15 決勝ゴール決めるもVARで取り消しにされた気分だ①
仕事を終えての帰路。施設から「塒」までの道のり。片道30分ほどの雪道を歩く。
キソーラからは、あんなボロ小屋でなく一緒に住まないかと、何度か誘いを受けていた。だがあの空間は、彼にとってはとても大切な空間であった。昔の自分と今の自分。何が変わって、何が変わっていないかを確認する場所。傭兵時代に背負った怨みや苦しみに溺れる時間、、今、キソーラと過ごすことができる時間がどれほど大切かを知る時間、、その空間と空間がある小屋へと、今は青年がいるはずの塒へ向け、チャンドは足を進めていた。
既に夜も遅いが、まだ街の灯りは幾つか踊っており、酔っ払いの嘔吐物で溶けた雪が凍り始めたぐらいだった。数人の顔見知りが叫んでいる。こっちで一緒に飲まないか、過去を忘れないかと、数人の娼婦が絡んでくる。一緒に孤独を温めないか、と。それらに断りを入れ、独り帰路を進む。帰れる場所があることに感謝しながら、、
建物の隙間で誰かが殴られ金品を奪われている。どこぞの金持ちらしい連中が騙され、身包みを剝がされている。その奥で、身寄りのない子供が、その闇をじっと見つめている。寒さで膝を抱え、全てを憎むような目つきで。自分にも他人から何かを奪うチャンスがないかを窺っている。この街は温泉街という表はあるが、所詮は金持ちの【性欲処理場】であった。自分が納める領地、自分の言動が影響を持つ街では聖人的言動を求められる連中。そいつらが、日頃つけている仮面を脱ぎ捨て、本能のままに欲望を解放するための街である。金持ちが「遊ぶ」ことを目的とした「地図」にない街。
その街の酒と女と暴力が集まる裏道を歩くチャンドは、この街が好きだった。
生まれ育った街と同様に寒さが厳しいが、『あの』心底震える異常な寒さに比べれば、この街の寒さも暖かかった。犯罪も多く、泣く人間も多い街ではあったが、それでも『あの』泣き叫ぶことすら許されない状況に比べれば、この街のそれも受け入れられた。温泉街特有のきつい匂い。硫化水素の匂いも、『あの』戦場の匂いに比べれば心地よかった、、そう、あの臭い。国全体が焼け焦げたような臭いに比べれば、、
その過去が、『あの』凄惨な記憶が蘇りそうになる、、が、チャンドは強制的にベクトルを変えた。無理に押し込めた。苦しむだけの記憶。消せない記憶を無理やり。
『過去に苦しまない人間なんていないさ』
そんな声がした。が、周囲には誰も存在せず、路地裏で機会を伺う影だけが、誰から金を奪ってやると企む影だけが、雪の表面に凍り付いていた。
「そういえば、海上のやつを見つけたの、この場所だったな」
あの時も、こんな夜だった、、
青年を発見した際を思い出す。3日ほど続いた長時間の重労働から漸く解放され、僅かな時間ではあるが帰宅することが可能になった夜。疲労からか、どれだけ酒を呑んでも酔うことができなかった夜。その帰宅途中、動物の皮をまとっただけの青年が、見窄らしいルンペンのような小汚い青年が、痴れたような表情で、ふらふらと歩いているのを発見した時のことを思い出す。
初め、チャンドはそれを無視しようとした。今、あの暗闇の影に潜む子供たち同様、無視しようとした。この大陸で、その手の子供を救うことは難しい。その夜を救っても、数日後には死んでいることが殆どである。仮に、一日や二日、パンをスープ与えることは可能だが継続的に食事を提供し続けることは個人が気軽に行えるものではない。それは、キソーラが溢す財務状況への苦労話からも明らかであり、チャンドにその金がないことも明確であった。
それでも、チャンドは青年を助けた。
助けた理由。それは、、自分が背負っている膨大な仕事量を減らしたいという理由はあった。確かに、それが殆どであった。だが、それは根底ではない。チャンドと突き動かした源は、、そう、、似ていたからだった。青年が持つ黒い髪と黒い瞳、顔立ちが似ていたからだった。それが異世界人特有のものなのかは分からぬが、青年が持つ雰囲気が似ていたのだ。『あれ』に。青年の外見に「あれ」と似ているものを感じたからであった。
チャンドの記憶に居座る『あれ』。遥か昔、あの国でのチャンドの兵士としての生活を終わらせ、愛するものを奪い、長い時間、チャンドを苦しめ続けるもの。それでいて、チャンドが生きる理由となり続けるもの、、あの悪魔がまとっていた雰囲気と似たものを、青年が持っていたからであった。
“お前は相応しい。お前には、私のカヌマブデュになる資格がある、そう、だから、お前に託すんだ。この国、彼女、そして、私の未来を、
あの存在が蘇る、あの威圧的な声が、影の中で響いていく、、
「チャルドード・ソドラ・グリゼンス!」
唐突に、後方から掛けられた声に、過去を遮断される。
そして、数年ぶりに聞いた自分の本名に、
数年ぶりに聴いたその声に、
チャンドがゆっくりと振り返った。
****
「そんな、、まさか」
驚愕する女。その視線の先には、低い電磁音のような唸りが、大きなネジのような筒から発振された蒼白い、炎のように揺らめく刀身が、女のフードを、頭部の脇を突き刺すように存在していた。
「まさか、、これは、、」
その言葉を止めるよう、女のフードに火がついた。慌て、後ろに下がり火を叩く女。だが、皮手袋で叩くも炎は消えず、焦る女は、急ぎ外套を脱ぎ捨てた。
「っち、くそっ、」
舌打ちと共に露わになるその身。黒いプールポワンの上着に皮ベルトで締めた細い腰。ナイフを納めるホルダーも見て取れる。ショートパンツとストッキングのようなもので覆われた足。先よりも全体像が見えることから、それが女性であることを確信させる。鼻と口はマスクで隠されているが、その上には肉食目ネコ科のような大きな眼が、蒼白い炎に反射していた。
“やっぱり、、女だ”
そんな相手の様子を視線で追う青年だが、突如、出現した炎に対し、何が起こったのか分からないまま固まり続けた。壁の中に埋まっていた金属製の棒。ボルトのような形状をした謎の棒。その先から放たれた蒼白い炎の刀身。え?これって、ひょっとしてファンタジーの始まり?いよいよ、僕の特殊能力解放?、、などと思う余裕は当然なく、青年は、只、現状を飲み込めず固まるだけだった。
「この糞野郎が、」
と、吐き捨てた女が片方のナイフを青年の顔目掛け投げつける。が、炎の熱波で軌道が逸れ、ナイフは力なく床に落ちる。それを確認した女は再び舌打ちをすると、素早く踵を返し、そのまま夜の闇へと消えていった。
「まっ、待っ」
その背を追いかけようと身を起こした青年、、だが、無様に床に転げる。手からは大きなボルト、いや、金属製の柄が転げ落ち、蒼白い炎も消えてた。
“生き残れたのか、、僕は、、助かったのか?”
そんな気持ちから、大きく息を吐く。それまで溜まっていた何かが一気に床下へと流れ落ちていく、、だが、それと同時に、股間の痛みが内蔵を強く叩いた。潰れてないか心配するが、それを確認する前、激痛に意識が揺らぐ。視界も朧になっていく。高まる痛みとは反対に、身体を維持できないほどに力が抜ける。脊椎が弛緩していき、感覚が、痛みだけになっていく。
青年は、力なく、その場に、撓るように蹲った。そして、何事も無かったかのように、暖炉の薪が弾ける音を聞きながら、意識を深く沈めていった、
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