11 オーバー・ザ・レインボー③

 、、あの、アドヴァイスもらっといて申し訳ないんですが、まったく意味わかんないっす。」

「俺の国にある古い諺なんだが、【童貞を捨てるならオーバー・ザ・レインボー】って言うのがあるんだよ。あぁ、そうだ。虹の彼方だ。」

「、、すみません。ほんっっと、意味分かんねぇっす。」

「はは、そうだな。まぁ、説明するとだな、


 トル曰く、諺には様々な解釈があるが、童貞を捨てるには虹の彼方を目指して旅をするぐらいの勇気が必要、とのことだった。


「でも虹の彼方って、辿り着けないですよね。それって、一生童貞は捨てられないってことじゃないですか?」

「そうだ。虹の彼方へは行けない。虹を越えてどこかに辿り着くなんて、幻想でしかない。でもな、この諺は童貞を捨てるのが無理という意味ではなく、遠くから虹を眺めていても何も得られない。たとえそれが幻想であっても夢を目指して旅立たないと童貞は捨てられない、って意味なんだと俺は解釈してるんだ。」

「なんだか、良く分かりませんが、虹の彼方に辿りつけた人、いるんですか?」

「さぁな。それはドロシーにでも聴いてくれ、」

「ドロシー?」

「あぁ、いや、なんでもない、、まぁ、要するにだ、この諺の要は、幻想の世界=女性という最悪の魔王の住む世界へ向けて旅立てるか、未知の世界に挑めるか。そこがポイントだと思っている。」


 旅立つことが重要なんだよ、と。


 男にとって女性と関係を深めることは戦いであり、その戦いの殆どは負ける運命にある。戦死寸前のダメージを負うことが殆どである。だが稀に勝つ事がある。極稀にだが勝利する。その稀な勝利を得るには、まず、戦う意志が必然になる。虹の向うへと旅立つ勇気、無謀な冒険に出る勇気が必要になる、と。


「結局は、童貞卒業だけでなく、あらゆる意味で、目的を達成するには戦う意志、確固たる決意が必要になるってことですか?」


 なんとなくだが、トルの伝えたいことを理解してきた青年。部屋から虹(女)を見て「きれいだな」と思っているだけでは何も変わらない。虹を求めるなら、虹へと向かう決意、虹の向う側へと旅立つ勇気がなければ何も変わらない。たとえ、それが無謀と思える旅でも、冒険に出なければ何も始まらない。


「そうだな。結局は戦えって意味なのかもな。でも、お前の場合は虹が見える場所にいないからな。まずは、洞窟から這い出て、虹を見える場所に行くことじゃないか?」

「すみません、それも意味分かりません、」

「俺が思うに、、


 過去、青年は冤罪を背負わされた。だが、青年はその冤罪に対し戦うことはせず、逃げた。自身を守るための行動だったと思うが、自分の無実のために戦うことをせず、暗い、無限の洞窟の中へと身を潜めた。そして、その洞窟の入口近く、僅かに残る光の中、壁画に絵を描き、そこに向けずっと石を投げつけていた。青年に冤罪を被せた少女の絵を、嘘をつき通した少女の絵を、暗闇の中、ずっと見据え、独りで石を投げつけていた、、それは、一生童貞でいることを選択しているのと同じだ、とトルは指摘する。


「【引き籠り生活】というのが俺には良いのか悪いのかは分からない。だが、もし童貞を捨てたいなら、洞窟から出るしかない。」

「一応、異世界へと放り出されましたが、」

「それは自分の意志なのか?」

「・・・・・・」

「お前自身の意志でこの世界に来たのなら、それだけで充分だと思う。虹が見える場所にいると云えるだろう。だが、お前はこの世界で何をした?自分の意志で何を成し遂げた?」


 自分の意志でこの世界に来たのではない。気づけば、存在した。何故存在するのも分からず、他人から与えられた環境で生きている。以前いた洞窟より居心地はよく、生きている実感もある。だがそこに青年の意志はない。偶然に与えられた幸運で生き延びてきただけ、、


 、、そこにお前の意志がない以上、お前は以前の【引き籠り生活】状態から何も変っていないんじゃないのか?」


 この世界でも、暗い洞窟の闇に潜み、壁に描いた女性に向け恨みを吐きながら、石を投げつけ、妄想の中で女性に復讐しているだけなんじゃないのか、と指摘するトルは改めて青年に問うた。


「今のお前は、洞窟を出て、暗闇から日の当たる場所に立ち、そして、虹の彼方へと旅立つ勇気があるのか?」

「・・・・・・・」

「本当に童貞を捨てたいと心から願うなら、戦え。戦う以外に、童貞を捨てる方法はないんだよ、」


【童貞捨てるなら、オーバー・ザ・レインボーだ】


 解けない知恵の輪に困ったかのような表情を続ける青年だが、改めて、トルが繰り返した諺に、妙な納得を、受け入れがたい納得感を覚える青年であった。




 何時の間にか、先までのジャイブ系の音楽は終わり、ステージも終わりになっていた。食器がぶつかる雑音、娼婦と交渉する男の声だけが響いている。愛や子孫など関係なく、欲望を処理するための煙が充満していく。紫色の煙が、魔法をかけていくのが分かる。女の色香を高める魔法の煙、、、天空にキスをするような感覚に導く魔法の煙、、、


