* 1-1-3 *

「もっと早く! 振り遅れていますぞ!」

「は、はい!」


 野太い男の声に華奢な少女の声と、金属と金属がぶつかり合う甲高い音が広々とした空間へ響き渡る。

 真剣に見立てた模擬剣を持ち、真剣な表情で向かい合う二人の男女。

 流麗な動きでどんどんと少女を壁際まで追い込んでいく男は、容赦なく彼女へ力強い剣戟を浴びせ続けた。

 向き合う二人には大きな体格差があり、どうあってもこの形勢を逆転することは困難に見える。


 顔を歪めながらも、必死に男の剣技に食らいつくように防戦に徹する少女。

 だが、男の繰り出す剣の動きを正確に見切っているのか、防戦一方でありながらも中々姿勢を崩すことはない。

「何の! 私だって……!」

 力強く、重たい剣戟をぎりぎりのところで捌き続けて叫ぶ彼女と向き合う男は、手を緩めることはしないまでも感慨深いといった様子で言う。

「数日前より、比べ物にならないほど成長されていらっしゃる。しかし……」


 直後、男の右足が少女の足を薙いだ。


「っきゃぁ!」


 男の剣の動きだけに集中していた少女は、そのまま態勢を立て直すことが出来ず、思い切りお尻から地面へと転びかけるが――

 そんな彼女を見た男はすかさず彼女の腰回りに腕を回し、転倒しないように全身を支えてみせるのであった。


「素晴らしき成長。お見事でございます。なれど、剣の動きにばかり気を取られていてはこのようなこともありましょう」

「至りませんでした」

「いいえ、経験を重ねてこそです。剣技とは心の読み合いも兼ねます。相手の剣、身体、周囲にあるもの全てを観察しながら状況を制していくことが重要。しかして、こればかりは実際に何者かと剣を交えた上での経験が圧倒的にものを言います」

「時間は多く残されてはいません。来たるべき時に向けて、私にその経験が十分に積めるでしょうか」

「心配なさらずとも。貴女様はまだお若い。頭で考えたことに身体がついていくようになるのに、さほど時間はかかりはしないでしょう」


 成長だけでは届かぬ差。圧倒的な体格差から繰り出される剣戟を耐えるだけでは如何ともし難く、加えて先のように剣以外の体術を交えて戦われては敵うはずもない

 未熟な自分自身への悔しさと不安を表情にて露にする少女に対し、先ほどまで剛腕を以て剣を振るい続けていた男は、似付かわしくない笑みを湛えて言った。


「イザベル様。時が無いとおっしゃいますが、まだ幾ばくか猶予はございます。時間があるということは何よりも尊い。ご自身では気付いていらっしゃらないと思いますが、貴女様の成長は目覚ましい。心配せずとも、時期に慣れましょう」

「私が、皆の足を引っ張るのではないかと。そのことがたまらなく不安で、怖いのです」

「誰しも心に不安を抱えています。しかして、為すべきことを為す為に、目の前の敵に打ち勝つためにはまず己の心に打ち勝たなくてはなりませぬ」

「為すべきことを為す…… 私の、心に打ち勝って……」

「左様。もっとも傍にあって、もっとも超えることが、克服することが難しいものです」


 そう言った男、マックバロンの騎士で隊長を務める男は彼女を優しく地面へと下ろすのであった。

 激しい動きを続けていたことで、息を切らせるイザベルを見やり男は言う。

「少し、休憩なさいますか?」

 だが、彼の申し出を即座に断ってイザベルは立ち上がり言う。

「結構です。続けてください」


 すぐに立ち上がって模擬剣を構えた彼女を見た男は、その凛とした出で立ちにかつての主君の姿を重ねた。

『何と、崇高な』

 その心境に至ったのは偏に、イザベルの剣の構えがアンディーンに似ていたからということもあるだろう。

 彼女は、アンディーンの剣の構えをその目にしたことなど無かったはず。であるのに、どうして。

 目の前の彼女の姿勢は、流麗なる水のようであったアンディーンを彷彿とさせる堂々とした威容そのもの。加えて、イザベルにはアンディーンが備えていなかったもうひとつの印象をも抱かせる威厳がある。


『彼女の剣には年相応の奔放さがある。しかして、それはただ慣れぬものの戯れといった類のものではなく、まるで自由なる風の如く―― 姉妹であるあの御方の印象も抱かせるなどと』


