22 帰る部屋がない

 青年の暮らす街の西方から北にかけて接する森林地帯。


 街は南を占める山岳と麓の間に位置し、平地よりは高い標高にあることから、平原に広がる樹木の絨毯を上から眺めることができた。既に黄昏はなく、森は無数の大蟻が獲物を喰らいつくすような陰影に覆われている。青年はその蠢く闇から逃れられずにいた。先にキソーラから投げられた様々な話、最後にキソーラが見せた目を思い出しながら、深い闇に沈む森を眺め続けた。


“いやあ、、怖い目だったなぁ。2人の関係にピコスが何等かの影響を与えたってことなんだろうけど、、冷酷な眼だったな。別れすらも幸福な記憶だなんて言ってたけど、まったくそんな眼じゃなかったよな、”


 だが、それを眼の意図を自分が理解することはできないだろうと判断した青年は、考えのベクトルと変えた。その冷酷な眼の原因であろう、ピコスという少女について。


“いったい、あの女は何なんだ?”


 強国を支配する有名な貴族の三女であり、幼い頃にチャンドから剣術の指導を受けていた少女。青年が死にそうになった夜、知らぬ間に存在していた少女。本位ではなかったかもしれないが、青年の命を救ってくれた存在。今日、リハビリと称して無理矢理街案内をさせた貴族の娘。自分とコミュニケーションを図ろうとし、怒って罵倒し、色々なものを突きつけ、さらに、青年の性癖ともいえる偏執的な部分に触れ、、その後、独りで帰ってしまった僕っ子少女、、


“一方的、だよな。勝手なことばかり言いやがって。あんな貴族のお嬢様に僕の何が分かるんだよ。あいつだって何万人もの引き籠り生活者と接触してきたのかよ。その結果と経験から傾向を分析したのかよ、、まったく、勝手なことばかり言いやがって、、他人を家畜にしかみていない?そんな訳ないだろ。逆だろ。逆。僕は安い賃金で重労働『させられてた側』だぞ。僕は労働力搾取されてた側だ。やる気搾取されてた側だよ。被害者だよ。まったく、冗談じゃない。冗談じゃないよ、ふざけるな、ふざける、、な、、


 ・・・畜生、」


 悔しさを口にする。だがそれは、ピコスに向けたものではなく、ピコスの指摘に反発できない自分に向けてだった。生まれて初めて自分を救ってくれた女性に対して、反論も、普通の会話すらできなかった、情けない自分に向けた苛立ちであった。


“考えてみれば、彼女には世話になっているんだよな、”


 青年は、数日前の会話を思い出した。それは、青年の部屋を訪れたピコスに対し、ホテルの宿泊費や食費などを尋ねた時のものだったが、、


『支払い?あぁ、、気にするな。僕にとってお前が宿泊し食事をした程度の額は金ではない。だから支払いとか些末なこと、気にするな。』


 とのことで、支払いは未だに請求されていなかった。更に、後日、チャンドと交わした話を思いだす。


『治癒魔法は、相当危険な魔法だ。対象の傷を癒すだけでなく、崩壊する意識も再構築する高等魔法なんだ。それ故、術者の魔力も相当に消費する。術者にも相当な負担を強いる。一歩間違えれば致死レベルの傷を負う危険な魔法なんだ、、それでもあいつはお前を助けた。嫌々だったかもしれないが、命を懸けてお前を助けたんだ、、今度、しっかり礼を言えよ、』


 青年の脳裏に、チャンドの言葉が流れていく。 


「そうだよな。あいつ、命の恩人なんだよな、」


 恩人、、その言葉を吐きだした青年は、過去に様々な言葉を青年に投げかけてきた連中を思い出していく、、両親や、行政の支援センターの職員。宗教家やどこかのボランティア連中。それぞれが、様々な言葉を青年の部屋に置いていった。冷めて固くなったピザのような言葉を、、だが青年は、その全てを無視し続けた。腹を立てることもなく、向き合うこともなく、更に洞窟の奥深くへ、言葉の届かない闇へと潜ってきた。きっと今までの青年なら、今回のピコスの指摘からも逃げ、ねちねちと、夜の妄想の中で酷い仕打ちをしていただろう、、、


 だが、今回、青年は向いあった。ピコスの言葉に。自分を救ってくれた恩人の言葉に向き合っていた。それは、冷めたピザどころか、食べ物ですらない、嫌がらせのような言葉であったが、、何故か、ピコスのそれは青年の中に残り続けた。


 “不思議だな。身内の言葉、自立支援とか叫ぶおばちゃんたち、変な宗教連中の言葉はまったく響かなかったのに、、”


 青年は気づいた。ピコスの言葉が【植え付けられている】ことに気づいた。


“そうだ、あいつは魔法が使える。あいつ、魔法で僕の心に植え付けたんだ。あの治癒魔法を使用した際、僕の精神構造に何か細工をしたんだ。自分の言葉に感化されるよう仕組んだ、、そうだ、あの女ならやりかねない。あいつは、平気で他人の性癖を暴露して去っていくような女なんだ。そうだ、あんな女は、、あんな、、



 、、止めよう。情けない。」


 卑屈にピコスを批判することを止め、拳を握る。そして、数発自分の頬を殴る仕草を見せると、彼女に御礼を言う覚悟を決めた。仮に、ピコスが卑怯な手段を使ったとしても、自分の命を救ってくれたことに変わりはない。嫌な奴かもしれないけど、その事実は変わらない。もう自分は【引き籠り】に逃げることはできない。進む以外、道はない、、


「これから、大変だな、」


 一人、呟いた青年は、ピコスに御礼を伝える決意を固めた。ふと、腰のベルトに装着したホルダーに収めた「ダグラ」が、カタカタと音を立てて振動していることに気づく。ホルダーから取り出し、両手で握る。あの時のように、炎の刀身が発生しないかと、試みる、、


 が、何も変化がないことを確認した青年は、静かにじっとそれを見つめた。


“確かに、これにも命は救われた。でもあの話では良くないものを呼び寄せる呪詛的な魔法アイテムらしい、、ルドルフ・ヴァレンチノ・リングみたいなものなのだろうか?これを持つことに、自分は耐えられるのだろうか、”


 心配が、不安が幾つも浮かんでいく、、、それでも、青年は心の中で何かが固まっていくのを覚えた。それは、自分の足であるくことへの『決心』なのか、未知な出来事へ挑む『覚悟』なのか、ピコスへ御礼を伝えることへの『不安』なのかは、、青年には分からぬそれであるが、今までに覚えたことのない、固い何かであることを感じとっていった。


“オーバー・ザ・レインボーだな。このままでは一生童貞のままで終わってしまう。挑むしかないよな。折角、異世界に来たのに、童貞で死にたくしないよな、”


 欲望を冗談っぽく呟き、暗闇が支配する祭壇で新たに添えられた花束を一瞥した後、青年はその場を後にした。そして、今晩はピコスとキソーラをおかずにしようと心に決め、前を向いて歩きだしていった。足取り軽やかに、、



 、、だが、数歩歩いた後、青年は気が付いた。このままだと「あれ」を一人で安全に行える部屋、帰る場所がないことに。


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