24 童貞を捨てるよりも楽しい冒険の始まり① 

 払暁の静寂が覆う街。


 繁華街から東へと進んだ場所にある屋敷。


 この街で最も大きな敷地面積を有し、外観に贅沢な装飾を刻んだ大きな屋敷。この温泉街には似合わない、一部の貴族のみが使用できる荘厳なホテル。この数日、青年が寝泊まりしていた屋敷。その2階にある応接室で、3人はある報告書に眼を通していた。


 どこかの国王のような肖像画から、野獣派の切り絵のような絵画まで、複数の豪華な額が壁を占めている。酒瓶が並ぶ棚。古い本の背が並ぶ棚。鑑賞目的の花瓶と絵皿。青年がいた部屋と同じ国旗も飾られている。それを背に、大きな椅子の上で足を組んで座るピコス。腕組みをしたまま、眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げ「僕は悪くない」と繰り返す。


 そこから少し離れ、長椅子に身を預けるように座るチャンド。ピコスから受けた日中の話に対し飽きれた顔を浮かべ、肘を手摺りに乗せ、頬に拳をあて、長い溜息を吐く。何をしてるんだ、お前は、、と。


「海のやつ、まだ部屋には戻ってないようだな。」


 暖炉の脇、切り絵のような絵画を興味深そうに眺めていたトル。あんな罵倒を受けたら戻ってこないかもな、とグラスを振る。そして壁に背をつけ、靴の爪先を左右に振り、『性癖の暴露はやりすぎだ』と苦笑を浮かべた。『男にとっては最もつらい仕打ちだ』とチャンドも同意する。それに対し『あんな変質者、どこかで野垂れ死にすれば良いんだよ』と吐き捨てるピコスは苛立ち半分に言葉を続けた。


「その方が好都合だよ!このまま消えてくれて構わない!」

「あのなぁ、男はデリケートなんだぞ。傷つきやすいんだぞ。変な情景が見えたからって、海上が性的変質者確定ではないだろ?それなのに一方的に罵倒までして、、」


 あいつ、ショックでもう二度と女性と会話できないかも、とチャンドが飽き顔で話す。


「なんだよ!僕が悪いって云うのか?冗談じゃない!あの軟弱者に現実を教えただけだよ。何時までもう過去のことでうじうじとしてるあいつが悪いんだよ!」

「お前が言うなよお前が、、それに、海上なりに少しずつだが、自分で歩み出そうとしてただろ?」

「だからなんだ?もう時間はないんだぞ!もう、猶予は、、それに、あいつを連れて行くって言ったのはチャンドじゃないか!」


 チャンドがそんなことを言わなければ、あんな奴を助けなかった。強引に現実を突きつける必要もなかった、、ピコスは不満そうに後悔の言葉を続ける。


「僕だって本当はあんな変態、放っておきたいよ。他人の辛い過去になんて関わりたくない、、それに、一方的に言葉をぶつけるなんて僕の本位じゃない。過去に苦しむ者と話す際には、ゆっくりと時間をかけて『孤独』を溶かしていかないといけないって分かっている、、でも、もう猶予はないんだ、、もう既に、封印は解かれた。」


 あいつは既に復活し、魔力を取り戻している途中だ。そう続けたピコスは自身の指に不自然な力を籠めた。


「まぁ、旦那、海は放っておいても大丈夫さ。あれでいて意外と打たれ強い面もある。同世代の異性に怒られ自身喪失する、エッチな妄想を異性に知られる。それ、どんな男も一度は経験するイヴェントだろ?それに今晩は暖かい。月明りもある。一晩ぐらいは自分でどうにかするさ、、それより、報告の内容からして本当に猶予はなさそうだ。アデロンとロンデルがやられた。もう時間は流れ出している。」


 そう話すトルは話題を本題へと向けた。旅立ちの時だ、と。


「あぁ、そうだな。明日にでも発つべきだろな。」


 チャンドがテーブルにあった数枚の羊皮紙を取る。そして、そこに記された報告内容を読み返すと、眉間を押さえながら、疲労が濃い溜息を洩らした。


「ここに記されている内容が本当なら、もう隠れ続けることは難しいな、」

「あぁ、また始まるのか、」


 楽園へと戻る旅が、、との言葉に2人が深く沈黙する。思い出すようでもあり、運命に諦念するかのように。


「すまない、僕が、、」


 ピコスは言葉を濁し、そのまま自身の胸を掴んだ。服の下、心臓に近い場所にある何かを掴み、唇を噛み締める。重圧に耐えるよう、緊張に耐えるように。そのピコスに、先のド羊皮紙を渡したチャンドが声をかける。『気にするな』と。