 彼女がテミスの一員として認められるのも道理である。

 男は心の内に抱きつつも、しかし。


「疲れているご様子とて、加減はいたしませぬぞ」

「望むところです」


 真剣に自身に向き合う彼女を、やはり同じ視線で捉えて向き合う。

 生と死を賭けた戦いに挑む剣士の在り方を以て、今再び。


 広大なトレーニングルームに金属のぶつかり合う音が響き渡った。

 とはいえ、疲れている少女を相手に男が競り負けることは無く、剣を交えてものの数十秒でイザベルは背後の壁際まで追い込まれつつあった。


 これまでと変わらず、防戦と後退を強いられるイザベル。

 鋭い眼差しで剣の動きを見続ける彼女の視線を追う男は、やはり彼女がそれ以外のことに意識を向ける余裕などないのだろうと判断した。


『重心がぶれつつある。体力もそろそろ限界に近いはず。この辺りで――』


 そうして、剣に目を奪われるイザベルの動きを見切り、彼女が足を後ろに向け重心を傾けた瞬間。

 先ほどと同じように足技で彼女の態勢を崩しにかかった。


『獲った』


 男は手応えを得た。そのはずであった。

 だが、なぜか男の足は風を切るかのように軽く地面をすり抜ける。

 何と、この動きを見切っていたのは実はイザベルの方であり、彼女は足首の力を利用して軽く上に飛び上がり、男の薙ぎ払いを躱したのであった。


「同じ手は、通用しません!」


 飛び上がった反動を利用して後ろに足を着地させたイザベルは、前傾の姿勢を取りながら全身の力を籠め、鋭い剣戟を男に浴びせる。

 男は驚愕したが、無論騎士として百戦を潜り抜けてきた自身にとって彼女の攻撃は未だか弱いものであり、躱すことも剣にて捌くことも容易い。

 模擬剣を振り下ろす彼女の剣を見切った男は、同じく模擬剣で攻撃を受け止めることを選び取り、剣が重なり合う直前に力を籠め、全身の体重を乗せた横薙ぎを繰り出した。


 結果。


「っきゃぁ!」


 やはり、彼女の悲鳴がトレーニングルームへと響き渡った。

 攻撃の反動で後ろに吹き飛ばされたイザベルは、今度こそ盛大に尻もちをついて地面へと倒れ込む。

 ただ、このことは決して悪いことではない。

 イザベルの剣の反動を利用して弾き飛ばした男にとっても、今度ばかりは彼女を庇う余裕すらなかったことを示す結果になったのだから。


『恐ろしく早い成長。僅か数分前のやり取りだけで、こうも変わるものか』


 目の前に寝転がる少女の成長に目を細めつつ、立ち上がった男はゆっくりと彼女へと近付いて手を差し出す。

 その手を掴んだイザベルは開口一番に言う。

「やはり、至りませんでした。体術を読み、こちらが剣を振った瞬間に気を緩めてしまったのかもしれません」


 この言葉を聞き、ついに男は彼女の成長に末恐ろしさを感じるに至る。

『先の足薙ぎを避けた瞬間もそう。この動きはやはり、自由なる風。流水のようにしなやかに剣を受け流し、攻撃に転じる瞬間の捉えどころの無さは既に我らの剣を超える印象を抱かせる。持って生まれた才覚か、或いは――』


