8 どうやらあのメイドが逃亡したらしい
どうやら、あのメイド、逃亡したらしい。
しかも、私の責苦に耐えられず逃亡だと、、
ふざけるな!そんなことが許されるわけないだろ!
あいつは、私がこの国を救った対価の一つだ。確かにメイドは複数いる。私も鬼ではないから人数は10名ぐらいで我慢してやってるが、それでも、私が命をかけて戦って得たものを、勝手に減らす気はない!ましてや、身勝手な逃亡を許すなど勇者の名にかけてありえない!
ありえない、、ありえない、、
私は、あいつに様々な名誉を与えてやった。散々喜びを与えてやった。あいつは私に使えることがなければ、三流貴族の三女で終わってたはず。本来であれば、商人の家にでも嫁がされ適当に終わっていたはずの人生。それを私が目をかけてやり、私のメイド長として地位を与え、この私に仕えるメイドとしての最高の名誉を、素晴らしい生き甲斐を与えてやったのに、、
逃亡だと?ふざけるな!!
、、確かに、夜はいじめ過ぎたかもしれない。無理をさせ過ぎたかもしれない。だが、それに見合うだけの報酬を与えたはずだ。この国、いや、この大陸最強の勇者である私を陰で支えているメイドの一人。この国の救世主の世話をするメイド。その長に取り立ててやったんだ。最高の名誉を与えてやったんだ!全ての女性の憧れ、全ての女性の羨望的な存在にしてやったんだ!それなのに、、
ふざけるな!ふざけんじゃねぇ!許さないぞ!絶対に許さないからな!!
、、はぁ、はぁ、、まぁ、落ち着け。落ち着け自分。大丈夫、あのメイドの所在は簡単に分かる。なにせ、散々私の精を注ぎ込んでやったからな。この魔法を使えば、ほら、、簡単に、、
ふ~~ん、そうか。そこに居るのか。なら、目的地はあの街だな。確かに、逃げ込むには調度良いかもな
ふふ、、ふふふ、、ふはははは、
偶然とは恐ろしいものよな。あの、失禁して逃げ出した青年が、あの街にいる可能性が高い。命を助けてもらっていながら礼の一つも言えないからあの青年がいるかもしれない。
ふふ、、これは楽しくなってきたな。怒りが一巡して、楽しみの方が強くなったな、、面白くなってきたかも。あの2人に戦わせ、殺し合わせるのも面白いかもな。地下ダンジョンに閉じ込め、泣きながら殺しあうのを観て、酒でも飲むとするか、、勿論、生き残った方も殺してやる。散々嬲りものにして、大勢の前で、無様に死なせてやる。死なせてやるよ、死なせてやる、、
面白い興が見れそうだ。
****
山頂より低く、アーククラウドと呼ばれる陰鬱な雲が街の空に弧を描く。
その下、施設の物品搬入口の脇に座り込む青年は、右眼窩を抑えながら大きな岩石に座り、天の斑を眺めていた。昨晩まで降っていた雪は止んでいたが、その残骸は大きな塊として施設全体を覆うように積もっており、多くの職員が残骸の処理、「雪かき」をしていた。普段よりも強い突風に粉雪が舞う。
そんな中、夜勤明けの青年は座り込んでいた。一人、黒紫に腫れた右眼窩を抑えながら。
先まで他の職員と一緒に雪かきをしていた青年だが、その右眼窩の腫れと痛みからくる眩暈を心配したトルから休むよう告げられ、入口近くの床に座り込んでいた。陰鬱な雲と同じ色をした内出血。右瞼が大きく腫れている。身近にある、固い雪の塊でその箇所を冷やす青年。この寒さと痛みと眠気から、何度か大きく上半身が前後する。
「海、お前は部屋に戻って寝ろ。」
心配するトルが声をかける。人間離れした肉体で、ブルドーザーのように信じられぬ量の雪を処理していくトル。青年に早く部屋に戻るよう再度促した。雪かきは職員平等の義務ですからと答える青年だが、痛みが戦線復帰を許してくれない状態も理解していた。
「眼窩周辺の内出血を甘くみない方が良いぞ。視力に影響を及ぼすし、無理に動いて眼球近くで出血が増えると失明する危険もあるんだぞ。他の職員には俺から話すから、部屋に返って寝てろ、」
トルの再度の言葉に納得した青年は、岩石から腰を上げ、ふらふらしながら歩いていった。眩む地面に足をとられないよう、軽い吐き気を覚えながら。
(今を遡ること数時間前)
それは、青年が深夜の勤務中に起きた。
施設において入所したムポア病患者は2階で暮らしており、その2階は8つの部屋に分けられ、それぞれ部屋の角に4つのベッドが配置されていた。
その時間、ある部屋を巡回していた青年は、部屋の壁を延々と叩く人物を発見した。何かを呟き、焦るような表情で叩き続ける人物。普段より『自分は不当に監禁されている』といった趣旨の発言を繰り返しており、職員に対しても攻撃的に接触する30代の男性。ふらふらと不安定に歩くが、関節に拘縮や麻痺はなく、痩せてはいるが筋力はそれなりに維持されている男。転倒リスクは然程高くないが、施設を離脱するリスクは高い男性。