「あれは、ある意味、娯楽だよ、」


 この世界では娯楽が圧倒的に少ない。そして、日常は死と隣合わせである。故に、数少ない娯楽に興じるのも仕方ないと、トルが擁護する。愚かで悲しい娯楽だがな、と。


「でも、この世界にコンドームってないですよね?」

「コンドーム?なんだそれ?」

「え?それはですね、、


 トルの傍らに近寄る。その青年の説明に対し、興味深々と前のめりになるトルであったが、それを聞いたトルは、、


「海、それ完成させて発売したら、すっげぇ商売になるぞ!!」


 と儲け話を聞いた冒険者のような顔で叫んだ。開発しよう、と。真剣なのか冗談なのかは分からないが、ゴム製品の生成技術が発達しているこの世界ならきっと開発できる、衛生面を克服する必要があるが、それもなんとかなるはずだ、と。そして、俺たちは大金持ちになれると青年の肩を大きく数回叩いたトルは、これは俺とお前だけの秘密だぞと念を押した。


「まぁ、その話は置いといて、、確かに、売春は危険な商売だな、」

「避妊具がないなら、、その、、妊娠する女性も、」

「堕胎で命を落とす女も多いって聞いてる。」

「それって、商売や娯楽の域じゃないですよ、」

「そう思う。余りにも女性が不利だし、女性を侮蔑した最低の商売だ。だが、この商売だけは人族の国の全てにある。人身売買もな、」

「結局、男が愚かってことなんですかね、」

「男が愚かなのは否定できないな。だが、結局は人間が愚かだってことじゃないかな。性別は関係ないさ。それに、この人族にある道徳や倫理が間違っているかもしれないし、な。」


 大きな唇を歪め、その表面を酒で濡らしグラスの中身一気に飲み干す。自分も含め、人間の愚かさを受け入れるかのように。そして、堕落と快楽に溺れるのにもっとも有効とされる酒を更に注文した。


「道徳や倫理が間違っているって、例えば?」

「そうだなぁ、、例えは、同性愛者への偏見かな。どうしても雄雌による性交でしか子孫が発生しないとなると、その手の偏見差別が生じてしまう。」

「僕のいた世界でもその手の人たちのコミュニティーを襲う事件とかありましたけど、倫理的にも道徳的にも、差別する方が悪とされてましたよ、、表面的だけかもしれませんが、」

「そうか、良い社会だな。残念だが、この人族における道徳や倫理は違う。道徳や倫理の根本には宗教的教育が大きく関わっているのは理解できるか?あぁ、そうだ、、きっと海がいた世界では科学的、人権的な思想が進み、同性愛への理解はそれなりに進んでいると思うが、この大陸の人族のそれは違う。宗教的な戒律、聖典に記されたそれが全てだ、」

「人族の宗教では認めていないんですね、それを、」

「あぁ、残酷なまでに存在を否定している。」

「残酷って、まさか、」

「想像の通りだよ。この大陸にある人族の国ではそれを絶対的な禁忌とし、正義の名のもとに処分される。多少、昔とは違う解釈も生まれているが、多くの国が今もそれを容認しない。まぁ、公認しようとする国が一つだけあるが、そこでもまだ難しい状況だ、、」


 そんな残酷さを『正義』とする道徳や倫理。そんな人族が崇める宗教がどれだけ「姦淫するな」「盗むな」「殺すな」って叫んでも説得力ないよな、とトルは笑った。怒りとも、諦めとも受け取れる笑み。あまり、青年がみたことのない類の笑み。その笑みをどのように理解してよいか分からない青年だが、トルが何度も「人族」と限定して話していたことについて疑問を投げかけた。「人族」以外は違うのですか?と。


「どんな種族にも、その種族特有の差別があるが、、同性で愛し合うことで差別する種族はないな。その手の差別は存在しない。お前、この世界にエルフやドワーフといった種族の話は知ってるか?」

「えぇ、聞いてるだけですけど、別の大陸に存在するって話ですよね、」

「その2つの種族は同性同士の性行為でも子供が生まれるんだよ、」


「まじっっっっすか!!!!!」


 驚愕し、口を開けたままの海上に笑いながらも、酒を飲み干したトルは話を続けた。


「性行為の意味や内容が俺たち【人族】とは違うんだよ。そもそも、連中に性という概念があるのかも分からない。だから、性による差別はないんだ。エルフにいたっては、精子と卵子による受精があるのかも分からないしな、」

