【03】
家族は植物と同じように連続する。
【03】
助けて、と夜詩くんからメッセージが来て、授業中の僕はこっそり返信を打つ。なに。簡素に返答したけれど、危機本能は、最低条件を打ち出すことによって事実の痛手を少しでも和らげようとする働きを持つ。ありえないほどヤバい最悪の状況を想定しておけば、「現実はこんなもんか、よしよし」と思えるからだ。頭のなかで可能性の計算が始まる。夜詩くんがトラブルに巻き込まれた? あるいは自らが引き起こした? それとも?
緑のが爆発してる。
夜詩くんのメッセージを見て思わずため息をついて教師にバレた。すかさず、すみませんちょっと、あの、叔父からなんですと深刻そうに申告して、一旦授業を抜け出す。普段真面目な僕は心配される。親戚とやり取りしてる高校生なんて滅多にない。僕は夜詩くんに電話をかける。誰もいない渡り廊下。
「爆発?」
「こわ、怖いので、どうにかしてください」
「うーん。えーと。どういうこと?」
電話を介すと夜詩くんの言葉は支離滅裂になる。ということは、普段僕らは言語外コミュニケーションに重きをおいているらしい。そういえば僕はよく夜詩くんを観察している。いや、作家ならまともに喋れよ。
「だから。緑の。草。わかんないよハツが持ってきたんでしょう」
夜詩くんは僕をハツと呼ぶ。
「えー? えー?」
「台所の」
「……あ? あ、豆苗? 食べなよ」
「怖いよ」
「怖くないよ」
「やだ! すごい繁ってる!」
めちゃくちゃ笑ったあとで、今日行くから、となだめる。順調に育っているということは丁寧に夜詩くんが水やりをしていた証で、今更このおとなは何言ってんだろうと思う。豆苗がいきなり驚異的な成長を遂げたわけでもなし、毎日彼の視界には入っていたはずだ。人間は見たいものしか見ないんだなあ。
無駄話をしていたら授業終了のチャイムが鳴って、先生にどう言い訳しようかを、夜詩くんとのくだらない会話と並列に処理する。あんま嘘はつかなくていいか。
先生は来なくて、移動する生徒たちで騒がしくなる。あ、山内さん。
彼女はこちらを見ることもなく、早足で通りすぎていった。まあね。そりゃね。
数人にしか話していないのに、僕が母子家庭ということをクラスの大半は知っていて、知らないふりをしてくれている。若干のソワソワした空気。大変に居心地が悪い。僕は父親がいないことで苦労したことはないけれど、父親がいないことで苦労したことは山ほどあるんだろうな、彼は口では言わないけどね、あたしにはわかるのよフフン、みたいな偏見には山ほど苦労している。ちなみに、あたしにはわかるのよフフン、は幼稚園の園長先生が原形だ。あいつは僕を片親で可哀想という地位におとしめたし、母をも子供に興味のない無責任な親とレッテル貼りした。母が親子行事にはすべて積極的に参加した事実も、他の親となんら遜色ない愛情深い親であることも無視して。
あーなんか思い出してきたら腹立つ。
「なんかあったん?」
「んー。いや、別に」
まあ、そうやって、漢字を習うより先に、色眼鏡の濃い人にいくら事実を突きつけても無駄なんだなと知っている僕は、この状況を簡単に打破する術を持っている。学生は暇で、トラブル好きだ。誰もが自分だけが世界の真実をわかっていると思っているし、主人公になりたがっている。なりたがっている時点で主人公のわけがないんだけど、まだそこまで頭は良くない。流行りのアニメやゲームみたいに、僕の不幸は誰かの暇潰しになる。…………なってたまるか。
叔父から来ているメッセージと写真を見せて、笑い話で終わる。豆苗の爆発。なんだよ、くだらねえな。つかなんでおじさんとやり取りなんかしてんの。
もっと親戚の深刻なトラブルを想定していた友達は、あかさらまにほっとする。危機本能は最悪の状況を想定するので、仕方ない。
「まー、よかったわ。何事もなくて」
「そうだね」
本当の不幸や最悪は想定外のところで起きるもので、放課後、山内さんとばったり会ってしまう。幸せ。と思えないのはホームルームからずっとトイレを我慢してたからだ。
クラスを出てすぐにあるところは混むので、階段を降りて特別教室が並んでいるところを使った方が早い。しかし、特別教室は吹奏楽部がパートごとにわかれて部活練習をしている。早くトイレに行きたいけれど、友達とだらだら教室で喋ってしまって、別れたあとに山内さんとばったり出くわしてしまった。
「あ」
「え」
急いで階段を降りた僕と、その階段を昇ろうとしていた山内さんはぶつかりそうになって、離れて、同じ方向によけて、別の方向に一緒によけて、を繰り返す。意中の相手にすることじゃない。目の前で転んだり、授業中に回答を間違えるぐらい、めちゃくちゃ恥ずかしい。ちなみに僕は既に彼女の前でかっこいいところを見せようとしてずっこけたり、自信満々に計算を間違えたりしたことがある。死にたい。
漏らしそう。
「ご、ごめん」
「こちらこそ」
山内さんは唇を噛まずに笑ってくれた。あ、好き。
「そういえば、大丈夫だった?」
「え、え、なにが」
話しかけてくれた、が嬉しくて、会話の内容を片っ端から忘れそうになる。
「なんか、ほら、…………生物のとき。連絡きたって…………親戚の人? なんか慌ててたから」
山内さんの声は山奥の清流に等しい。癒し効果。あー、トイレ行きたい。
「ああ、別に。なんでも。授業サボりたかっただけ。写真見る?」
「写真?」
僕はポケットからスマホを取り出す。手が震えてませんようにスマホが指紋ベタベタで汚れてませんように。てか緊張してんだから尿意おさまれ。階段を登り降りしているふりで誤魔化す。誤魔化せてなくておそらく挙動不審であることは否めない。
「なにこれ」
顔を近づけて山内さんは覗きこむ。近い。今世紀最大に、近い。てか二人で喋ってる。ヤバい。止まると漏れそう。
ことの顛末を話して、山内さんを笑わせにかかる。笑ってほしい。自己主張が強い。僕って面白い奴ですよアピール。痛々しいな。これじゃ注目されて舞い上がってるヲタクと一緒だ。つまんない。しつこい。うるさい。ちょっと待ってくれよ。普段の僕は、こんなんじゃないからね。
「おじさんと仲いいの?」
「うん」
「多能くんって、前から思ってたけど」
「…………えっ、なに」
「変なの」
そう言い残して山内さんは階段を昇っていく。変なの。変なの。僕はトイレに駆け込む。なんかもういろいろアレなので個室に閉じこもる。あー、もう。あー。もう。おしっこ我慢するとお腹痛くなるから嫌なんだよなあ。
変なの。
あーもう。
うるせえブス。
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