* 1-1-4 *
落ち着いた光が照らす室内。
この城塞にある他の部屋に比べて、とても広いとは言えぬ20平米程度の洋室。
上品でありながら穏やかに、落ち着いていながら華美にも見える独特の空間を彩る家具や調度品の数々。
部屋全体を見渡して、とても個人の趣味趣向が表されているとは言い難いが、それでも持ち主の性格を表現するには十分過ぎるものだろう。
ここはアンヘリック・イーリオン中枢に存在する“大統領執務室”。
共和国内に在る大統領公邸とはまったく趣の異なるこの場所は、時折アンヘリック・イーリオンへ訪れて執務をすることもある大統領に対し、アンジェリカが用意した特別な一室だ。
今の持ち主であるアティリオが、彼女直々の厚意によって用意されたこの部屋を大変に気に入っていることは言うまでもない。
無論、何かと理由を付けてこの場に足を運んでいることも。
だが、それは普段生活と仕事をする拠点たる大統領公邸の居心地が悪いからというわけでは決してない。
あちらも豪華な建物に気配りの行き届いた内装、施設が用意され、気の置けない職員達のサポートにより十分過ぎるほど快適さの保証された居場所ではあるのだが、やはり“それはそれ、これはこれ”である。
ある程度の失礼を承知で語るなら、崇敬の念を抱くほどに慕う総統から直々に用意された一室には遠く及ばない。
アティリオにとっては、彼女のすぐ傍で日常業務が出来ることほど喜ばしいことは他にないのだから。
そして今。例によってこの場へと足を運んでいる彼は、テミスの一柱であるリカルドを対面に据えて仕事の話をしている真っ只中にある。
当然、この場に足を運んだからといって普段から何もしていないわけではなく、常に真面目に己に与えられた責務を忠実にこなしているアティリオだが、今日という日はまた特別であった。
アティリオが大統領らしく、真剣に考えている事柄と言えば、そう。
目の前に横たわった巨大すぎる課題。世界の行く末について。
これを頭で理解し、この先のことについて語るにはまず“今”世界で起きていることを十分に理解する必要がある。
この場はその点に置いて、アティリオとリカルドの間で意識を共有する為の場でもあり、また独自に調べ上げた情報をリカルドへ共有する為の場でもあるのだ。
アティリオは目の前に立ち上げたホログラフィックモニターに映し出される資料を見やりながら言う。
「先進七か国首脳会議に名を連ねる国々の動きは実に鈍いものです。なんという体たらく。フューカーシャによる第二選別が過ぎた後、そんなことが起きたのかどうかに言及すらしようとしない。
しかして、当然でしょうな。彼らは端からイデア・エテルナの傀儡となる道を選び、その意志に忠実に従っている者達なのですから」
溜息交じりに言ったアティリオに、リカルドは考え込む姿勢を取って言った。
「だが、英国の動きだけは他の国とは異なるのだろう? 例のリナリアでの一件もあれば、チャールズ・ロックフェルトという貴族院の男の件もある。ある意味で、我々と通じている彼らの動き方というものはどちらかといえば、今は中立を維持する立場を明確にしているようにすら見える」
「そのことで、イデア・エテルナから目を付けられる可能性もあると、そう考えている彼らは表立った発言や行動については他の各国に追随している状況に変わりはありません」
「目を付けられていることなど既に承知の上だろう。その上で、無用な混乱を起こさぬ為に“従う振り”をしていると言えば良いのか、そういった風にも見える」
「いずれにせよ先進七か国に留まらず、嘆かわしきかな、他の国々の動きも似たようなもので。その中にあって、国家として動いていない機構の動きだけが異質さを放っていると言えましょう」
「彼らはどのように?」
機構の話にリカルドは食いついた。
国家として立っているわけではない機構は、他の国々とは異なりイデア・エテルナに対して独自の立場を取ることができるのではないかという、そのような期待を常々彼らに寄せていたからだ。
それこそが、イデア・エテルナに関わる情報の全てを、コクマーを通じて彼らに横流ししている理由でもある。
じっと自分を見据えて離さないリカルドに、視線を返してアティリオは言う。
「どうも、シオン計画にて建造した艦船群に改修を施し、それらを中心とした艦隊の編成を急いでいるようで」
「艦隊の用意を? 彼らは城塞と戦うわけではないだろうに、何故」
「城塞の指示であるかは知りませぬが、表向きは我々に対する牽制でしょうな。しかしもしかしたら、もしかするかもしれませぬぞ。機構を統括するのはあのヴァレンティーノ総監です。抜け目のないタヌキ、失敬。老獪な指揮官でもありましょう」
「よもや、反旗を翻して城塞に攻撃を仕掛けるとでも? だが、機構が単独で動くとも思えない。そんなことをすれば、イデア・エテルナの言いなりとなっている各国が黙ってはいまい。やはり裏で、追随する各国独自の動きもあって然るべきだと考える」
「ご名答。そこで重要な役割を果たしているのがやはり英国というわけで」
