【10】

 人生の最後に聴く音楽は、なんだろう。


【10】



「夜詩くん」

 退屈な夏休みも後半に差しかかって、ある日友達と遊び回り、疲れて家に帰ってきたら夜詩くんがいた。元気そうで驚く。だいたいうちに来るときの叔父は、うつむき、惨めに震えて縮こまっているのだ。

「お母さんは?」

「買い物出掛けた」

 どちらからともなく抱きしめあう。これ、お母さん見たら怒るんだろうな。いなくてよかった。

「またお世話になります」

 夜詩くんは言った。退院後はいつもしばらくうちに泊まることになっている。きっと誰かの観察がまだ必要なんだろう。

「ちょっとは元気になったの?」

 顔をまじまじと見つめる。頭を撫でられた。

「ちょっとどころかだいぶかな。早く仕事がしたい」

「お仕事?」

「連載を止めてる。他にもいくつか」

「養生しなきゃ駄目だよ」

「難しい言葉知ってるね。大丈夫だよ」

 夜詩くんは僕から離れる。あれ、いつもなら、もっとぎゅっとしてくれるのに。……母がいつ帰ってくるか分からないし、ここは夜詩くん家じゃないから、仕方ないか。

 制服から私服へ着替え、僕はリビングで本を読んでいる夜詩くんの隣に座る。

「何読んでるの」

「瞑想。やったほうがいいらしいよ」

 夜詩くんは本の表紙を僕に見せた。綺麗な朝焼けの写真と、自己啓発的な文言やタイトル。

「なんか変わるの?」

「どうかな。まあ、治療に有効ならなんでもするよ。……他にもいくつか始めたんだ。いつまでもこのままじゃいけないと思って」

 違和感。夜詩くんはグループワークにも参加するのだと僕に話す。

「外に出るの嫌いじゃん」

「でも病院だけは行ける。……たまに延期してもらってたけど。これも治療の一環だから行けるだろうって。先生が」

「ふうん。……………夜詩くん、人と喋れる?」

「無理だろね。でもやってみることが大事だよ」

 なにそれ。僕はなんだかつまらない。でもそんなこと言えない。だってこんな夜詩くんを見るのは初めてだ。病気に向き合おうとしている人を邪魔してはいけない。

「よかったね」

「そうだね。……………もう腕は切らないよ」

 夜詩くんは僕と指切りをする。僕はそんなことしたくない。死にたいほどつらい思いを切り傷で誤魔化せるならそれでいいじゃないか。あらゆる幸福は夜詩くんをちっとも助けてくれなかった。痛みで救われる人生。浮上しては沈降し、期待しては絶望する。…………今まではそうだったのに、これからは違うって? そんなのとっくに信じてないのが夜詩くんじゃないの?

 僕は夜詩くんと小指を絡める。結論としては、夜詩くんに幸せになってほしい。彼がいいなら、これが正解なんだろう。

 買い物から帰ってきた母はてきぱきと料理を作る。入院中にあった面白おかしい出来事を、夜詩くんは夕食の際に披露する。いつもなら無表情で聞こえないふりをする母も、思わず笑ってしまう。僕だって笑っている。

 団欒。

 退屈な映画の中盤。

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