普段、夜は熟睡していることが殆どなのだが、その人物は険しい表情で壁叩いていた。トイレのドアをノックするかのような加減で、、そう、男性はトイレを求めていた。
青年が近寄る。排便特有の異臭が失禁を知らせる。男性の険しい表情、整わない呼吸。トイレに行きたいという切迫した気持ちからの行為なのだろう。そう推測した青年は、後ろから静かに声をかけた。会話の成立が難しいムポア病の男性ではあるが、無闇に行動を制限するのでなく、恐れを与えないような言葉と身振りを選び、巧みにトイレへと誘導した青年。歩みと共にズボンの裾から便が落ち、床に線を描いていく。それを一旦放置し、なんとかうまくトイレへと誘導することに成功した青年は、男性のズボンを降ろし、下着の内側に溜まった排便の処理をしようとし傍らにしゃがみ込んだ、、
その時、それは起こった。
それまで大きな抵抗感を示さなかった男性が突如、暴れ出した。ムポア病の人とはいえ自力で歩く筋骨がある人間であり、暴力という衝撃を与えることが十分可能な男性。その男性の肘が勢いよく、下着を降ろそうとした青年の顔面、右眼窩に直撃した。
それは「暴力」ではないのかもしれない。下着内にある排便を処理しようとした青年の行為に驚いた故の反射的な動きだったのかもしれない。だが、「何をするんだ!」との言葉と共に両手を大きく動かした男性の肘は、青年の右眼窩を殴打した。反射的で、悪意のないアクシデントものかもしれないが、結果的に、男性の肘は青年に激痛を与えた。
衝撃を受け、余りの痛みに床に蹲った青年。だが、、事はそれだけでは終わらなかった。
次の瞬間、蹲った青年の後頭部に、何かが落ちてきた。大きな、放屁の音と共に、男性が我慢していたであろう残りの塊が、、青年の頭部に、、
(戻ること現在)
はぁ~~~~~~~と、長い溜息をつき、青年はベッドに横たわる。
重く肉体に留まる疲労にベッドが深く軋む。既に入浴は済ませ、全身も洗っている。着替えもした。それでも、自分の頭皮に排便が落ちてきた時の感触は忘れられず、なんとも言えない感覚が脳の奥にこびりついていた。
青年は分かっている。この仕事の多くは排泄に関するものであり、排泄は健康状態を知る上での重要なサインであり、心肺停止した後でも排便があることからしても、排泄こそが人生であると言っても過言でないことを。また、この施設で入浴を多く担当する青年は、排便の浮かぶ湯に両足を入れることなど日常でしかない。故に、今更身体に排便がついたぐらいで、何でもないとを、、この仕事をしていれば仕方がないことである、と。
だが、、
「まいったなぁ、この痛みだと、仕事休まないとダメかなぁ、」
雪を含んだ布で右眼窩を抑えながら、増殖していく痛みに顔を顰める。腫れあがる瞼。吐き気も覚える。夜勤明けであることから相当な眠気が溜まっていた青年だが、眼底から延髄に抜けるような痛みに邪魔され、眠れない苦しみに藻掻いていた。
一旦身を起こし、部屋に戻る途中でキソーラから渡された薬を冷水で飲む。薬効として痛み止めにもなるが幻覚症状も引き起こす、との説明もあり服用を躊躇っていたが、既に精神的な猶予がない状況が服薬を促した。
「ヒビとか入ってないよなぁ?もしそうなら、この世界で手術とかは、」
無理だよな、と呟く青年は、再びベッドで横になった。暫く、身動きをせず痛みに耐えるだけの時間を過ごす。身体に熱が溜まっていくのを感じる。発熱に魘された幼い頃の記憶を思いだす。子供部屋のベッドで、共働きだった両親を求め、独り、寂しさに苛まれた時間が蘇っていく。
やがて、薬が効いてきたのか、青年は半分程、眠りに沈んでいった。強い痛みのためか、覚醒の水面から顔面だけが浮かぶように残し、身体だけが眠りに沈んだ状態となる。睡眠の湖に、中途半端に沈んだ状態、、、
半眠状態とでも言うのか、青年は自分が眠っていることを理解しながらも意識が保たれているという、奇妙な状態に陥っていた。そして昨晩の出来事を、排便が頭部に落ちた後の出来事を、思い出していく、、
未だに信じられぬ、夢とも現実とも判断がつかないそれを確認するかのごとく
(再び数時間前)
それは、、激痛に耐えながらも、下半身が排便まみれになった男性の清拭と更衣交換を終え、ある程度落ち着いた男性をベッドに寝かした後の出来事だった。
青年は痛みでふらつく中、もう一人いるはずの職員を探した通常、夜勤は2名体制で行っており、その夜も青年とは別に女性職員が一人存在していた。青年よりも高身長で細身だが、その引き締まった肉体が示す腕力脚力は青年のそれを余裕で上回る、女性職員のアデラを探した。常に無機質な眼をマスクの上に浮かべ、マスクの下で青年に対し何かを呟いている女性職員。その呟きの殆どが馬事雑言の類であったが、それに対し俯き、聞こえないふりをする青年に対し、時折、あえて聞こえるように暴言を吐く女性職員。
