13 国を亡ぼす接吻と股間を蹴られる青年②
店を出てトルと別れた青年は、夾竹桃のような雪華が舞う中を暫く歩き続けた。
小さな見窄らしい木造の小屋の前で外套に残る花弁を叩き落とした後、玄関となるドアを開ける。街の繁華街裏。板窓しかなく、壁板のつぎはぎが幾つもある小屋。元々は馬小屋だったらしいのだが、そこはチャンドが安く借りていた彼の塒でもあった。
ドアを閉じ、内鍵を降ろした青年は、そのまま疲労した肉体を長椅子の上で横にした。岩を積上げただけの暖炉と崩れそうな漆喰の壁。初めて来た時よりは多少整理されたが、その分かえって生活感の無さが浮き彫りになった部屋。小さな皿の燭台の上で放つ蝋燭の灯が、疲労した青年の背を撫でていく。
今、青年はそこで寝泊まりしていた。あの日以降、施設の屋根裏で寝るのが怖くなっていた青年。あそこでの生活は、仕事をする上で便利な部分はあったが、剥き出しの梁と薄い板壁だけの空間で寝ていると、常時入居者の騒音が聞こえてきた。特に夜間は静寂もあり、ムポア病の人が叫ぶ声は屋根裏部屋まで届くことが多かった。その声を聴くのが、あの処刑の日以降、怖かった、、
“今までは気にならなかったのにな、”
ムポア病の特徴の一つに夜型せん妄のような症状があり、不穏状態から発する大声が常時青年の眠るベッドに届いていた。“蛇がいる”“蜘蛛がいる”といった幻視の叫び声。また、病状からくる不安。止まらない排泄の訴え。あの日までは、屋根裏部屋へ当然のように届いていた声。
だが、あの日以降、青年はそれに耐えられなくなっていた。自分の寝ている部屋の下で、殺人が起きているかもしれない、、顔を知る職員が人を殺めているかもしれない、、そう思うとあの部屋で安眠することはできなくなっていた。
「でも、来月にはあの屋根裏ともさよならか。新しい仕事、見つけないとな、」
長椅子から身を起こし暖炉に火を入れる。身を丸め部屋が温まるのをじっと待つ。まだ寒さが占領している部屋の中、暖炉の熱がゆっくりと染みていく。そして、暖炉の前に薄いゴム板を敷き、その上に横になる。仰向けで、ぼんやりと天井を見つめた。
鼓膜に残っていたのだろうか、先の酩酊した連中の声の寒さに響いた。連中から受けた誹謗の残響。あの処刑以降、青年を見る住民の視線は大きく変わり、時折、見知らぬ街の連中から暴言や謗りを受けるようになっていた。そしてそれは、青年以外の職員にも向けられていた。
改めてあの事件の重さを感じる。あの酩酊した連中の暴言は極端ではあるが、街の住民の多くがそれに似た感情を抱いていることを知り、強く心が痛んだ。“難病罹患者を囲い込み、合法的に殺している施設”。そんな眼で見る住人も多いとのことだった。
“今までキソーラさんたちが築いてきた街との信頼関係が、一気に崩れてしまった、、”
そのような背景からしても施設の閉鎖はやむを得ないのだろうと、青年は様々な想いが籠った溜息を吐いた。
“施設が閉鎖されたら、入居者はどうなるのだろう?他の施設に転居するのだろうか?職員はどうなるんだ、、この街を離れられる人ばかりじゃないし、、トルさんは漁師になるって云ってたけど、チャンドさんは、、チャンドさん?いや、あの人に心配は必要ないか。あの人こそ、この仕事を続ける必要ないよな。“
チャンドは元の世界に戻るのだろう、と推測する青年。トルの話によればチャンドは「傭兵」としては相当なレベルにあるとのことであったが、その話を、チャンドの実力を証明するような出来事を、青年は思いだしていった、
それは、青年が施設で働き始めてから半年ぐらいのことだった
この異世界では貧困の差は大きく犯罪も多い。窃盗や殺人も多く、その殆どは未解決であることもあり、人としての道を踏み外し生きる者も多い。それ故か、青年の務める施設には金があると勘違いした盗賊が、時折、盗みに入ろうとすることもあった。その殆どは“コソ泥”程度のものであり、青年以外の女性職員による勇敢な対応で防げる程度であり、被害はあっても大きな損害になるものではなかった。
