町や調査事務所

橋田紘

1 通話に因る呪い

「こ……こんにちわぁ」

 こんにちは、何歳?

「えっと、十六歳……です」

 今、何してたの?

「今日、学校お休みしてて……さっき起きて、シャワー浴びてきたところで……」

 じゃあ部屋着?

「はい、ふわふわで……ピンクの、です」

 ……何カップ?

「……E……です……」

 じゃあちょっと、顔とか体とか見せてもらってもいいかな――。


「――ンな声で鳴くJKがいてたまるか、クソが!」

 事務所の中で、ドスの効いた声が響く。ぼくは大きな声があまり得意ではないので、堪えきれず耳を塞いだ。

「あ、切れた。……昼間っから下ネタばっか、頭沸いてんだな」

 ぼくの持っていた箒がカラン、と音を立てて床に落ちる。それをうちの所長が見逃すはずもなく。

「サボるなよー、相模。ボーッと突っ立ってるだけのこの時間にも、給与は発生してんだぞー」

スマホから視線は逸らさず、こちらにお叱りの言葉が飛んでくる。デスクに座っている、タンポポみたいな金髪と、子供っぽい風貌の男。黙っていれば純粋無垢な洋風の少年だが、口を開けば――いや、すでに、既に態度からぐーたらのおっさんがにじみ出ている。鏡を見たことがないんだろうか、この人は。

「……サボってるのは、そっちじゃないんですか」

 ぼくは箒を拾い上げ、傘立ての横のフックに引っ掛ける。人には掃除をさせておいて、と愚痴が少し漏れる。

「遊んでるなら、ぼくの雑用仕事手伝ってくれてもいいのに」

「遊んでねーよ。依頼だ依頼」

「依頼って、ネカマが、ですか? 詐欺の片棒担ぎたくないんですけど」

「十七のガキの依頼だよ。電話口で呪われた、って」

「……また呪いですか」

 「町や調査事務所」。所長は町屋百舌まちやもず。表向きはただの探偵だが、その専門は世に蔓延る「呪い」だ。そこで、ぼく――相模一夜さがみひとやは助手としてアルバイトをしている。

 今回の依頼人は西野初音にしのはつね、十七歳。私立花麦学園在学中の高校二年生。友人と遊び半分で、匿名通話アプリを使っている間に呪われた。町屋さん曰く、通話相手の「言葉」を原因とする呪い、だそう。

「最近マジで、ヤバいんです。寒気とか視線とか、後ろから声聞こえたりとか。警察とかにも言えなくて、だからっ……お金はちゃんと払います! お願いします、助けてください!」

と、懇願されたらしい。

「電話で? 相手の性別とか、大体の年齢とか、名前とかは」

「知らないってさ」

「通話履歴とか、そういうので辿れたりしないんですか」

「無理だな、匿名が売りのアプリだから」

「じゃあ、通話の内容。なんて言われたんですか」

「覚えてないんだと。――依頼人はその日、友人の家に泊まった。友人たちが席を外している間、一人でアプリを使っていたところまでは覚えてる。だが、その後からは記憶が無く、気づいたら朝になっていた。その日以降、自分は呪われた、と思い込むようになった」

 依頼の内容が簡単にまとめられたメモを手渡された。が、ほとんどの項目が白紙だ。

「それじゃあ、調査のしようが無いじゃないですか」

「だから、俺も断ろうと思ってた。でも」

 別の依頼が三件、全く同じ内容で来たそうだ。

「しかも、依頼人全員が同じように覚えてないの一点張り。なのに呪われていることだけは分かるときた。不自然すぎるんだよ」

 不自然なところに呪いはある、とつぶやく。彼の持論らしい。

「という訳で、お前も調査頼んだ。母数は多い方がいいだろ」

「はいはい」

 この事務所で町屋さんの言うことは絶対である。断ったところで仕方がない。

「しっかし、世も末だな。下半身に脳みそが付いてるような奴しかいねぇ」

「依頼人の西野初音、私立のお嬢様学校じゃないですか。……また依頼料吹っかけたんでしょ、町屋さんの脳みそは金庫についてるんですね」

「親が払ってくれるってんだからいいだろ」

「……いいのかなぁ」


 ――蜂が群がる薔薇の様に、蛾が引き寄せられる焚火の様に、お前は呪いに愛される。

 初めて町や調査事務所に立ち入った時、ぼくは町屋さんに、日本刀で切りかかっていた、らしい。当時のことはほとんど覚えていないが、その刀の呪いにかかっていたそうだ。

 ぼくは呪いに愛される体質だ。それが判明したのも町屋さんに会ってからなのだが。よく十九まで生きられたな、と笑われた。

 どうして呪い専門の探偵などやっているのか、と聞いたことがある。町屋さんは「呪いに嫌われる呪い」とやらにかかっているらしい。その呪いは「老い」や「死への恐怖」も呪いとして捉えるため、ほとんど不老不死のような体質なのだそう。あんな少年みたいな見た目をしておいて、実年齢は三十代後半らしい。

 ――お前と俺は真逆なんだよ、だから俺たちは、この仕事ができる。


 大学の講義も終わり、アパートの一室に帰ってから、例の通話アプリを開く。

 西野初音の依頼、また他の三件の依頼、昼間の調査などから情報をまとめ、町屋さんは今回の呪いの発生しやすい条件を絞った。

 時間は深夜一時から三時。人数は必ず一人。出来るだけ安心できるパーソナルな場所。ぼくはベットに腰掛けて、通話のボタンを押す。すると、男の声が聞こえた。

「こんばんわー」

「あ、こ、こんばんは……」

 ぶつん。

 男と分かった途端、すぐに切れてしまう。どうやら女性目当てのユーザーが多いらしい。町屋さん曰く、「あっちからすぐ切ってくれれば時間も手間取らなくて済む」だそう。じゃあなんで昼間はわざわざ女声でやってたんだ、と問い詰めたくなったが、面倒臭くなりそうなのでやめた。