「今、考えるべきことはそこではない。今は、もう直ぐここも襲撃される可能性が高いってことだ。報告からすると既に3日は経っている。猶予はない。明日、この街を発とう。」

「そうだな。どの道、あの塔の封印が崩壊した以上、戦いは始まる。予言より5年ほど早いが、そのぐらいは誤差の範疇なのかもしれない。」

「そうだな。時間なんて意味がない。時間なんて、あいつらには関係ないさ。」


 あの連中に時間は関係ない、、そう繰り返したチャンドに向け、『自分たちにもだろ?』と戯けるトル。その眼には、ある種の儚さが滲む。自分の力ではどうにもならない儚さが、、その儚さに責任を覚えるピコスが再び謝る。神妙な趣で。


「すまない。僕が生まれてしまったから。僕さえ生まれなければ、、」


 俯くピコスの言葉に弱気が垣間見える。胸を掴む指先が小さく震えている。弱い自分を抑えるように肩が収縮する。その震えの斜め後ろに立ったチャンド。長く、様々なものが刻まれた指先が、項垂れる頭部に触れる。茶髪の癖毛に太い指が絡む。俯く僕っ子に『仕方ない』と告げる。


「放っておいても、この旅は何時か始まる。そして、俺たちに旅を回避する術はない。故に、戦いは常に覚悟しきた。お前が気にすることはない、」


 慰めるチャンドだが、俯くピコスの表情が変わることはなかった。


「でも、もう暫くは穏やかな生活ができると思ってたんだけどな、」


 自虐的な口調でグラスの中身を呑み干したトルは、チャンドに同じグラスを渡し、自分のそれと共に酒をつぐ。そして、互いのグラスを鳴らし、再び中身を呑み干したトルは問うた。『本当に海も連れていくのか?』と。


「あぁ。そのつもりだ。」

「でもよ、あいつが『案内人』かどうかは、分からないんじゃないか?」

「そうだな。もし『案内人』でなければ、直ぐに死ぬだろうな。だが、一度でもダグラを起動させたんだ。その可能性を信じても良いと俺は思っている、」

「ダグラを起動ねぇ、、」


 無色のジグゾーパズルに悩むような表情をするトルだが、無理に何かを嚥下するとグラスを近くのテーブルに置き、それなら早く青年を探さないとな、と続けた。


「歴史のお勉強もあるだろうからな。そろそろ、海の奴を探すか。ある程度の位置は掴んでいるんだろ?」

「ダグラの波動はそう遠くない。恐らく北の貧民街だろう。」

「変な連中に絡まれてなければ良いがな、」


 そう笑いながら歩きだそうとする、、



 そのトルが、異変に気づいた。暖炉の火が、知らぬ間に消えていたことに。そして、それでも部屋には暖かさが保たれており、自分の背、額に、汗が滲んでいることに気づく。慌て確かめるよう、ベランダに通じる大きな硝子窓に触れる。結露のない窓。室内よりも外気が冷たいなら窓に結露が生じるはずである。だが、そこには真夏のような暑さが籠った硝子があるだけであった。いくら今晩が珍しい暖かさであるといっても、ここは雪山である、、深刻さを増すトルの表情に合わせ、チャンドの視線も鋭くなる。


「旦那、部屋、暑すぎないか?」

「そうだな、暑い、、」


 刹那、状況を理解した2人が動く。


 チャンドがピコスを抱き上げ、トルがベランダのドアを開ける。一気に、熱風が部屋を駆け巡る。暴力的で、殴るような熱が3人を襲う。夜空が焼けるような色彩に染まっているのを確認しながら、3人はベランダから屋外へと飛び出した。


 着地と同時に、その大地の熱を、大地の波動を感じとる。そして、既に猶予などなかったことを後悔しながら走りだした。


 南の山岳から響く、緋色の轟音から逃れるように

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