【05】2
「あ、……」
戸惑って逃げようとする夜詩くんの唇を捕まえる。夜詩くんは顔を真っ赤にして縮こまる。可愛い。怖さをわすれてうろたえる目は、絶対にこちらを見ない。うーん、ベッド行きたい。別にここでしてもいいんだけど。
「やだった?」
「…………………」
「…………………」
経過観察。
駄目と言われないので、もう一回してみる。もう一度。…………また。…………うん。今日はこのへんでやめとこう。困らせたくないし。
フードを被ったままの頭をぽんぽん軽く撫でて、僕は離れる。困らせたくない。僕も困るからだけど自分本位で考えてはいない。はずだ。祈りに似た気持ちがあるから。夜詩くんが困ると僕も困るのだけど、僕が困るから夜詩くんを困らせたくないのではない。ここの順序はだいじ。
特にすることもないので、部屋を片付け始める。山のものは山へ。海のものは海へ。母は床にものを置かない主義だけど、夜詩くんは違う。親の教育方針をどちらが色濃く受け継いだかは、定かでない。何故なら、祖父母の家は昔ながらの大きな家にいろんなモノを溜め込むタイプで、母は必要なものしか買わないし、夜詩くんは普通あるべき必要なものがない。生活家電、生活家具の欠如。夜詩くんの独り暮らし歴は長いが、わりと最近まで冷蔵庫もベッドもなかったのを僕は知っている。収納家具は今もないので、クローゼットや備え付けの戸棚へモノをしまっていく。はさみ。いっそ捨ててしまいたいけど、作家だし引きこもりなので、届く本やその他の梱包を解くのに使用している。荷物専用とか札をつけてやろうか。
※本製品は自傷または自殺行為に適していません。
※液体が刃に触れると錆びやすくなります。
※人間にむけての使用はご遠慮ください。
次第に日は暮れていく。
夜詩くんはまだ泣いている。
飛び降りたら死ねそうな高層階のベランダで、夜の来るのを見る。オレンジ色は僅かに、まだむこうのビル群の隙間に残っているけど、頭上には小さな星が光っている。
「帰るね」
ベランダから部屋に戻り、まだすみっこにいる夜詩くんに声をかけた。捨てられた犬の目でこちらを見上げたから、最後にお別れのハグをする。
あ。
「…………っ」
引きこもりのくせに対人恐怖のくせに恋愛経験皆無のくせに、大人がするキスのほうが上手くて悔しい。ずるい。頭がぼうっとする。くっついてる唇が気持ちいい。大きな手が僕を撫でる。そのまま溶けてしまいそうな感覚。あ、駄目。ずるずると流されていく。ん。気持ちいい。恥ずかしい。ふああ。溶ける。もっとしたい。もう駄目。これ以上やってたらキスだけじゃ足りなくなる。
ああほら、……………………勃っちゃった。
夜詩くんは僕を見る。諦めと侮蔑を含む表情。恥ずかしくて情けなくて、僕は顔をそらす。悔しい。冷静でいるべきだったのに。流された。でも仕方ないじゃん。人間そんなものだよ。こんなことされたら、誰だって。
夜詩くんは不意に立ち上がってどこかへ行ってしまう。僕は身体の熱をおさめようとするけど、唇のだるさや感覚はなかなか消えてくれない。
自己治癒能力。
トラウマを砂場遊びで例えたり、劇にしたり、絵にすることで、傷を癒す精神療法がある。文章作成もその一つで、過去の体験を綴るのも、毎日日記をつけるのも、効果があるとされている。夜詩くんの作品は安っぽいメロドラマなんかなくて、拷問じみた性的暴行が延々と続く。男と女が出てくるのに愛はない。僕は夜詩くんの官能小説を読んだことはない。でも中身は知っている。本じたいに18禁マークがあったとしても、本の批評には年齢制限がない。インターネットでいくらでも出てくる。夜詩くんの作品は人気なのだ。女子学生。人妻。双子。娼婦。痴漢。浮気。監禁。調教。
夜詩くんが誘拐されていた5年間、どんな目にあっていたかは公表されていない。
トラウマはまた、ときとして過去の行動を反復しようとする働きを持つ。受け止めきれなかった現実を何度も再現し、受け入れようとするのだけど、だいたいそういうときの過去の出来事は、受け入れがたいしまともに取り合うべきじゃないものなのだ。
僕は夜詩くんが誰にキスを教わったのかなんて考えたくないし、考えるべきじゃないと思う。
夜詩くんを探しに行ったらベッドに倒れこんでいて、また泣いているから僕はまだ帰れないなと思う。母は帰りの遅い僕を咎めるだろう。でも優先は今目の前にある。フードの上から頭を撫でてやる。
「……やっぱり関わらないほうがいいと思う」
夜詩くんは呟いた。
「夜詩くんは僕に会いたくないの?」
「……会いたい」
「僕が夜詩くんの人生に関わるのは重荷?」
好きです、と夜詩くんは両手で顔を覆って言う。じゃあいいじゃん。僕は制服を脱ぎにかかる。そうやって両腕を揃えているから縛るのは簡単だ。夜詩くんは今更抵抗しようとするけど、もう遅い。
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