「じゃぁ・・美しいエルフ女性との交わりなんて・・」

「あぁ、、連中、プライド高いから絶対にないだろうな。そもそも連中との肉体的な交わりが可能かもわからん。ゴブリンやリザードマンなら雄雌の区別があるから可能、、


「遠慮しときます。」


 泣き出しそうな青年の答えに苦笑いするトルだった。





「そういえば、デュムマさんって、どうなったんですか?」


 気持ちが落ち着いた青年が話の向きを変えた。青年はあの処刑の日以降、姿が消えた女性にとに触れた。あの時、卒倒する青年の視界の奥、薄っすらと笑みを蓄えていた女性の話へと矛先を向けた。


「数日前、別の街へと旅立ったらしい、」

「婚約者、だったんですよね、ゴゼグさんの、」

「そう聞いている。他の職員や街の連中からもな。2人で街を歩いているのも何度か目撃されてたしな。」

「それでも、通報したんですね。恋人が処刑されるかもしれないのに、」

「そうだな。嘘でなければ、立派な行為だと思う。嘘でなければ、な。」


 嘘、、それを繰り返したことから、トルは今でも冤罪だと思っているようだが、青年は通報内容の真偽とは別な部分で、デュムマに会って聞きたいことがあった。


 通報内容の真偽は分からない。今となっては彼女以外に真実は分からない。だが、話によれば、ネモの死から彼女が通報するまで2日ほどの時間があったとのことから、青年は、彼女の中に相当な葛藤があったのだろうと推測していた。「通報」。職務上その義務があるとはいえ、対象者の命を奪うであろうそれを行えた理由、、婚約者の命を奪うであろう「通報」を行った理由、、


 決して、その決断は簡単なものではなかったはず。通報はデュムマ自身にも相当な変化を強制する。別の街へと旅立ったことからしても「通報」は決して簡単なことではなかったはず。仕事も環境も変化させ、新たな人生を歩むことは、この世界の女性にとって相当な困難な始まりとなる。


 それでもデュムマは「通報」した。様々な状況や私情に関係なく通報した。


 青年は、通報の真偽は別として、決断した理由をデュムマに尋ねたかった


 彼女は、女性職員の中で最も印象が薄く、目立たぬ存在であった。他の職員とは異なり、青年に嫌悪感や侮蔑は見せないが、会話の際も俯き、小さな声でしか話さない職員。常に布マスクを着けており、前髪で目を隠すような仕草も多く、正直、どんな顔だったか、どんな声質だったのかも思い出すのは難しい女性であった。そんな彼女に青年は尋ねたかった。自分の婚約者や仕事、自分の今の環境等を犠牲にしてでも真実を通報できた理由を。


 真実を通報したのなら、その勇気の理由を

 嘘の通報したのであれば、嘘を真実とした理由を

 デュムマがあの女でないことは理解しているが

 仮にその答えを聞いても意味がないことを理解しているが


 それでも、、青年は、、


 、、ですが、もうどこへ行ったのか分からないんですよね、」

「そうだな。もう真偽は分からないってことだな、」

「全てが藪の中ですね。」

「あぁ、だが、残された俺たちには残酷な結果が落ちてきた、、


 、、デュムマの通報の真偽は別として、ネモの死、それについての彼女の通報が引きがねになり、俺たちの日常は壊れた。施設の閉鎖、何十人という職員の失業。街の連中が俺たちへ向ける疑心暗鬼の眼、、


 、、今まで病死/自然死した利用者も殺されたのではないかという疑念も至る箇所で沸いているだろうな。」

「なんだか、一気に世界が変わった気がします、」

「そうだな。だが、海、お前は特にこれから大変だぞ、」

「分かってます。異世界人ってだけで再就職のハードル高いってこと、、」

「いや。俺が言ってる意味は少し違う。」

「え?」

「お前の人生が様々な意味で転がりだしてるってことだよ、」

「転がり、、だしている?」

「あぁ、男の人生は何かをきっかけに一気に転がる。その多くは、悪い方向に転がるんだが、、お前、その兆しがあることに気づいているか?」


 兆し。悪い方へと転がる兆し。


 その言葉に嫌な緊張感が帯びる。腹の底で何かが蠢くような感触に、青年は返事をすることができず、ただ、じっとトルの視線に晒され続けた。そんな青年の戸惑いを察したのか、トルは『冗談だよ』と繰り返し笑った。そしてグラスを空にし、再度同じ酒を注文しようとするも、その手を下げ、グラスを逆さまに置いた。すると、、



“よう!人殺し施設の職員さんよ!病人殺して金もらえて、良い身分だよな!おまけに、残った遺品を売って金儲けって、良い商売だよな!”

 “職場の周りは女だらけ!夜も女と楽しく働く!今度、俺も、「夜の介護」に招待してくれよ!一緒に楽しませてくれよ、、、



 数人の酩酊者が、2人のテーブル脇へと流れ込み、酒臭い息で身勝手な暴言を吐きかけてきた。あの処刑の日以降、何度かあびせられた謂れ無い馬事雑言。青年とトルは、それらを無言で眺めた後、相手にすることなく店を後にした。

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