 他者を尊重し、観察し続けてきた彼女の努力の賜物か。

 きっと、後者であるのだろう。


 男はそのような考えを抱きつつ、イザベルへ言う。


「至らぬなどとんでもない。素晴らしき成長でございます。しかし、これ以上の無理は怪我に繋がりかねません。今日の所は……」

「いえ。もう1度だけ。もう1度だけ私に機会をください」

「しかし」

「あと1度だけで構いません。その後は貴方の言葉に従いますから」


 この頑なさもまた、誰かに似て。


 懐かしさのあまり、思わず笑みをこぼしそうになった男は表情を正し、彼女へあと1度の機会を与える為に言葉を告げようとする。

 だが、男の口から言葉が発せられる直前。これを制止する声がどこからともなく響き渡った。


「では、その1度の機会。私が貰い受けても良いかしら?」


 よく聞き馴染んだ甘い声。

 マックバロンの騎士はその場で硬直して周囲を警戒し、イザベルはきょろきょろと辺りを見渡す。

 そうする内、丁度向き合うイザベルと男の間に、すぐ傍に“彼女”が姿を顕した。


 赤紫色の煙を解き、その中から姿を顕したのは紛うことなきこの城塞の主。

「アン、ジェリカ様……?」

 目を丸くしたイザベルは彼女の姿を捉えて言う。

「相手を変えて稽古するのも一興よ。争いの場で同じ相手と刃を交えるだなんてこと、そうそうあるわけではないのだし」

 そう言ったアンジェリカはイザベルににこりと微笑みかけた後、男に視線を向けて言った。

「構わないでしょう?」

「イザベル様の心にお任せいたします」


 男はそう言い、後ろへ身を退いた。

「だそうよ。もちろん私も異能の類は使わず、同じ模擬剣を取り、同じ条件で相手をするわ。受けるも断るも貴女次第。どうかしら?」

 思いがけぬ相手を目の前にしてイザベルは迷いを見せたが、やがて首を縦に振って言った。

「宜しくお願いいたします」


 言いながらイザベルは立ち上がり、トレーニングルームの中央まで歩いて模擬剣を構えた。

 対するアンジェリカも騎士から模擬剣を受け取ると、彼女と向かい合って立つ。

 剣を構えることすらなく、非常に落ち着いた表情でアンジェリカは言う。


「イザベル。模擬とはいえ貴女にひとつ言っておくことがある。この場での出来事は稽古や訓練だと思わず、本当に自らの前に敵が立っていると思って望みなさい。

 そして今、貴女の目の前には私が立っている。故に私を敵と思い、本気で私を殺すつもりで向かってきなさい」


 表情こそ穏やかだが、小さな身体から醸し出される気配はあまりも巨大で。

 イザベルは剣を構えた手を少し震わせ、思わず身を後ろへ退きかけた。


 アンジェリカは剣を構えることすらなく、ただ平然とその場に立っているだけだというのに、まるで“隙”が見えない。

 むしろ、彼女の間合いにひとたび足を踏み入れたなら―― 瞬時に斬り伏せられる自身の姿まで想像できてしまう。


 怖い―― 愛らしい身から放たれる圧倒的なまでの気配。

 恐怖で足がすくんでしまいそうで、その場から一歩たりとも動くことすら叶わない。

 特にアンジェリカ自身が殺気の類を放っているというわけでもなく、彼女はただ“笑みを浮かべて、そこに立っているだけ”だというのに。

 剣を構えもしていないから、どこから攻撃をして来るのかも掴むことは出来ず、それが分からないからこそ、どこへ剣を向けるべきかも掴めない。

 加えて、彼女がいつ動き出すのかも分からない。


 動きが無い中で、正解が見えない。

 立ち尽くすだけで神経を消耗しつつあるイザベルは、身動き一つしていないというのに呼吸を乱しながら思う。


『これが、空で戦おうとする方々の力。この領域に踏み込むことが出来なければ、私は』


 目の前に立つのは小さな体躯の少女ではない。

 圧倒的なまでの巨大な壁そのものだ。


『今の私には、無理―― 高すぎて、遠すぎる』


 やがて、これまでの疲労と集中のあまり視界がぼやけてきたイザベルはその場で姿勢を崩し、地面に膝をついて崩れ落ちた。

 彼女の様子を見たアンジェリカは騎士に目配せをしてから手に持った模擬剣を投げ渡し、ゆっくりとした歩調で彼女へ近付いて腰を屈める。

 同じ高さに視線を据えたアンジェリカは、イザベルの肩に手を置いて言った。


「今、それが分かったのなら貴女は大丈夫。焦らずとも、道は開ける」


 そもそも。いつから、見ていたのだろうか。

 きっと、アンジェリカが言いたかったことはただひとつ。

 この場で無理をするなということのみ。

 実際に剣を交えたかったのかどうかは知れないが、今がその時ではないと思っていたことは事実だろう。

 彼女の言いたいことを理解してイザベルは絶え絶えの呼吸で返事をする。


「はい」


 健気な少女のたった一言を聞き届けたアンジェリカは、すぐに満面の笑みを浮かべて言う。

「偉い、偉い☆ そうそうー☆ そういう素直さはー、良き! なんだよ^^」


 その後すぐに立ち上がったアンジェリカはマックバロンの騎士の元に近付いて言った。

「実に良い成長をしていると思う。このまま励みなさい。それが、あの子の命を守ることに繋がるわ」

 そう言ってすぐ、彼女は騎士の返事を待つことなくこの場から姿を消し去った


 最初から見ていたのだろうか。

 気配を察知することすら出来なかった。


 かつて、自らの真なる主君が向き合った強大な力。


『この場で向き合ったのがイザベル様でなく、我らであったとしても同じようになっていたやも知れぬ』


 以前の力と似たものを取り戻したと聞いてはいたが、もしやそれとは比べ物にならぬほど新たな力とは大いなるものなのではないか。

 アンジェリカの持つ力の片鱗を垣間見た男は、改めて底知れない力に畏怖を感じ取ると同時に、彼女という存在がこの国に絶対に無くてはならないものだと再認識するのであった。



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