【09】4

 家に帰りご飯を食べ風呂を済ませ、さっさと自室にひきこもる。夜詩くんに会いたいと思いながら寝て、夜詩くんに会いたいと思いながら起きた。

 …………………物凄く滅茶苦茶な夢を見たらしい。感覚は残っているのに、何一つ思い出せず、ただ身体が重たい。これが夢の後遺症ってやつ? 夜詩くんに聞きたい。会いたい。話がしたい。大切ではない話を延々としたい。

 起きなきゃいけない時間に起きず、だらだらとベッドから出ないでいたら母が来た。

「遅刻するわよ」

「……………学校行かない」

「行きなさい」

「やだ。……夜詩くんとこ行くんでしょ」

 鍵は僕が持ってるもん。母はいつもの眼差しでこちらを見る。いつもなら言葉巧みに僕を操るのだが、今回は何故かあっさり我が儘を許してくれた。昨夜揉めたからか。……………いや、単にむこうも疲れているだけかもしれない。

「人のせいにして学校をサボるのね」

 それだけ言い残して彼女は階下へ降りる。今回は物理的要因も絡むじゃん、と思うけど言い争いをしたくないのでまだしばらくベッドに横たわる。夜詩くんのせいで僕が何らかの「普通」から外れれば(たとえば学校をサボる等)、それはすなわち悪影響ってことだろう。でも鍵は僕が持ってるもん。母に渡したくはない。

 学校に連絡してくれている母のそばを通りすぎ、僕は食卓のテーブルに着く。目の前に置かれたご飯と納豆と味噌汁。それからウインナーと目玉焼き。

 二人暮らしなら椅子も二脚でいいはずなのに、きちんと四つ納められた四角いテーブル。シンプルを好む母にしては不自然だ。セットでなきゃ買えなかったのか。それとも、たまの泊まり客のためだけに年中用意されているのか、ただ単に感性の問題か。二脚だと見栄えが寂しい? あ、意外とありうるかも。どのみち他人の思考は僕に分かるわけもなく、聞いたほうが早い。

「ご飯食べちゃいなさい」

「このテーブルってどうしたの」

「何が?」

「選んだ理由」

「……あなたが生まれた頃におばあちゃんが買ってくれたのよ。急にどうしたの」

「なんでもない」

 なるほど。いただきますと合掌をして、箸を持つ。物事には必ず因果があるのだ。お父さんとお母さんと僕。三人がけはなかなか売ってないから、四人がけにしたのだろう。もしかしたら、もう一人子供を、とも考えていたかもしれない。

 こういうありきたりな空想も、まやかしのストーリーに違いない。脳は物語が好きだ。物事が接続されていると容易に覚えられる理由までは知らない。英単語30個はそのまままだとすぐに記憶できないのに、連想結合法を用いて瞬間記憶能力を向上させることが人には可能だ。つまり逆に、わざとバラバラにして覚えていなくさせることも人間には可能ではないか。細かく引きちぎった写真を、細部までは絵に再現出来ないように。

 いつも慌ただしい早朝をのんびりと過ごして、それから夜詩くんのマンションまで向かう。道中、母とは無言だった。










 鍵を開けて部屋の中に入る。昨日の慌ただしい空気がその間ま残っているような気がして、僕の脳は自動的に記憶を再生させる。母は僕に換気をするよう言った。思考を振り切って、リビングに向かい、窓を開ける。のどかな薄い青空。

 母はいつものようにてきぱきと行動する。汚れた布団を紐で縛る。汚れた床を拭く。散らかったものを片づける。それから持ってきた鞄に、夜詩くんの衣服を幾つか詰めていく。彼女の手が止まったのは、クローゼットを開けた時のみだった。嫌そうな顔をして、溜め息をつく母に僕は問いかける。

「なに、どしたの」

「…………………あの人、ハンガー逆にかけるのよね……」

 普通、こちらから向こう側へかけるものを、夜詩くんはわざわざ向こうからこちらへ引っかけたがる。心底嫌そうな母を笑って、僕は聞いた。

「なんかすることある?」

「大丈夫」

 そうですか。

 家主のいない部屋をうろうろ見て回る。リビングの横にはドアのない、アーチ状の出入口がある。その中の部屋を夜詩くんは書斎としていて、壁一面を本棚がずらりと覆い、原稿や草稿のメモ、その他必要書類等が几帳面に管理されている。書架のせいで部屋は圧迫的な雰囲気があり、なんとなく歪んでいる気もしなくはない。

 夜詩くんの書いた本もそこにあり、一番下の段に並んでいる理由は、人の視線を避けるというより他の作家と同列以上に置きたくないからだろう。わざわざしゃがみこんで覗かなければ見えない、黒い背表紙。………………母が僕を呼んだ。

「何してるの、そんなとこで」

「別に。暇潰し」

 僕と入れ替わりに母は書斎へ入る。何もかも気に入らない、という目で置かれた本を睨む。僕は母が下段を気にしないかこっそり見張る。

「あなたにはふさわしくない相手だと思わない?」

「何が?」

「……………………………………………………………」

「…………………………………………僕と夜詩くんが仲良くなるの、そんなにやだ?」

「嫌よ」

 母はキッパリと言った。

「なんで?」

「理由は何度も説明した」

「学校の成績だっていいし友達たくさんいるし家の手伝いだってしてるし、他に何が必要?」

「あなたはよくやってるわ」

「やってるよ。頑張ってるよ。いい子だろ? 他に何すれば認めてくれるんだよ。付き合う友達は自分で選ぶ」

「そう」

「僕は夜詩くんと友達」

「『友達』って年齢じゃないわね」

「友達って『年齢』じゃないよね。啓太んとこのまーくんも、駿河のじいちゃんも僕、友達だもん」

「まーくんって誰」

「啓太の弟。五歳」

「……………私の弟以外で選んで頂戴」

「……………お母さんはなんでそんなに夜詩くんのこと、嫌いなの」

「嫌いじゃないわ。…………………ただムカつくの」

 普段の彼女らしからぬ単語を彼女は使って、何もなかったような澄まし顔をする。

「…………………………僕、兄弟いないから分かんないんだけど、」

「欲しい?」

「違う、そういう話じゃない。やめて。………みんな仲悪いよね」

「家庭によるわ」

「友達とかだいたいそうだよ。兄弟喧嘩するくせに一緒に出掛けるの、なんなの?」

「家族って感じでしょ」

 行くわよ、と母は話を切り上げ、重たいボストンバッグをしょい直す。僕が持つ。受け取って、部屋をあとにした。

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