アティリオは手元のスマートデバイスを操作して、ホログラフィックモニターへ表示される資料を別のものへと変えた。
新たに明示された資料を素早く読み取ったリカルドは、彼の仕事の素早さに感嘆の声を上げる
「よくぞこの短期間にここまで。きちんと仕事はこなしているのだな」
「少々失礼ですぞ、リカルド殿。私とて普段から遊んでいるわけではありませぬ。見えないところで相応の働きはしているつもりです」
「疑っているわけではない。それに、仮に普段から遊びに興じることに夢中となるような者を、アンジェリカ様が大統領の地位に据え続けるわけが無いからな」
「然り、然り。あぁ、麗しのアンジェリカ様。吾輩はあの御方の為であればどのような苦労も厭いはしませぬ。して、資料を見ての感想は? いえ。リカルド殿の意見を伺いたい」
彼の言葉に、リカルドはしばし考える素振りを見せる。
示された資料とは、世界各国が人知れず軍備の再生産を行い、来る日に向けて“セントラル1”へ艦隊戦力を結集させつつあるという内容だ。
その計画の中心に立っているのが英国であり、既にクイーン・エリザベスやプリンス・オブ・ウェールズといった空母など、主力艦隊戦力をセントラル1へ送り出したと報告には記されている。
実際、ここ最近にアルゴスや監視衛星によって英国軍艦艇がセントラルへ航行する様子は探知されており、資料の内容が事実であることは疑いようがない。
とは言いつつ、どの国家に関しても表向きの大義は対グラン・エトルアリアス共和国を想定したものとあるが、この一点に関して言えば資料を読み取る限り、事実はおそらく否であろう。
一部は間違いなく、嘘であると断言しても良い。
「我々に牙を剥く為に、残りの力を振り絞って反攻の用意を整えている、か。おそらくブラフだな」
「やはりそのように?」
「そうとしか思えない、という方が正しい。だが、翻って我々に味方をするつもりもない」
「同じ結論に達しますか」
「この資料をアンジェリカ様には?」
「もちろん、最初にお見せしました。が、ご返答は実にあっさりとしたもので。リカルド殿と話を突き詰めてからもう一度持って来いと」
「左様か」
リカルドの答えを聞いたアティリオはソファに背を沈めて言う。
「英国を始めとして、セントラル1に集結しつつある世界中の艦隊戦力。観測する限りでは一部はセントラル2にも向かっているとか。大まかにはリカルド殿と同じ結論を吾輩も導いておりますが、しかし。二度同じことを申し上げますが、これはもしかするともしかするやもしれませぬぞ?」
「と言うと、単純な予想通りに彼らが天空城塞に反旗を翻すと? そう読み解くのが自然ではあるが、果たして正刻印がある中でそのようなことが叶うかと言えば」
「さて、その真実こそまさしく“神のみぞ知る”でしょうな」
「答えは闇の中というわけか。突き詰めてしまえば、これらも少し調べただけで我々が知り得るような情報だ。当然、空の神とやらも既に知っている話に違いはあるまい。行動を起こす前に命の書とやらから名が消されぬと良いが」
「そこをうまく何とかするのがヴァレンティーノ総監であり、英国の関与によってより一層、事は順調に運ぶとみるべきかと」
「そこだ。英国が中心となって事を運んでいるのは理解したが、彼らが関与することで何が変わる?」
「説得役でしょうな。我々がマークתを共和国へ連れ帰る為に、かつてイザベル殿に協力を仰いだように、セントラルもパイプの太い彼らを通じて他の各国へ協力を願ったと見るのが自然です」
「英国が先進七か国に所属するとは言え、利が全くない状況下で他の国々がそう簡単に追随するとも思えぬが」
「意思決定の方法によるでしょう。今、各国の意思決定はこれまでと同じような方法で為されているわけではありません」
アティリオが言うと、何かを思い出したというようにリカルドは言う。
「その点についても其方に聞いてみたかった。理想世界の構築が完成したとイデア・エテルナは嘯くが、国家が連綿と作り上げてきた執政の仕組みとは簡単に変えられるものではない。人の意志によって動くものであるが故に、あらゆる意志が交錯して生み出されるものが政治。かように複雑なものを、イデア・エテルナはどのように自らの理想に沿うよう制御しているというのか」
「空の者達が都合の良いように各国政治を運営するのは至って簡単です。やり口としては、国際連盟がセクション6を抱えていた頃と何ら大差はないでしょうな。彼女らは国家の重鎮である者達を取り込むことで国家の意思決定に関与してきました」
「では、大統領や首相そのものを操っていると? まさか、その者達にフューカーシャが擬態しているというのか」
「フューカーシャに間引かれたからとて、言われる通り残されたのも人間。簡単に変わるはずがないという意見はご尤も。しかも、各国首脳の顔触れはまるで過去と違いはない。そんな彼らをどのように操っているかといえば、その答えもやはりフューカーシャ。ただし、フューカーシャが彼ら自身に擬態しているということはありませぬ」
「具体的な答えが知りたい」
答えを急くリカルドを右手で制止しつつ、アティリオは上体を起こし前のめりになりながら、さらに声の調子を落として密やかに言う。
