25 童貞を捨てるよりも楽しい冒険の始まり②
3人が駆けだしたころ、一睡もできず、ピコスとキソーラをオカズにすることもできなかった青年は、ただ震えて布団にくるまっていた。簡易宿泊施設の大部屋で、気怠い身体を自身で抱きしめ続けていた。そして、眠れない疲労が詰まった明け方、青年は大部屋の雑魚寝状態で、それを体験した。
大きな揺れを。
この街、この世界に来て、初めて経験する、大きな地鳴り。
巨大な大地の怒りを。
****
地震と雪崩により、街の大部分が崩壊したことを知るまでにそれほど時間を要しなかった。
もともと、街は雪山と麓の間を人工的に開拓し築いたものであり、小規模の雪崩は毎年経験してきた。温泉とは、地下マグマにより熱せられた地下水が噴出したものであり、それは南方にある雪山が活火山であることを意味しており、小規模の地震は何度も街を揺らしてきた。
だが、今回のそれは規模が違った。
台地に立つものを許さないような強烈な揺れが30秒ほど続き、その影響で複数の全層雪崩が発生した。巨大な津波と化した雪崩が、今までに街が蓄えてきた予想を遥かに上回る規模で襲ってきた。そして、山岳側に面する南方の地区、そこにあった商店街、居住区、温泉施設に公共施設、、南の端、青年が勤務する施設も含め、全てが、地震直後に発生した巨大な雪崩に飲み込まれていった。
青年が宿泊していたホテルは北区の高い場所にあり、簡易宿泊を目的とした木造の平屋であった。当然地震によりそこも倒壊していたが、その簡素な造りが功を奏したのか、青年は落ちた薄い天井や細い梁で軽い傷を負うも、大きな怪我はなくその場を抜け出すことができていた。自身の状態確認した青年は、軽い出血箇所を布で縛った後、北区から中心街を抜け、施設のある南区に向け歩いていたのだが、、
“これは、、”
変わり果てた光景に足が止まる。
残骸、瓦礫を踏みしめ歩く青年。地震によるものであろう、殆どの建物は崩れ、街の日常は何一つ残っていなかった。あの大道芸を披露していた噴水広場も単なる水浸しの岩場と化していた。空爆を受けたかのような凄惨さが、青年の胸を締め付ける。
地震が発生した時刻が未明であり、街は眠りから目覚めたばかりであったことからして、倒壊した家屋の下敷きになった人は相当数いるのではと予測し歩く青年。それを証明するよう、至る箇所で泣き叫ぶ声が散乱している。混乱し、泣くことしかできない人々。必死に瓦礫を除き、下敷きになっている家族を探す人々。血だらけになりながら、ただ彷徨う人々。放心し座り込む人々。随所で始まる争い、、
どうすることもできない絶叫が響き渡る中、あまりの惨状に言葉を失いながらも、青年は歩みを再開した。南区端へと。
気づくと、青年は駆けていた。
嫌な焦りと、嫌な予感が募り、無意識に駆けていた。それを助長するかのよう、南方に進むにつれ、雪崩の影響は増していった。膝下まで埋まるほどの雪が足の邪魔をする。道なき道を、足を滑らせながら、何度も転げる。それでも、青年は進み続けた。息を切らせ、冷たさを忘れ、痛みを忘れ、呼吸を忘れ、必死に、、
そして、漸く辿り着いた街の南端。そこで青年が見た光景は、、
「、、何も、ない、」
その視界には、信じられないほどの紺碧の下、雪崩が創造した砂漠のような絶景が広がっていた。雲一つないインディゴブルーの空。この時期、灰色の雲に覆われていることが多いこの地域では珍しい、美しい紺碧の空の下、青年の知らない白銀があるだけだった。
記憶とは異なる空間。僅かにだが、施設の残骸と思われる木片が雪面に浮かんでいる。青年が過ごした思い出も、そこに住んでいた人たちも、正義も、倫理も常識も関係なく、全てを押し潰した雪崩。砂漠には、街中のように泣き叫ぶ者もなく、埋もれた人を助けようとする者もなく、街中に漂っていた喧騒も絶望もなく、奇妙な静寂だけが漂っていた。
恐らく、今この街で最も静寂な空間を、雪崩が創造した砂漠の丘を踏みしめながら、青年は天を見上げた。救いを求めるかのように、紺碧を見上げ続けた。
時折、風に舞う粉雪が、虹のように煌めいていた
「誰も助からなかったんですね。」
暫くの後、青年は自身の後方に立つ影に話かけた。振り返ることなく。
職員は無事ではあったが、施設入居者は全員、、地震発生から雪崩に襲われるまでの時間があまりにも短く、他人を救出することはできなかった、、そんな答えをする後方の影に対し、その言葉の意味を噛み締めた青年は語りだした。埋もれた記憶を探すように、、
