第1章 -アルファからオメガへ-

第1節 -獣の穴にて-

* 1-1-1 *

 アンヘリック・イーリオン

 地下艦船ドックにて


 まるで、過ぎ去った遠い過去の日を思い出すようだ。

 連日連夜、絶え間なく鳴り渡る電動工具の立てる甲高い機械音と、重機器の唸るような重低音。

 この音を聞いていると、第三次世界大戦に向けて慌ただしく備えをしていた昔を思い出す。

 眼下で類稀なる威容を見せつけているのはネメシス・アドラスティアで、それは共和国での思い出が詰め込まれた、自分にとっての特別。

 とはいえ、今この艦船は空と地との間で交わされる最終戦争にむけ、大急ぎで修復と改修が施されている最中にある。

 フューカーシャの執拗な攻撃によって中破した左舷側の損傷は酷く、外装を元通りに修復するだけでも大仕事になることは間違いない。

 そのような、直近の天空城塞との戦闘によって傷ついてしまった艦体が復元されていく姿を瞳に映し出す少女は、近い未来に訪れる最後の戦い-ハルマゲドン-への思いを馳せていた。


 彼女の隣で気だるげな表情を浮かべるアビガイルは、小さいとは言えぬ欠伸をしつつ、物言わぬ彼女を横目に見据える。

 ネメシスの状況を見たいからと、此処に連れて来られて早十分。最初に二言三言、言葉を交わしたきり、彼女はずっと黙り込んだままじっと作業を見守っている。


『ボクに用が無いなら…… 連れてくるわけないよな。何を考えているのか知れないが、自分が納得できるまで考え事をした後で、おおよそどんな武装を新たにつけるつもりかをボクに聞くつもりなんだろうけど。いつまでこうしているつもりだ。さっさと済ませないと、立ったまま眠ってしまいそうだ』


 科学の力で、無理矢理に脳を覚醒させ続けるにも限界がある。

 カフェインは万能ではない。それ以外にも、ありとあらゆる手管をもって何とか持ちこたえているのだが――

 去る11月30日から今日に至るまでの十日間、徹夜と仮眠を繰り返してきたアビガイルの精神は文字通り限界を迎えそうになっており、今がちょうどその瀬戸際といったところだ。


 知ってか知らずか、アンジェリカは唐突に彼女を呼びつけるなりここへ足を運び、それから先は今に繋がるという状況である。

 黙っていると自然に閉じそうになる瞼を無理やりこじ開けるアビガイルは、いよいよもって襲い来る睡魔に耐えられないと思い、自ら隣に立つ少女へ声を掛けた。


「おい、アンジェリカ。聞きたいことか、何か用があるなら早くしてくれ。限界だ。このままだと立ったまま寝てしまう」


 すると、名を呼ばれた少女はネメシスから一度視線を外し、その美しい赤紫色の瞳にアビガイルの姿を捉え、可愛らしい笑みを湛えて言う。

「あら、それはそれで面白そうね」

 返事を聞いたアビガイルは内心で舌打ちをした。

「言っておくが、ボクはそこまで器用ではない。ものの例えだということを忘れないでほしい」

「分かっているわよ。でも安心なさい。もしここで貴女の意識が途絶えたとしても、私がきちんとノトスまで運んであげるから」


 そういう問題ではない。

 本質的な部分を早く始めてくれ。


 アビガイルが思った瞬間、つい心の中に秘めておくはずだった舌打ちが本当に音を立てて出てしまった。

 直後、渋い表情をしながら視線を逸らしたアビガイルを見て、アンジェリカは楽し気な笑みを浮かべて言う。


「冗談よ。貴女の言いたいことは分かっているつもり」

「質の悪い。つもりではなく、明らかに理解しているだろうに。総大司教と同じで、君がボクの考えていることを読み解くなんて造作もないことなのだから」


 にも関わらず、アンジェリカが本質的な言葉を何一つとして言わないことにも、きっと“意味がある”。

 アビガイルは彼女が意味の無いこと、いわゆる無駄を嫌う性質だと理解しているからこそ我慢してこの場に留まっているのだが、困ったことに“何の意味があるのか”までは掴めない。


 理由はどうあれ、何も問うことが無いならさっさとこの場を去ってしまっても構わないだろう。


 アビガイルはそう思い、後ろへと振り向きかける。

 ところが、ついに自力でノトスまで戻ることを決意しかけたアビガイルの心情をここぞとばかりに読み取ったようにアンジェリカは言った。


「ネメシスの修復作業にかかる期間はどの程度かしら?」

「十日だ」


 遅い。

 本題を尋ねるのが、遅すぎる。


 険しい表情と視線を手向け、アビガイルはぶっきらぼうに返事をする。

 ただ、当のアンジェリカ本人はそれをまったく意に介すことなく話を続けた。

「そう。貴女から送信されてきた仕様書には一通り目を通したけれど、結局プランAでいくことにしたのね? 見たところ、プランBの設計の方が理に適っているような気がしたのだけれど、どうしてかしら」

