【03】2

「夜詩くん」

「なに」

「僕って、変?」

「うん」

「は?」

「だいぶ変だと思う」

 うるせえお前のが変人だ、と夜詩くんに八つ当たりして泣かせて謝ってなだめて豆乳スープを作る。忙しい。1日って長い。

 夜詩くんがまったく摘まないせいでびよんびよんに伸びた豆苗をざっくりざくざく切って、水と豆乳とコンソメとえのきとを混ぜて煮込む。

「ハツ」

「あ?」

「………………怖いよ。怒ってる?」

「怒ってない。やさぐれてる」

「なんで?」

「別に」

 夜詩くんはまた鼻をならす。よく泣くおとなだ。大きな大きなペンギンのぬいぐるみを抱きかかえたまま、30歳のおとなは僕に再チャレンジする。

「…………………ハツ、なんで料理出来るの?」

「調理実習あるから」

「へえ」

 夜詩くんもあったでしょ、と言いかけて僕はやめる。

「てかスマホで探せばなんでもあるって。レンチン料理とか包丁使わないのとかさあ」

「そうなんだ」

「夜詩くん、美味しいもの食べたいとか思わないの」

「美味しいもの……………は…………怖いので……」

「そうすか」

 夜詩くんだけが僕をハツと呼ぶ。





 多能たのう初雪はつゆきが僕のフルネームで、僕は僕の名前にコンプレックスがある。多能多才なのは夜詩くんなのに夜詩よしくんの苗字はかのうなのだ。カノウとタノウって。似すぎだろ。

 僕たち苗字似てるねで始まった男女が僕の祖父母にあたり、つまり母と夜詩くんの両親だ。夜詩くんが誘拐されてからしばらくして彼らは離婚し、それぞれ子供の親権を得た。とはいえ別居することもなく彼らはそれまで通り一つ屋根の下で暮らし、やがて夜詩くんは無事に彼らのもとへ戻り、子供が巣だってからようやく別居しだした。喧嘩はあれども、決定的に仲の悪かったことは一度もないらしい。今でも仲がいい。今現在の彼らは文通なんかしちゃってる。たまのデートにそわそわしている。そろそろ一緒になろうか、を切り出せないでいる祖父母はいまだロマンスの途上で、同じ施設に入る算段はとうにつけているのに、わりと元気なのでまだしばらくはモジモジやっている。これぞ青春。恋の甘酸っぱさ。…………寿命少ないんだから一緒にいればいいのに。

 彼らには世間一般の恋愛感覚や結婚観はあてはまらない。それは着実に子供にも引き継がれ、母はさっさと結婚してさっさと離婚したし、夜詩くんは夜詩くんで夜詩くんだ。

 接続の連続。

 初雪、と名前をつけた父の顔を僕は知らない。察するに母は、もともと夫など望んではいなかったのではと思われる。普段の言動しかり。僕への溺愛っぷりしかり。子供は欲しいけど旦那は要らない、を地でやってのけた人ではなかろうか。私生児だと色々面倒だから、一旦は籍を入れただけのように察せられる。すべて憶測なのは、母に聞いても答えは返ってこないからだ。

 名前の話に戻ろう。

 僕は昔から可愛い子供だったので、雪ちゃん雪ちゃんと可愛がられた。可愛かったのだ。過大評価ではなく。むしろ可愛くないほうがよかった。女の子じゃないからやだ、と泣いて、泣いたら泣いたで可愛いと言われて絶望した3歳。初雪、世の不条理を知るの巻。そんな中、聞き入れてくれたのが夜詩くんだけだった。

 夜詩くんと初めて会ったのは親戚の誰かの葬式だった。夜詩くんは対人恐怖で社会性不安でパニック気味で抑鬱なので、こういう不馴れで人の集まるとこには来ないはずなのだけど、何故かそのときだけはいた。理由は覚えてない。体調よかったのか。故人と仲がよかったのか……いや、それはあり得ないな。

 雪の日だった。日本家屋の縁側。寒さより暖房の暑苦しさが嫌で、知らない人たちから雪ちゃん雪ちゃんと連呼され、ベタベタ触られるのにも閉口していた。葬式ではあっても、悲しいものではなく、たぶん大往生だったので、わりとのんびりした空気だった。田舎だったからかもしれない。幼かったから、人が死んだのにみんな悲しまないのかよ、と変に思った。

