【04】
幸福は小さいほうがいい。
【04】
夜詩くんは官能小説を書くけど、官能小説を読まない。いつだったか、書いているのを真横で見ていたら、さすがにそれはちょっと、と言われた。過緊張。タイピングミスしまくりの挙動不審になったので、シンプルにごめんと謝ってベランダへひなたぼっこしに行った。HSPなんて単語が、メディアに取り上げられるよりずっと前の話。
「夜詩くん、今、小説の中で何してるの」
「……………プールで泳いでる」
「女の人と?」
「……男の人達と。珍しいこと聞くね。どうしたの」
「別に。なんとなく。お友達?」
「………………女の人の視点で書いてるんだよ」
「ふうん」
じゃあこれから夜詩くんはその男の人達に抱かれるのか。抱かれるっていうか、夜詩くん、酷い展開にしかしないからなあ。詳しくは知らないけど。
ソファにとけた僕を気にして、夜詩くんは僕を見る。でも、目があってもなんにも言わないので、僕は目を閉じる。そっぽをむく。多分、部屋をうろうろしだすんだろうな。……………ほら、やっぱり。
「……ハツ」
「んー?」
「なに。今日。どうしたの」
寄ってきたと思ったら、彼は僕の額に手を当てた。
「熱なんかないよ」
「そう。……………具合悪い? だから学校行かないの?」
「夜詩くん」
「うん」
「僕も落ち込む日とかあるんですよ」
「落ち込んでるの」
「うん」
「なんかあった?」
「なんもないけど……」
「本当に?」
「普段、原因とか探られたくないの夜詩くんじゃん。いちいち理由なきゃ駄目なの」
「そういうわけでは」
「なんもないよ」
「そうですか」
「そうです。僕は今圏外です。接続不可。…………いいから抱っこしてよ」
「はい」
夜詩くんは僕が学校をずる休みしてここへ来ても、何も言わない。自分のことで精一杯だから。学校と、家族と、そのどちらとも関連しない場所は、僕にとって時々すごく大切になる。逃げ場所。何から逃げてるのかわからないけど。
仕事してるときの夜詩くんは嫌いだ。まともだから。慣れた手つきでキーボードをタイピングして、たまに電話とかする。考え込んでる。おとなみたい。おとななんだけど。それを嫌う僕が僕は嫌いだ。まるでいつまでも夜詩くんに駄目でいてほしいみたい。そんなことない。そんなことある。
僕は僕がつらいとき、本当は夜詩くんに酷いことをしてほしかったりする。もっと愛されたかったりする。でも夜詩くんは僕を抱きしめるだけだし、それはおとなが子供にするやり方そのもので、切ない。
「夜詩くん」
「なに」
「なんでもない」
駄目な日はとことん駄目だ。この感覚は物理より数学より正しい。
家に帰る。終始、僕がふてくされた反抗的な態度をとるので、母が叱り、僕は自分の非を認めずに口論になる。家を出る。もうなにもかもぶち壊してしまいたくなる。夜空。遠い星の光。僕はどうして僕で、僕以外じゃないんだろう。どこかの誰かは今日が世界一幸せで、どこかの誰かは今死んでいる。いつも通りの人もいる。重要な決断をしている。好きなことをしている。嫌な状況にある。今この瞬間、地球上全てで相対的な幸福度を調べたら僕は世界何位だろう。戦争や死や病気や恐怖と縁のない僕は幸せ者だろうか。それとも、機械がなければ暮らせないほどスマートになりすぎた社会で、僕は人としての大事な何かを与えられなかった世代として、不幸だろうか。って、よくあるけど、人としての大事なものってなんだよ。ざっくりしがちだろ。
足は自然と夜詩くんのほうへ向かったけど、やめて、大きな橋の下へ行く。階段をおりて暗がりの中へ。寒い。冷たい。母は僕を探すだろうか。母親のネットワークを駆使して。僕が普段つるんでいる友達の家に電話して。テイラー・スウィフトかよ。どうせ僕は絶対戻らないなんてことはない。
誰だって、自分の子供が誘拐されたくはない。それはわかっているけど、僕は親の愛情が重苦しかったりする。子供のときに散々厚着させられたように。今だけはね。ときどきね。こちらの受け手側の問題だ。普段はちゃんと感謝している。僕はわりとまともでわりと頭のいい子なので。
でも今はちょっと駄目。ちょっとってことは、だいぶ駄目。
こういうとき、僕は学校の友達とは連絡を取らない。彼らとは楽しい関係でいたいからだ。つらいことも苦しいことも分かち合い、思春期特有の哲学にちょっと目覚めたようないわゆる深い話なんかもしたりするけれど、でも今回のこれは違う。ただのイライラ。理由のない怒り。いや、理由はどこかしらにあるんだろう。僕が分かってないか、あるいは分かっているけど認めたくないだけで。友達に連絡を取っても、八つ当たりしてしまいそう。うまく説明出来ないし、もどかしい。みんなもこんな日があるのかな? 思春期に親に反抗するのは普通だと言われて終わりかもしれない。脱皮のもがき。健康な成長過程。
でも僕は今ふだん取らない行動をとるほど本気でイラついているし、落ち着かない。それを誰かにわかってほしいのに、どうせ誰もわからないだろうとも思っている。こんな孤独やこんな空虚な気持ちは僕だけが知っているのだと思っている。思いたい。
橋の上を大型トラックが通るたびに、音と振動が僕の感覚を刺激する。慣れない。ここにいても心が乱されるばかりで余計つまらないので、別のとこに移動することを僕は考える。でも、どこへ。
僕はどこにも行けるけど、いてもいい居場所は許されている。可能性は無限大。実現可能性はわずか。今すぐアメリカへ行くことは困難であるし、家に帰るのは容易な手段だけど、精神面がその選択肢を却下する。制服のまま出てきてしまった。補導対象になる時間まで、あと一時間。
どこにも行けない。
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