“早く辞めろよ、気持ち悪いやつ、早くこの街から出ていけ、、”
青年に向け、明確な嫌悪を口にする女性。同じシフトに入ることが苦痛だと公言しており、青年が最も苦手としている女性職員であり、最も避けたい存在、、それでも、青年はあまりの痛みにアデラを探した。流石にこの痛みでは仕事を続けられず、助けを求め、この2階の部屋のどこかにいるであろうアデラを探した。
だが、不思議なことにその姿はどこにもなかった。夜勤中、施設は全ての戸が施錠されている。利用者が暮らす4人部屋となる居室は8つあるが、そのどこにもアデラの姿はなかった。居室の窓は全て施錠されており、2階から1階へと降りる階段にも格子状のドアがあるが、それも施錠されたままであり、窓、ドアを解錠する鍵は青年が持っていることからして、アデラはこのフロアのどこかに存在するはずだった。
だが、何故か青年はアデラと会うことができなかった。
トイレか?と時間をおいて各部屋を巡回するも、姿をみつけることはできなかった。
アデラは、青年を嫌っているからといって、どこかで仕事をさぼっているような職員ではない。どちらかと云えば完璧主義者であり、曖昧さを許さないタイプである。洗濯物のたたみ方や、日誌の文字を見てもそれが滲んでいる職員である。なのに、、
“おかしいな、鍵は僕が持っているし、彼女が何も言わずに外に出るとは思えないし、”
増幅していく痛みに眩暈を覚える青年。朦朧とする意識に肉体が引っ張られていく、、
その意識に、屋外で断続的に発生している聞きなれない音がぶら下がった。重質感のある金属同士が衝突するような、不快な音が、青年の意識を留めた。
“こんな時間に、何の音だ?”
不審に思った青年は、痛みに堪え、鍵を解錠し、窓を開ける。そして、音がする庭の方へと視線を向けた。既に右目は腫れ、視点が上手く合わない青年だが、月の無い薄暗い夜に響く衝撃音の先を覗く。薄暗い施設の庭、、そこでは、、
(再び現在/ベッドの上)
“あれは、、夢だったのだろうか?”
眠りに沈みそうな中、青年は、ぼんやりと思い出していく。
窓を開けた視線の先、、そこでは2二つの大きな影が、争っていた。1つは、熊のような獣の影であり、1つは、細長い胴体の影であり、2つとも、人の普通の動きより素早く、2つとも、人とは輪郭が異なる影であった。
その二つが衝突するたび、鈍く、重い、金属が衝突するような音が響く。獣が唸るような音も混ざっている。蛇が威嚇するような音も聞こえる。そして思い出す。その輪郭が同時に動きを止め、窓から覗く青年を目視したことを、、その直後、痛みに眩みその場に膝をついたことを、、再び、立ち上がり、庭を確認した際には、既に影も音も消えていたことを思い出す。
暫く後、何処からか現れたアデラが背後に立っており、無機質な眼で青年に休憩するよう告げたことを、、
“まぁ、あれ、夢だよな。この街の周辺に獣のような存在がいるなんて話は聞いたことないし、今までも一度としてそんな存在に遭遇してないしな、、でもあれは、、”
青年は自分を説得しようと試みる。あれは幻覚でしかない、と。その理由として、以前の世界、引き籠り時代、頻繁にプレイしていたゲームに巨大な熊と大蛇が戦うものがあり、過去に繰り返した記憶が、激痛を切っ掛けに幻覚を創造したと、、
自分を納得させようとする。あれは幻覚でしかないと。だが、、
ソファソファーで横になる青年へ、アデラが無言で渡した氷嚢。それが、夢とは思えないような冷たさであったことを思い出す。そして、その氷嚢を渡した腕から、野生動物が有するような動物臭がしたのを思い出していく。
“いや、、幻覚だよ、、幻覚。先日、街で幻聴もあったしな、、最近の僕は、ちょっと変だからな、異世界で生活してるんだから、記憶の混乱があっても不思議じゃないよな、、そうだ、混乱だ、、
あぁ、沈む、、、沈む、、大丈夫、服用した薬のせいで、混乱しているだけだ、、
全て、、沈む、、幻覚、
、、どこからか、青年の耳にはピアノとギターのデュオが奏でる音楽が聞こえていた。静かだがスピードのある、ワルツのような音楽が屋根裏部屋に響いていく。雨音のように優しく、氷壁の奥に広がる景色のような音楽が、今までに聴いたことのないような旋律が、青年の眠りに響いていった。
そして青年は、理解できない夜勤を沈めていった。潜流(アンダーカレント)に全ての不可思議を流し、眠りについていった
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