 母が台所で井戸端会議を繰り広げている隙に、暑苦しくないとこを求めていたら、そこに夜詩くんがいた。

「暑くないの?」

 僕の格好を見て、夜詩くんは言った。

「みんなが着せる」

「脱げばいいのに。のぼせるよ」

「…………うん」

 子供が風邪を引いたら大変だから、と与えられた羽織は暑苦しくて、脱いでも着せられ、暑いと訴えても、風邪ひくからといなされた。幼児に発言権はないのだ。僕の自我は肝心のところで尊重されない。

 布団のような羽織をようやく脱いで、僕は夜詩くんの隣に座った。ふうう。涼しい。ぼんやりしている若いおとなをまじまじと見た。生気のない肌。細い身体。当時から痩せていた。

「ねー」

「んー?」

「なに見てんの?」

「んー。雪」

「…………雪だるま作りたーい」

「あとで作ろうか」

「作る!」

「……………初雪くんだっけ」

「うん」

「いい名前だ」

「嫌い」

「えっ……なんで?」

「やだ。みんな雪ちゃん言う」

「それは可愛い……」

「やだ」

「………………初雪はかっこいいよね?」

「ちゃん付けがやなの!」

「雪くんならいいの?」

「…………うん」

「じゃあ、雪くんって呼べばいい?」

「やだ」

「えぇ……」

「ハツが余る」

 その発言に腹を抱えて笑った夜詩くんが僕を抱っこして、もう一人子供生むんなら名前をミノルにしろと母に言いに行った。

「なんでよ」

「ハツとミノ」

 人が人を平手打ちにするのを僕はそのとき初めて見たし、母がこんなに容赦なく人を嫌うこともあるんだなあというのも知った。幼稚園の園長先生にさえ、あの人はあの人で、いろんなことを学んできたし、頑張ってきたし、それは雪ちゃんや私とは違うのよ、違う人間なんだから、違う考え方があるのは、当たり前のことなのよ、と僕に優しく説く余裕があったのに。

「そしたら三人めはどうしたらいいのよ」

「…………たんご。たんすけ。たんじろう」

「は?」

「ハツ、ミノ、タン」

「ふざけんな」

 バシッ。

「じゃあ、ハラミかカルビ」

「ふざけんな」

 バシッ。

「ねえ、ハツと雪だるま作りに行っていい?」

「……………………………いいけど。風邪引かせたら殺す」

「葬式で殺すとかよくないよ、お姉様」

 母は姉なのだ。夜詩くんの。そして夜詩くんは母の弟なのだ。





 あのとき、雪だるまは結局作ったんだっけ。









「夜詩くん」

「……えのき」

「うん」

「美味しい」

「それはようございました。ねえ、夜詩くん」

 スープを食べる夜詩くんに、僕は尋ねる。

「なに」

「夜詩くんのお父さんとお母さんって、どんな人だった?」

「え、会ったことあるでしょ。頭ん中がお花畑の二人だよ」

「じゃなくて。僕が生まれるずっと前の話」

「祖父母じゃないときの父母の話?」

「うん」

「えー。あー。昔のことってあんま記憶ないんだよなあ………………」

 おっと、意外なとこに地雷。

「………………………まあでも、昔からお花畑だったよ」

「あ、そう」

「……………親の人格は子供の名前に表れるよね」

「僕、夜詩くんの名前好きだな」

「サチとヨシなんて平凡な音にこねくりまわした漢字を使うあたり、親馬鹿だったんだなって思うよ」

「ふうん」

「…………………」

「…………………」

「…………………なんで?」

「いや別に? 初雪は親馬鹿なんですかね」

「お父さんのこと僕から聞き出そうとしたって無駄だよ?」

「やっぱり?」

「知らないんだもん」

「えー」

「いつも言ってるじゃん。僕の知らない間に結婚して出産して離婚してんだって」

「もー」

「知りたいなら姉さんに直接聞けば?」

「やだよ。絶対うるさいもん。色々」

「でしょうね」

「……………別にそこまで気になるわけじゃないけどさあ。まったく知らないからさあ。なんか情報ないの」

「ないよ。だって全部僕が閉鎖病棟入ってるときだし」

 地雷。

「そっかあ」

「うん。まあでも姉さんのことだから、いい人選んだんじゃないの」

「いい人」

「いい人」

「具体的に」

「わかんない」

「夜詩くんの馬鹿。あのさ、豆苗さ、また伸びてくるからちゃんと水やってね」

「えっ。また」

「うん。伸びるよ。多分。水やり宜しく」

「……………はい」

「植物いじめないでね」

「はい」

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