「大統領補佐官や首相秘書官といった、各国代表に直接関わりの深い人物達。吾輩の知る限り、これらの人物の大多数の顔触れが2か月前とは変化しておりまして。中には、元々そのような席を用意していなかった国まで、補佐や秘書という立場を創設したという話も聞きます」
「院政か?」
「近しいものがあります。フューカーシャによって間引かれた人物とは別に、“新たに増えた人口”というものも僅かながら存在するようで、そういった者達は奴らが人間の姿を擬態した者であるという。与えられた役割は天空城塞の意志を各国代表に伝達し実現させること。プロヴィデンスの意志を間接的に伝える役割を担っているようです」
「各国代表がそれに素直に従っているのか?」
「逆らえば命の書から名が消えるだけのこと。従うしか道はありますまい」
「なるほどな。となると、先の話に戻って考えれば」
「軍部の意思決定を行っている者がフューカーシャでなければ、機構の、セントラルの思惑を実現することも可能。その主導を担うのが英国というわけです」
「プロヴィデンスはよくこの動きを見逃しているものだ」
「大義名分が我らへの反抗になっているからでしょう。少しでも異なる動きを見せれば、その先に何が起きるかは知れませぬ」
そこまで言い終えたアティリオは再び背をソファへ沈め、普段通りの調子で言う。
「幸いなことは、我々グラン・エトルアリアス共和国には院政を敷きに来る愚かなフューカーシャが存在しないということでありましょう。当然、私も本物でありますが故」
「其方の真似が叶うフューカーシャなどあってたまるか」
「物は言いよう。喜ぶべきか、言葉の真意について訝しむべきか迷いますぞ」
「素直に喜んでほしい。他意はない」
「結構、結構。では、そのように」
満足げな表情を浮かべるアティリオを他所に、彼から視線を外したリカルドはホログラフィックモニターへ映し出される世界地図を見やり、大西洋地域から太平洋地域に視線を移して言う。
「欧州諸国はセントラル1へ艦隊戦力を差し向けているが、今回日本は太平洋地域への派遣を担うのか。だが、あの国から他所への軍備派遣は中々に難しいと聞く。よくもうまくいったものだ。しかもフューカーシャの目を盗んでな」
「かの国がどのようにして事を実現したのかは定かではありません。何しろ、あの国に関しては吾輩も知り合いというものがおりませぬから」
「かつての国連総会や首脳会合で話をしたことは無かったのか?」
「さて、かの国は頭の挿げ替えがとても早いですからな。話していた相手から視線を外し、再度呼ばれて振り向いたらそこには別人が立っていたというほどに変化が速い」
「なるほど。これにはフューカーシャの知恵も追いつかぬと」
「プロヴィデンスがそこまでの無能であるとは思えませぬ。考えられることとしては、姫埜中尉の出身国である日本に関しては何らかの配慮がなされている可能性も」
「イデア・エテルナが、か?」
「今の天空城塞を取り仕切るのはイベリスという少女であると聞きます。彼女なら、或いは」
「有り得ぬ話ではないということか。諸々、出来過ぎな話ではあるがな」
自分達の動きとは別に、世界でも大きな動き、うねりが起きようとしている。
全てがつまびらかになるのはきっとクリスマスを迎える頃合いなのだろう。
二人は未だ見えぬ先に想いを馳せつつ、その考えを内心に秘めて口を閉ざした。
話を終えてしばらくした頃、おもむろにリカルドは言う。
「して、今後我らがどう動くべきかという提案を持ったうえでアンジェリカ様に再度報告を上げることが必要であろうが、その役目は其方が担うか? それとも、私から直接お話した方が良いだろうか」
「ご承知の通り、アンジェリカ様は誰が報告を上げに来るかを気になさる御方ではありますまい。よって、この話はアンジェリカ様がどう思われるかではなく、我々がどうしたいかが重要であるという話」
「そうだったな、すまぬ。意味の無い問いの仕方をしてしまった」
「気にすることはありませんぞ。どちらが、という判断を下すのであれば、この後に我らが話し合う“我らはどう動くべきか”の内容を吟味してからになりましょう」
「結果として、どちらが報告するのが筋であるかという話だな」
「左様。出来れば、アンジェリカ様とお話をする口実を得たいというのも吾輩の本心ではありますが」
「では素直にそう言えば良い」
偽らざるアティリオの本音を聞き、リカルドは苦笑した。
危機が差し迫る中にあっても、変わらぬものは存在すると。
リカルドが問いをして間もなく、張り切った調子でアティリオは言う。
「では、早速今後の話を詰めるとしましょう、リカルド殿」
彼が張り切る所以。そんなものは決まっている。
「そうだな。では、そうするか」
彼がアンジェリカに報告を届けることが筋になるような方向に結論を持っていきながら。
願わくば、こうしたやり取りを自国の危機とは無縁の場所で迎える日の為に。
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