【11】

願い事は願ってるときが一番幸せなのかもしれない。



【11】



 どうも夜詩くんは恋をしているらしい。グループワークにきちんと通い、誰かとよく連絡を取り合っている。あれだけ髪を切るのもサボっていた人が、身なりを気にするようになった。真面目に仕事をして、規則正しい生活をして、夜詩くんの部屋はいつ訪れても綺麗だ。

 めでたしめでたし。

「デート?」

 僕は帰ってきた夜詩くんに尋ねる。母親と些細なことで喧嘩をし、逃げ場所である夜詩くんを頼った夜10時。先に入っててと言われて、僕は合鍵で冷えた部屋に転がり込んだ。

「……………別に。デートってほどじゃ」

 マフラーをほどいて夜詩くんは言う。そのマフラーもコートも、僕が見繕ったものだ。似合ってる。腹立つ。

「それで? 今回はなんの喧嘩?」

「どこにデートしてきたの?」

「だからデートじゃないって」

 コートとマフラーを椅子の背もたれにかけ、夜詩くんはキッチンで手を洗う。水を飲む。ソファに寝転がっていた僕は身を起こす。

「でも女の人と二人だったんでしょ」

「………………食事しただけだよ」

「デートじゃん」

「安直な発想だ」

「好きなんでしょ?」

「……人としてね。姉さんには僕から連絡しようか?」

「………………夜詩くん、その人と付き合うの」

「そういう仲じゃない。この話終わり」

「再開。……………その人と、夜詩くんが書いてる小説みたいなこと、する?」

 ダンッと強くキッチンにグラスは置かれる。夜詩くんは手をついたままうつむく。痛い沈黙。氷で出来た針。

「………………………絶対にしない。……………だいたい、何書いてるか知らないだろ」

「知らないけどなんとなくわかるよ」

「……………今日はやたらつっかかるね。まだなんか怒ってる?」

 大人の余裕でもって夜詩くんは僕の隣にやってくる。夜詩くんは他人に怒らない。全部自分のせいにする。人には人の事情があり、ものごとにはタイミングがあり、どんなにムカつくことでも宇宙規模で考えたら微塵より極小で刹那だと夜詩くんは処理する。嫌いだ、そういうところが。

「…………ただの八つ当たり」

「そう」

「夜詩くんがいないのが悪い」

「ごめん」

「いてほしかった」

「……ごめん。……さびしかった?」

 隣に座った夜詩くんは僕の頬に触れる。

「僕よりその人のが大事?」

「………………比べる対象じゃない」

「僕が子供だから?」

「違うよ。……………人に優劣をつけるのは良くない」

「表向きはね。主観は利己的に判定してる。で、どっち」

「……………」

 夜詩くんは困り始める。

「……ハツのが大事だよ」

「なんで?」

「……………………身近だ」

「血縁関係が?」

「そうじゃない。……………それもあるけど」

 僕より大事な人作らないで。言いかけてやめる。それはちょっと、あまりにも直接的すぎる。

 親が再婚するときの子供みたいな気持ちだ。不愉快。嫌悪。不安。孤独。母のすごいところは僕に一切の父親役をやらせなかったところだ。母子家庭にありがちな男手の必要性を彼女は優秀な頭脳でもってなるべく排除した。ついでに僕には夜詩くんがいた。おかげで僕は母の騎士役を仰せつかることなく、彼女に言えない悩み事は夜詩くんに打ち明け、こうしてすくすくと健全に育ったわけだ。

 馬鹿みたい。

「君のことはすごく大事だ」

 夜詩くんは言う。

「だから、…………でも、変わらなきゃ。今までが間違ってた」

「今は正しいの?」

「正しい……………はずだ。人並みに生きてる」

「それって楽しい?」

「…………………」

「前の夜詩くんのほうがよかった」

 夜詩くんは泣きそうになる。困っている。悲しんでいる。うろたえている。傷ついている。

「前のがよかった」

「……………」

「今はなんか、別人みたい」

「生まれ変わったんだよ」

「何それ。馬鹿みたい」

「………………」

 僕はわざと人を傷つけておいて、反省しない。今は、まだ。

「まだ怒ってる?」

 夜詩くんはおずおずと僕に聞く。

「…………………分かんない。……触んな」

「ごめん」

「……………………嘘。触って」

 もう一度頭を撫でられたくて、夜詩くんに寄りかかる。軽くぽんぽんと撫でられて終わった。

「違う。……………もっと」

「………………」

「………………………もっと」

「駄目」

 離れようとする夜詩くんの腕を掴んで逃がさない。

「抱っこしてよ」

 あ、それはしてくれるんだ。

「……………………夜詩くんなんか嫌いだ」

「そうなの?」

「……………………うん。……好き」

「どっち?」

「好き」

 可愛い、と夜詩くんはより僕を抱きしめる。可愛いなんて言われたくない。どちらかといえば喜んでる夜詩くんのが可愛いと僕は思うけど、そんなの絶対口にはしない。

「夜詩くんは?」

「ん?」

「僕のこと好き?」

「好きだよ」

 キスしようとしたら避けられた。遮る手のひら。

「手ぇ邪魔」

「…………………あのね、……やっぱり……君は友達とかと、こういうの、するんだろうけど、」

「するわけないじゃん」

 固まった大人をソファに転がす。唇を奪う。目を真っ赤にして泣く顔。懐かしい。久しぶりだな、その表情。

「……………しないよ、普通」

「だって、だって、…………だって、」

「しません」

「…………………騙したな」

「騙される方が悪い」

 抵抗のひとつも出来ない夜詩くんの唇を何度も奪う。恐怖にすくんでる夜詩くんは人形みたいにおとなしい。ほら、すぐに泣く。やっぱりそうしてるほうが夜詩くんにはお似合いだよ。

 僕は夜詩くんにスマホを持ってこさせて、うちの母にメッセージを送らせる。今夜は帰らない。……母が来ないよう、文章は工夫する。震えながら夜詩くんは端末を操作する。人が見ていると余計打ち間違いの多い指先。猫背。惨めな顔。次の指示を出さない僕を、不安そうにチラチラと見る。

「……………………夜詩くん」

「はい」

「嫌なときは抵抗していいんだよ」

「………………」

「怒ってよ。嫌なことされたらちゃんと嫌だって言ってよ」

 夜詩くんは泣いている。首を横に振る。グループ療法で夜詩くんは過去のことを話したり苦しみを誰かと分かち合ったりしたんだろうか。思考にするだけで気の狂うことを、言葉にして表に吐き出せたんだろうか。

「夜詩くん」

 酷いことしてごめんね。僕は謝る。声もなく涙を流す大人は簡単に僕を許す。それが僕には許せない。ちゃんと愛されたくて、ちゃんと叱ってほしい。認めてほしい。解りたい。夜詩くんはいつまで孤独でいるつもりなんだろう。

 僕たちは一番大切な話をしない。未だに。それが僕には酷く悔しい。

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