【09】3

 母の車で帰路を辿る。夜のドライブ。やっぱり夜詩くんは入院するらしい。明日になったら管理人さんにあれの部屋の鍵を開けてもらわなきゃ、と母は言う。母は絶対に夜詩くんを名前で呼ばない。

「なんで?」

「着替えとか」

「ああ…………。あ、ていうか僕鍵持ってるよ」

「………………………………………」

 口が滑った、と気付いて冷や汗。

「いやあの、ほら、今日出るときに。必要かなって思って」

「…………………………」

「違うよ? 夜詩くんの鍵だってば」

 そっぽをむいて言う。夜景が綺麗だなあ。

「…………………………あなたって本当に嘘が下手ね」

「嘘じゃねーし」

「お母さん、嘘つく子は嫌いよ」

「嫌いで結構」

「ってことは、嘘なのね」

「…………あー」

 車が急に左へ進んで、路肩に停車する。マジかよ、そこまで怒られることなの、これ。

「多少なら目をつぶろうと思っていたけど……」

 本気で怒っている声が右からする。絶対そっちを見てやんない。

「僕の勝手だろ」

「あれに物事の分別はないし、あなたもまだそこまで大人じゃないのよ」

「………あっそ」

「今後はあれとは関わらないで頂戴」

「やだ。なんでそこまで言われなきゃなんないの?」

 あんまりな発言に僕は母を睨む。

「悪影響しかないからよ。今回のでよく分かったでしょ」

「僕、べつに夜詩くんのこと、」

「とにかく駄目。渡しなさい、鍵」

「やだ。ほっとけよ、関係ないだろ」

「あるわよ母親なんだから」

「友好関係に口出す親がどこにいんだよ」

「いるわよそこらじゅうに。悪いことしてれば正すわよ」

「悪いことしてない!」

「……まだ分かってないんでしょう」

 子供扱いされて瞬間的にキレた。シートベルトを外して車を降りる。

「雪ちゃん!」

 その呼び方やめろよ。目の前の植え込みを飛び越えて舗道に入る。どこだここ。どこでもいいか。もう知らない。どうでもいい。

「待ちなさい!」

 僕はひたすら歩いていく。もうやだ。もう、うんざりだ。怒るのに慣れてない僕は既に困っている。逆ギレを含んでいることはわかっていた。何回もキスしてる。もっと変なことだってしてる。バレたくない。言わなきゃバレないだろうが、仲良しだということさえ本当は母に知られたくなかったのだ。何もかもを夜詩くんと僕だけの秘密にしておきたかった。

「雪ちゃん!」

 腕を掴まれた。払いのける。

「いい加減にしろよ!」

 僕は大声を出した。溜まってたものが噴き出す。

「じゃあ自分はいつでも正しいのかよ。僕が間違ってるってなんであんたが言えんだよ。やだよもう。意味分かんない。なんで全部決められなきゃいけないんだよ。なんで僕が言うこと聞くと思ってんだよ。つーか父親誰なんだよいい加減教えてくれよ!」

「………………………………………………」

 母の返答はなくて、ただ僕を見ているだけだ。それが余計に僕をイラつかせる。

「………なんで言えないんだよ。なんでいっつも教えてくんないの? 自分は思い通りに好き勝手生きてるくせになんで僕はそうしちゃいけないんだよ。もううんざりなんだよ。干渉してくんな。あんたが決めんな。勝手に僕を制限するな!」

 頭がくらくらとして、しゃがみこむ。ずっと言いたかったことを言えた。心にもないことを喚いた。そのどちらともで気分が悪くなる。どうせ母は答えないのだ。この程度で容易く父親の話をしてくれるなら、幼稚園のときに僕が泣きわめいた時点で教えてくれたはずだ。

 ────なんでうちにはおとうさんがいないの?

 母が何を考えているのか僕には分からない。ただ時間だけが過ぎていく。寒すぎてここにはずっといたくない。向こうが話すまでは動いてやるもんかと決心しても、肉体的なつらさは意地を凌駕する。

 帰るわよ、と母は言って、踵を返した。今まで勝てた試しがない。僕は仕方なく立ち上がり、とぼとぼついていく。

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