「正直言うと、、初めの頃、この仕事、大嫌いでした、、すみません、指導してもらった人に云う言葉ではないですね。でも、本当に嫌だった。他人の排泄物を処理したり、つじつまの合わない話に笑顔で対処して、無意味に殴られ、暴言を浴びせられ、、
もう訳がわからなくって、精神的に駄目になりそうでした。」
何度も逃げ出そうと思った、と。
「仕事に慣れてきても、、正直辛かったです。自分で服も着れない、食事も摂れないのに、介助を拒否し暴れる人たち、、正直、もう限界だって、何度も心で叫びました。数分置きに排泄を訴える人の叫び声に、家に帰るって徘徊し続ける人の行動、なんとか服薬した薬をプッと吐き出すような人たちに、、
もう、頼むから●んでくれって、何度も、心で、」
勿論、暴力を加えたことはない。一度として境界を越えたことはないと加える青年。
「僕は、常に心のどこかに、そんな感情や考えがあったんだと思います。時間や場所、大切な人すら忘れてしまった人に、食べたことを直ぐに忘れてしまう人に、失禁していることに気づかなくなった人に、眠ることを忘れ、僕の介助に暴力で応える人に対して、、僕は、、
【殺意】を常に抱いていたのかもしれない、と青年は振り返った。3人の影に向かい、告解する信者のような顔で。その顔に、一つの影が質問をする。結果として、青年の隠れた願望が成就されたが、今どんな気分だ?と。青年の心の闇は、今、この状況に対し何と言っているか、と。
その問に、青年は素直に応えた。まったく、何も感じない、と。
「残酷な人間ですよね。ここに来るまで、酷い街の状況を見てきました。多くの悲しみや混乱を見てきました。でも正直、何も感じられないんです。起こった惨状や、事の重大性は分かります。これが、とんでもない凄惨な災害なんだってことは分かるんです、、それでも、、
、、それでも僕は、僕は何も感じられなかった。何も感じないから、誰も助けようとしなかった。そこから逃げるだけ。その絶望感に感染しないよう、ただ、逃げるだけで、、」
分からないと言い訳して、誰も助けなかった、残酷な人間、、
青年は、両手で顔を覆うようし、崩れるように、雪の左右に膝をついた。そして、その手の隙間から涙を流した。その涙がどんな意味で、どんな感情の涙なのかも分からないが、青年は頬を濡らし、視界を歪ませ、告解を続けた。ぐちゃぐちゃにした表情を覆いながら、少女の影に向かって。
「ピコス、君は正しいよ、本当に、君の魔法は素晴らしい、、君の指摘は、その通りだ。確かに僕は【空洞】だ。僕は【空洞】で【畸形】だ。だって、街がこんな状況なのに、どんな感情を抱いているか分からないんだ、、
早く●ねって願ってた人たちが実際に死んでしまっても、僕は、自分が何を感じてるか分からないんだ、、残酷に喜ぶことすらできない、、それでいて、形だけの涙を流してる、、意味のない涙を流してるだけ、、意味なく泣いて、逃げてるだけ、、
そんなの、そんなのって、、
両手を顔から離し、視線を上げた青年は、絶叫した
少女に向け、輪郭のない言葉を叫んだ
だが、耳を劈く風が、雪山特有の暴力的なノイズが
青年の叫喚をかき消していく
紺碧の空と、雪崩が創造した砂漠の表面に
波紋のような声を描かきながら
どんな色に染まることができない涙が、山風と共に転がっていた。神殿に籠っていれば知ることがなかった、暗い洞窟に留まっていれば覚えることがなかった「痛み」が、雪原を滑るように広がっていく。両手をつき、両膝を雪で濡らし、嗚咽し続ける青年。その後頭部を見下ろす影。青年の「痛み」に沈黙する大人の影。
だが、少女はその頭部に投げ捨てた。泣き、嘆き、自分の闇に混乱する暇などない、と。そして、青年を打ちのめすように叫んだ。
「その感情が何かを知りたいのなら、お前が洞窟から、神殿から抜け出たいのなら、僕たちと一緒に来い!ドネマリを殺すための旅だ!一緒に来い!
童貞を捨てるよりも楽しい冒険の始まりだ!!」と。
その言葉に、青年は手を伸ばした。混沌とした、痛みとも悲しいと分からない感情に満ちた手を、思考が止まった手を、少女に向け手を伸ばした。昨日自分を罵倒した時とは違う表情をみせる、凛とした視線で自分を見下ろすピコスへ、縋るように手を、、
だが、少女はその手を握ることはなく、
「それと、私のことは『ピコス様』と呼ぶように。この変態が。」
とだけ伝えた。
DOGSOでレッドの勇者が掲げる虹のシャーレ @ora-tuyu
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