「君の船だからだ」

「その真意を私は聞きたいと思っている」


 初めからそう言え。

 なぜにこんなに回りくどいやり取りをする必要があった。


 頭の中で盛大な愚痴をこぼしつつ、アビガイルは言う。

「君が新たに手にした力との相乗効果というものを見込んでいる。要は相性の問題だ。君が指揮を執ること前提の艦船なのだから当然だろう?」

「そう、そうね。そうかもしれない」


 煮え切らない返事をしたアンジェリカは、再び視線をネメシス・アドラスティアへ戻した。

 そんな彼女を横目に、アビガイルは何となく彼女が何を言おうとしているのか悟る。


『なるほど。アンジェリカは自分抜きになった場合における、ネメシス・アドラスティアの単艦戦闘能力のことを気にしているわけか。

 彼女在りきで考えているボクと、自分以外を尊重するアンジェリカ。齟齬が生じることに、是非もない。

 質問するまでに間が長引いたのは、実際に艦艇の様子を目にして、プランの内容と自らの考えを厳密に照らし合わせて色々思考する時間が必要だったから。

 まったく、それならそれでもう少し立ち回り方というものがあるだろうに』


 真意を汲み取ったアビガイルは、結局どこまでもお人好しな彼女に呆れた目を向けて言った。

「“かも”ではなく、そうに決まっている。自分が乗艦していない時にこの艦がどう運用されるのかまで気にしているようだが、はっきり言って無駄な思考だ。何より、プランBは時間がかかる。物質的に実現不可能。万全な状態で仕上げられる保証はない」

「そういう貴女のはっきりしたところ、私は好ましく思うわ。それで? プランAの完成までに見込まれる所要期間は?」

「仕様書通り、十日だ。というより、さっきの話を聞いていなかったのか?」

「あら、私は“修復にかかる期間”と聞いたのよ? 改修にかかる期間は別口だと思っていたのだけれど」


 あぁ言えばこう言う。


 いよいよもって憮然とした表情を浮かべたアビガイルは苛立ちを隠さずに言った。

「そうかい。なら今の言葉を以てそのように理解してくれ。ボクは疲れた。寝に戻る」

 しかし、アンジェリカはそれを許さない。

「待ちなさい」

「まだ何かあるのか? 話は全てひとつにまとめてくれ。或いは順序立てて流れを作って欲しい」

「わがままね」


 どの口が言う。


 思いつつ、彼女がよくする“とある動物”の表情に似た表情を浮かべたアビガイルは、振り返ろうとしていた身体を再び彼女へと向けた。


 アビガイルがしっかりと話をする姿勢をとったことを見やってから、アンジェリカは自らの聞きたいことを尋ねる。

「それより、新たな改修を施すことで、おそらくこの艦の攻撃力と耐久力は向上するのでしょうけれど、機動性は僅かに落ちるわね?」

「重たい内はな。だが、新搭載のヒュペルカキアスを撃ち切った後はむしろ機動性も向上する設計にしてある。最初から全弾撃つことが前提だ。悪くない仕様だと思うが」


 ヒュペルカキアスとは、ネメシス・アドラスティア専用に新装する垂直発射型ミサイルの名称であり、目標追尾や目的に応じた弾頭の変更による広範囲戦術に対応可能な新武装である。

 ミサイルはヒューペルボレアを小型化したもので、搭載基数は400基。

 これを垂直発射装置、いわゆるVLS(ヴァーティカルローンチングシステム)と呼ばれる装置より射出する。

 VLSは従来より世界各国の軍艦で使用されているが、今回はこれを共和国艦船が扱いやすいように独自改良を加えた上でネメシス・アドラスティアに新装することが決定された。

 単純に言えば、四方八方から迫りくるフューカーシャに対するアンチテーゼの役割を担うことが期待されている。


 本来は戦術に応じて弾頭の使い分けが可能な点が売りのひとつなのだが、今回は相手が天空城塞であり、これを撃ち込む相手も必然的にフューカーシャに限定されることから〈メルクリウス搭載型散弾式弾頭〉が全弾に適用されることも決定済みで、この工程単純化措置によって武装の準備期間に大幅な短縮を加えることを実現した。

 また、こうした新たな武装を搭載することで増加する艦体重量に対し、機動性が犠牲になることも考慮してスラスターとバーニアの出力に調整も加えたものがプランAの全容である。