 お金に関しては律儀な人なので、この深夜三時間分の給料を貰った。その分ぐらいは働こう、と、ぼくはまた通話のボタンを押した。

「こ、こんばんは」

「……」

 すぐには切られなかった。だが、相手は一向に話そうとしない。ぷつん、ぷつん、と回線がうまく繋がっていないような音がする。

「あの、もしもし」

「な……じ、……を……、……んじ、わ……を……せ」

 雑音が多くうまく聞き取れない。しばらく待って、もうそろそろ切ろうとした――その時だった。

「汝、我を愛せ」

突然、鮮明にその一言だけが聞こえた。

「汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せ汝我を愛せなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせなんじわれをあいせ」

「――っ!」

 まずい、早く電話を切らなきゃ。日常の陰に潜み、隙を衝いて人を食らう、不自然な現象である。これはきっと、呪いだ。

 無感情な男の声はなおも繰り返す。頭がぐらぐらする。意識がぼうっ、と遠のいていく。体が鉄の塊になったみたいに重い。

「……だめだ、これ……」

 ぼくの意識はそこで途切れてしまった。


 翌日、ぼくは大学の講義を受ける前に事務所に立ち寄った。

「どうよ、潜入捜査。うまくやってる?」

 町屋さんは昨日と同じようにデスクに座り、こちらに目もくれずスマホをいじっている。

「収穫なしです、特に何も」

「もうちょっと詳細に。まとめて依頼人に報告しなきゃならねえんだから」

「……そうですね、昨日は――」

 ふと言葉に詰まる。昨晩、何があったか全く思い出せない。

「――違う、まさかそんなはずは」

「相模君……それ直しな、って前にも言ったろ」

 相模君。町屋さんがそうやって言葉遣いを丁寧にするときは、ぼくに――ぼくの中に取り憑いた「呪い」に話しかけるときだ。そうか、ぼくは呪われたのか。

「な、何がですか」

「だから、その愛されたらし体質。やめなって、変なのに狙われるよ」

 テーブルに足をのせ、ぼくを見下ろすように言ってくる。とん、と少し小突かれただけでよろけてしまい、ぼくはソファに座り込む。

「って、もう手遅れか」

 したくてしてるわけでもないもんなぁ、と耳元で言われる。聴覚はまだ働いている。だが体の感覚はほとんどない。視界は霞み、手足は座った状態のまま、ピクリとも動かせない。いつの間にか呼吸すら難しくなっている。

「しばらく眠ってな。大丈夫、起きたらいつも通りだよ」

 瞼を指先で撫でるようにして、町屋さんはぼくを眠らせる。遠のく意識の中で、耳に町屋さんの言葉だけが残った。

「かなり馴染んだようだ、こいつの中は居心地がいいだろう。だが、呪いの材料として使うには、少し善人過ぎた」


 五時のチャイムの音がして、ぼくは目を覚ます。眠った時の体勢のまま、ソファに腰掛けている。

「気分はどうだよ、相模」

「……あんまり、よくないです」

ぼくがそう返すと、相模さんは、

「そりゃ、呪われた後だもんなぁ」

と言って苦笑した。

 町屋さんはぼくに水の入ったコップを手渡した後、今回の件について説明してくれた。

「電話というツールを介して、人から人に伝播する呪い。……今回重要なのは、『広がる』呪いじゃなくて『移動する』呪いだったことだ」

 同時に呪われる人間は、最大でも四人まで。通話アプリを使い、数珠つなぎのように移動していく。

「そして、最適な苗床が見つかったら、そこに一斉に集まる」

 呪いに愛される人間。一度掴んだら、二度と手放したいとは思わない。

「……呪われたままだったら、ぼくどうなってたんですか」

「まず正気でいられないだろうな。苗床が決まったら、それから次のフェーズに移る。お前の思考や体を操って、身近な人間に呪いをまき散らし、またそれを回収して、お前の中で呪いは成長していく。言葉が媒体だから楽だろうな、道をすれ違っただけの相手でも簡単に手駒にできる。そのうちだんだん伝播していって、最終的にお前が一言発しただけでそれを聞いた奴らは」

「それ以上はいいです、聞かないでおきます」

 ぼくが言葉を遮ると、町屋さんはにやりと笑って、

「賢明な判断だな」

と返した。事務所の中に夕日が射し込んで眩しい。町屋さんの顔も陰になっていてあまり見えない。――夕日?

「あ、大学の講義!」

「あちゃー、サボりか相模、失敗したな。あ、ちなみに、お前が寝てた間の給料は無しだぜ」

「……もうこのバイト辞めたい……」

 ぼくは思わずため息をつく。町屋さんはずっとにやにやとしている。

「そう簡単に辞められると思うなよ。お前に斬られた右肩、まだ痛いんだよなぁ?」

「……はいはい、分かってますよ」

 ソファから腰を上げ、ぼくは仕方なくいつもの雑用に取り掛かった。


 ――蜂が群がる薔薇の様に、蛾が引き寄せられる焚火の様に、お前は呪いに愛される。その身が朽ちるまで終わることはない、底なしの愛という呪い。そういう恐ろしいものから、俺はお前を守ってやる。なんせ、俺はそいつらに嫌われてるからな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

町や調査事務所 橋田紘 @HHasida01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