に彼女は人間なのか』と思うこともあったからして、こうした人間らしさが垣間見えたことは実に良いことだと思ってしまう。


 ただ、その先に自らの死という願いが叶うかを考えた時。

 これが実に困難であるという見方にも変わりはない。


 希望と言えば、彼女がアンヘリック・イーリオンでアンジェリカを殺さなかったことだろうか。

 先日、イデア・エテルナを訪れたアンジェリカがマリアに対して言い放った言葉が妙に耳に残っている。


 アンジェリカのマリアに語り掛けた言葉が、脳内に沸々と蘇り響く。


『貴女は自らの意志で私を殺さないことを選んだのではない。貴女は、あの玉座の間での最後の瞬間に、無意識下で“私を殺すことが出来ないと悟ってしまった”のよ。

 神様を気取る者、要は貴女達のような輩が私という存在を許容しているのではなくて、貴女達は“私という存在を許容するしかない”の。

 存在証明? 必要ないわね。その話題を持ち出そうとした時点で、貴女は自分の首に縄をかけて自分自身でじわりじわりと縛っているも同義。

 そんな貴女が、最初から答えの出ている問いに対して答えを求めようとした理由はただひとつ。

 貴女、自分に自信がないのよ。正誤の判断を求めないと言いつつ、誰よりもそのことを気にし、私という存在の証明に興味があると言いつつ、そう言うことで自らとは関係ないものとして“逃げようとしている”。千年経っても人の本質は変わることがない』


 そう言い切った上で、彼女は言った。


『いつまで経っても臆病なのね』



 マリアが、臆病だから。

 彼女がアンジェリカを必要としている?


 いいや、本質的に少し違う。

 マリアが悪魔となった自分の願いを叶える為に、彼女という存在がどうしても必要なのだ。

 絶対の法という無慈悲な力を使う彼女が。

 フロリアンが語ったところでは、未だ隠し秘めた素質、力を奥底に眠らせたままの彼女という存在そのものが。


「そして、アンジェリカはついにその力を手中に収めた」


 過ぎし日に、マリアが黒いイベリスに語った通りのことが実際にアンヘリック・イーリオンにもたらされたなら、アンジェリカは過去に匹敵するか、または当時を凌駕する力を得たことになる。

 であるとすれば、やはり。


 そのことだけが、自分の願いを叶える為のたったひとつの希望ということになる。


 そもそも、アンジェリカという少女は自分の目から見ても特別そのものであった。

 神とも悪魔とも知れぬ異形を前に、世界でたった一人だけこの力に肉薄する実力を備えた少女。

 黒妖精バーゲストが何も言わず、測ることもせずに力を認めた者。


「彼女が本気でわたくしを殺す為に、わたくしに立ち向かってくれたのなら」


 願いが叶うかもしれない。

 意味の無かった数万年という歴史に、終止符がもたらされるかもしれない。


 どんな形であったって良い。

 自分は“死”を欲している。

“終わり”というものが欲しい。


 それだけが唯一自分に足りなかったもの。



 そのように考えたアザミは、この時になって初めてあることに気が付いた。


『そうか、わたくしはずっと――』


 ――意味を求めていたのかもしれない。



「変わらぬ日常が最大の幸福とは、マリーの言いそうなこと。それはそれで良いのでしょうが、変化の無い日常は退屈に過ぎる。何をしても満たされぬ神や悪魔に必要なものとは、絶対に自らに用意されていないものに限る。それこそが……」


 記憶にすらない、生まれた時から追い求めていた答え。

 生を受けた“意味”。


「わたくしは、ただ――」


 死ぬ為だけに生まれてきた。


 神も人も同じ。生を受けた瞬間から砂時計は返され、時は刻一刻と過ぎ去っていき、やがて頭上の砂は全て落ちてしまう。

 それが、長いか短いか。砂の量が多いか少ないかの違いでしかない。


 よもや、神と人が同じ結末の為に生きていたとは。


 意味を求めてはならない。

 意味を見出してはならない。


 答えとは常に、“全てに終わりがもたらされた後になって”初めて目の前に現れるものなのだから。


 自らの知りたかったものは全て、彼女の語り紡ぐ物語の結末に用意されている。



 暗い暗い小さな空間の中でアザミは、人知れず微笑みをこぼす。

 やっと見つけた、“レゾンデートルの証明”を噛み締め、呑み込んで。



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