 城塞に近付けばすぐに湧き出るだろうフューカーシャの大群を相手とし、そう時間が経過しない内に全てのヒュペルカキアスを発射する前提ということから“機動性が犠牲になるわけではない”と言うのがアビガイルの主張なのだが、どうもアンジェリカはこの点を含めてプランAというものに懸念があるらしい。


 なぜかといえば至極単純。

 話は元に返り、このプランAと呼ばれるものが全て〈アンジェリカがネメシス・アドラスティアに乗艦することを前提として作られている〉からであり、“城塞に無事辿り着くまでに全武装を使い切りつつ、アンジェリカを含む一行をイデア・エテルナへ送り込むことまでしか考慮がされていないから”だろう。


 一見して彼女は猪突猛進で、何事にも無頓着なようにみえてその実、用心深い。

 特に、自分以外の者達の安全に関わる話になると、その傾向が殊更に強くなる。

 よって、彼女がもうひとつの“完全案”である〈スラスター出力などを大幅に向上させた上で、武装もさらにしっかりとした状態で作り上げる〉というプランBに惹かれるのも道理というわけだ。

 その方が、乗艦する者達の命の担保は確実に為されるわけなのだから。


 やれやれ、完璧主義者というものはこれだから困る。


 アビガイルは先に終えたはずの話を、敢えて蒸し返すように言う。

「どんな懸念を君が抱いているかは分かる。だが、達成が不確実なものを採用するわけにはいかない。プランBは理想ではあるが時間がかかり過ぎる。期限までに完成するかどうかという、1か0かの話になりかねない。

 理想のせいで目的を見失うようでは話にならないんだ。その点については、ボクよりよほど君の方が物分かりが良いと思っていたのだけれどね。戦争とは、そういうものではなかったかい?」

「確かに、万全の準備を整えた上で向かうことのできる戦場など無いでしょう。第三次世界大戦が例外なだけで、他に充足した戦場など存在するはずがない。けれど、その中でも程度の差はあって然るべきだと言っているの。

 貴女の言うことも十分に理解しているつもりよ。そもそも、プランBが理想ではあるけれど、達成できそうにないからプランAでお茶を濁すという仕様書を事前にもらっているわけだし」


 その言い回しはどうだろうか。

 何一つとして間違ってはいないが、そう言われると妙に腹が立つ。


「こっちもギリギリなところで試行錯誤したんだ。ボク一人の意見というわけでもなく、ルーカスと何度も何度も互いの意見を主張して確認し合った結果でもある」

「分かっているわ。それより、本人がいないところではしっかり名前を呼ぶのね。天邪鬼」

「何とでも言え。しかし、プランAで向かうしかないということは呑み込んでほしい」

「一言たりとも否定などしていないし、呑み込まないとも言っていないでしょう? ただ、ひとつ提案があるだけよ」


 だから、先にそれを言え。

 アビガイルは、なぜ自分の方が言葉を呑み込む立場に追いやられるのかと思いつつ、この後に彼女が何を言い出すか耳を傾ける。


『頼むから、ろくでもないことを言いださないでくれ』


 嫌な予感を覚えつつ、じっと耳を澄ますアビガイルにアンジェリカは事もなげに言った。

「ハルピュイア。プランBの中からひとつだけプランAに付け足して、これを実装しなさい」

「は? 今から作れと?」

「そうよ。何か問題でもあるのかしら」

「君が懸念する重量問題に拍車をかける結果になるんだぞ?」

「あれは絶対に必要だもの。特に、相手が光の王妃様だと考えれば尚更にね」


 あぁ、もう滅茶苦茶だ。


 たった今、大幅な“自分の”スケジュール変更を余儀なくされたアビガイルはついに苛立ちも怒りも何もかも通り越し、諦めの境地に至った。


 ハルピュイアとは単独飛行が可能な、小型レーザー砲塔と防御機構を備えた自立稼働式攻防一体型兵装のことで、アルゴスのAIが導き出す高度な戦況予測に応じて自動で敵を追尾して攻撃、或いは敵の攻撃を読み取って防御、またはそのいずれもを組み合わせて稼働する武装を指す。