だが、1年半ほど前、深夜に窃盗集団による襲撃事件があった。どこから嗅ぎつけたのか分からぬが、半年分の助成金を一定期間施設内で保管しなければならないことがあり、その夜を狙って盗賊集団が施設建物内に侵入したことがあった。
その時の夜を思い出す青年。未だに起こった出来事が信じられない青年・・・
“いやぁ、鬼神とか武神なんて漫画やアニメの中にしか存在しないと思ってたけど、実在するんだな。あれはやばいでしょ。あんなもの見せられたら、トルさんの話を信じるしかないよな、”
見せられたもの、、それは、窃盗に備え施設に泊まっていたチャンドが、施設内に侵入した集団を一人で撃退する光景。共に施設内で金庫番をしていた青年の前で起こった、現実としては信じられない出来事であった。
施設長の部屋という狭い空間の中、相手の武器を余裕でかわしながら、盗賊のこめかみ、顎先、喉などの急所を正確に殴打していくチャンド。余計な動きはせず、余計な会話もせず、無駄に武器を振り回すこともなく、冷静に、襲い来る盗賊を倒していく光景。
“格闘技経験の有無。その差は大きいと云うけど、、それでも、ゲームじゃないんだから。同じ生身の人間同士だぞ。武器を持った殺意もある連中が相手だぞ。しかも、確か10人ぐらいはいたはず、、そんな相手を素手で、一人で、余裕をもって倒すって。そんなのありえないよな。施設長の部屋が狭いことが有利に働いたて笑ってたけど、あんなもの、目の前で見せられたら、”
あれだけの武術を見せたチャンドなら、複数の殺意を持った相手に怯まない精神力を持つチャンドなら、施設が閉鎖されても、傭兵として充分生きていけるのだろうと、青年は推測した。だが、、
“案外、キソーラさんと結婚して違う仕事をするかも。あれだけ格闘能力あるのなら、警備兵とかもできそうだよな。貴族お抱えの兵士とかも、、羨ましいな。同じ施設で働いていたのに、僕の未来とは雲泥の差だよな、、
やっぱり、男には強さが必要なんだな。逞しさが、、“
自分が最も苦手とするそれを突きつけられた青年は、前のように引き籠りたい衝動に襲われるが、なんとか踏みとどまる。この世界では食事を運んでくれる存在、自分を甘やかしてくれる存在はいないことを強く自身に言い聞かせる。トルやチャンドのような突出した力はなくても、女性と上手く会話できなくとも、自分の力で生きていくしかないと、自身に強く言い聞かせていった。
“あぁ~~これからどうするかを考えなきゃ。でもこの世界、職業訓練校や失業保険なんてないし。職業安定所もないし。どうすれば良いんだ、、あぁ、わかんねぇ。面倒くせぇ。もう色々ありすぎてわかんねぇよ、”
青年は目を瞑り、疲労の沼に落ちていく感覚に身を任せようとした。
だが、沼に沈んで行く青年を、激しくドアを叩く音が引き上げた。
ドン!ドン!ドン!!
ドン!ドン!ドン!!
沈んでいた意識が、激しくドアを叩く。その音に引きあげられる青年だが、表情を顰め、眠気からそれを無視しようとする。だが、ドアを叩く音は止まることなく、強さが増すばかりであった。その音に、チャンドへの要件かもしれないと思い直した青年は、重たい身体を持ち上げた。眼をこすり、チャンドが不在であることを声にする。だが、それでも激しい音は鳴りやまず、青年の意識を叩き続けた。
「もう、うるさいなぁ、、はいはい、ちょっと待ってください、」
語気を強め返事をする青年。すると、ノックの音が突如止み、不自然なほどの静寂がドアの前に残された。「借金取りでも来たのだろうか?」そんな思いを抱いた青年は、ドアの隙間にある小さな除き穴に顔を近づけ、外の様子を伺おうとした、、
、、その瞬間、ドアが割け、何か大きな塊が青年の眼前に出現した。
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