 元々はカローンに搭載されていた武装を戦艦用に強化発展させたもので、既に空中機動戦艦群に搭載する目的で試作機が40基ほど開発済みだ。

 ただし、アルゴスと連携させる為のシステムプログラムが未調整であり、これが原因で第三次世界大戦時には運用はおろか搭載されることも無かった代物でもある。

 アンジェリカはこれを最終決戦までに使用できるようにして、ネメシス・アドラスティアに搭載しろと言う。


 つまるところ、再び寝る間を惜しんでハルピュイアとアルゴスの調整をしろというのが彼女の命令の全貌だ。


 こうなると何を言っても聞かないのが常である。

 意見を言うことを諦めたアビガイルはアンジェリカに言う。

「それが総統直々の命令だというのなら、従うしかないのだろうね」

「物分かりが良い子は好きよ」

「ボクはたった今、君が嫌いになった」

「天邪鬼」


 愛らしい笑みを浮かべるアンジェリカに大溜息をつくアビガイルは、それでいて先の彼女の言葉の中で気になったことを問う。

「それで、光の王妃相手にあれが絶対必要な理由だけは聞かせてもらっても良いかい? これを知るのと知らないのとでは調整に差が出るからね」

 すると、アンジェリカは笑みを消し去ってから、真剣な表情で答える。

「敵はフューカーシャだけではない。イベリスが本当の意味で敵になったというのなら、あの子が仕掛けてくるかもしれない攻撃に対する準備が必要なのよ」

「その特性は君の持つエニグマでもよく知っているが、果たして彼女がネメシスを狙うのか? 彼が乗艦することが前提とはいえ、ボクはそのようには思えない」

「同感。玲那斗をネメシスに乗せれば、あの子はネメシスを撃ってくることはないかもしれない。けれど、仮定の話で結論でもない。それに、ネメシス以外の艦艇を守る為にも有用なものだから」


 なるほど。実質的に攻撃されるのはネメシス・アドラスティアではなくイスメーネーとイオカステー。先の先を見据えた意見というわけだ。


 アンジェリカの言いたいことを理解したアビガイルは、話の趣旨を変えて問う。

「君は光の王妃様のことを、今どう思っているんだい?」

「屑ね。相も変わらず“許せない者”としか。あの子に元々備わっていた“少しばかり”の良心に期待した私が愚かだったわ」

「そうか。では、君自身は? 理想を実現しただろう彼女らに対して、理想を捨て去った君は最終的に何をどうしたい?」

「理想を捨てたと言えるのかどうかは知らない。けれど、何も考えていない。今はただ、目の前にある大きな障害を取り除くことだけに集中しているわ。千年の呪いというべき、長い長い悪夢を終わらせる為にね」


 返事を聞いたアビガイルは、それ以上は彼女に何も問い掛けなかった。

 元々彼女の真意など知る必要もないが、今は彼女自身の中でも本当に答えなど見つかっていないのだろう。

 そのことを、とやかく追及することに意味があるとも思えない。


 すると、黙り込んだアビガイルをみたアンジェリカは、互いの話の終わりを確信したように穏やかな表情を浮かべて言う。

「さてと。貴女はもうノトスに戻って良いわよ。私はまだここでやることがあるから」

 そう言ったアンジェリカは、自らの隣に置いてある巨大な箱を手でぽんぽんと叩く。


 アビガイルには、彼女の言う“やること”が瞬時に理解できた。

『例のアレか。恒例のばら撒き。こういうところは本当にマメだな』

 ドック内で働く作業員に向けた、軽食や飲み物などの大規模な差し入れ。昔から変わらずやってきたアンジェリカの気配りで、アンヘリック・イーリオンで働く人々からはこれが非常に好評なことも知っている。


 きっと、“アンジェリカが配るから”意味があるのだろう。


『幸せな奴め。誰にも必要とされていないなんて、君のただの思い込みだ。自己肯定感の低い奴というのはどうして、こうも』


 内心でそう思いながら、アビガイルは特に何を言うこともなくその場を後にした。

 間もなく、背後から非常に愛らしい声が響く。


「みんなぁ~☆ 休憩、休憩ぃ~♡^∀^」


 作業の手を止めて彼女を見やる兵士達につられるように、ちらりと後ろに視線を向ければ、身の丈の3倍はあろうかという巨大な箱を軽々と持ち上げるアンジェリカの姿が見える。

 あの箱の中には、実に数百キロの様々な代物が詰め込まれているはずなのだが……


 これもまた日常だが、何度見ても慣れない。

 あの華奢な体で普通、そんなことが叶うものか。

 人間の肉体的構造の限界や、物理法則というものを完全に無視している。


 彼女の怪力に戦慄を覚え、顔を引き攣らせたアビガイルは視線を前に向け直し、それでいてふっと口元を緩めて呟く。


「何も考えていないと言ったが、嘘だな。君が最後に何をどうしたいかなんて当の昔に決まっている」



 どうか、この何気ない日常が末永く続きますように――

 彼女は心の底から、そう願っているに違いない。


「まったく、天邪鬼はどっちだ」


 アビガイルは悪態を付きつつも、笑みをこぼして長い回廊の果てにあるノトスを目指した。

 今度こそ、しっかりとした睡眠をとる為に。

 ついでに、ポケットから取り出したスマートデバイスから、すっかり相棒と呼ぶにふさわしくなった“彼”に超高速でメッセージを打ちながら。



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