7 黒電話と掲示板
寒いなぁ。
まぁ、雪山にいるのだから、暖かいはずないか。
この国では、スキーは国民的な娯楽と聞いていたが、、これはスキーではないな。うん、違う、違う。抑々、スキーは細長い板が2枚だ、、これは、パラフィンワックスのようなものを塗った一枚の板に紐と金具で靴を固定した、、スノボだ。スノーボードだ。まさか異世界に来て初めてスノボを体験するとは思わなかったなぁ、
だが、任せておけ。競技は違うが、サーフィンは得意だ。海と雪の違いはあるが、板に乗って滑るという点では同じことだ。どんな荒波も乗りこなしてきた自分だ。多少違うが、慣れば、同じなはず、だ、ほら、ほら、みてみろ、、波乗りと同じように
「魔法を使用して滑るのは反則です、」
・・っち、うるさいな。娯楽なんだからどんな方法で滑ろうと関係ないだろ。楽しければ良いんだよ、楽しければ。まったく、口うるさいメイドだ。いいんだよ、楽しめれば。それに、お前、なんでこんな所まで来て、メイド服を着てるんだよ。言っとくが、メイド服の上に毛皮の外套って変だからな。ちょっとエロいけど、変だからな、、
それにしても、今日は天気も良いし、気分爽快だな。ここ最近、色々あって屋敷の中で鬱々とした生活を送っていたから、余計に気分が晴れる。紺碧の空と白銀の斜面の世界。煌々と風が舞う世界。ロッジ傍に並び立つ観音菩薩のような樹氷も美しい。雪だるまの三十三間堂みたいだ。それに、この雪質、パウダースノーとでも云うのだろうか?滑っていると空中を移動しているような感覚になる。
「魔法で空中移動できるのに何を言っているんですか?」
いや、魔法で移動するのと自力で滑走するは感覚が違うんだよ。自分の足で登山をするのと、車で山頂まで行くのとでは味わう景色が違うんだよ。転んで雪の上を転がる痛みも、滑走の振動も、肌を刻む刃のような風も、実に心地良い、、
「数十人を一気に切り刻める刃風を起こせる人が何を言っているですか?」
だから、魔法と自然現象では感じ方が違うんだよ、、本当にうるさいやつだ。今晩、その生意気な口をきけないよう塞いで、二度と消えない傷を植え付けてやるよ。
それにしてもこのスキー場、標高はどれぐらいなんだろう?ここへの道中、メイド達に高山病のような症状が出ていたから、3000m以上はあるのか?正確には分からないが、相当高いのだろう。酸素も薄い。魔法で心肺機能を強化している私ですら少し呼吸が苦しい。ひょっとして5000㎞級の山なのだろう。確か、レインボーマウンテンがそのくらいの標高だったなぁ、
まぁ、標高が高い分、今日のように晴天の日には遥か遠くまで展望がきく。国の東を占めるこの山脈からだと、裾野に広がる城塞都市が、私の住む屋敷がある都市の全体がよく見える。周辺に点在する村々も、、雪がなければ田園地帯も見えるのだろうが、今は全てが真っ白だ、
ん?真っ白?真っ白なのか?
いやいや、白だよ。白。私がそう思うのであれば、白だ。今は、色覚も多様性の時代なんだから白で、良いんだよな??
その真っ白な城塞都市の奥、地平線を形成する大森林。この国の西側を埋める広大な森。ここから見ても、果ての見えぬ大森林。所々、低い岩山が存在しているが、、なんとも得体の知れない森だ、、この国は、その大森林から様々な恩恵を受け続けてきたとのことで、話によれば、様々なゴム製品の元となる樹脂もこの森林にある「なんとか」って木から取れるものらしいし、、
あれ?なんて名前だっけ?駄目だなぁ、最近は名前を思い出せないこと多いな、、、まぁ、木の名前は置いといて、あの地平線を全て覆っている森は本当に得体が知れない存在らしい。街で高名な冒険者から聞いた話だが、森の深部は常時鬱蒼とし、獰猛な獣も多いらしい。それに、森特有の迷宮というか、方向感覚を狂わす力が相当強いらしい。同じような樹木が壁のように立ち並んでいて、どこも同じ光景に見えてしまうと云ってたな。おまけに、コンパスも正常に機能せず、目印をつけて進んでも知らない間に目印が消えている。厄介な昆虫も多く、人を襲う植物も多いらしい、危険な森、、
「その危険な森へ、頻繁に潜っていると聞きましたけど?」
そう。その通りだ。私はその森の奥深くに潜っている。まぁ、魔獣も昆虫も私には危険な存在ではないし、興味もない。そんなの、敵にすらならないさ。
初め、その森に接触したのは、クナンという国へ行く途中経路となるからだった。話によれば、この国から森を西方に、直線的に横断するとクナンという国があるらしい。異種族が共存したアグード共和国の南方にある海沿岸部の国だが、そこは漁が盛んらしいから、そこで上手い魚を食べたりダイビングがしたくって、、
あぁ、それだけじゃない。日没特有の黄昏たビーチで渺々と広がる黄金の海原を眺めたい。潮風を受け真夏の砂浜を踏みしめたい。雪の照り返しじゃなく、暑い太陽の日差しで肌を焼きたい。街での日常から解放されたい、戦争や政治を忘れたい、、そんな気持ちからだった。
だが、どうやってもクナンへは辿りつけなかった。何度も飛行魔法で森を横断しようとしたが駄目だった。元々、飛行魔法は大量に魔力を消費するが、どう抑制して飛行しても途中で魔力が枯渇した、、枯渇?いや、違うな。不具合を起こすだ。ガス欠ではなく、エンジントラブルになるのだ。この大森林を覆う魔法磁場はカオスな状態になっていて、なんと言うか、、バランスが悪い。納豆と果物を珈琲で煮込んだような状態とでもいうのか、、そんな料理試したことないけど、、あの森の上空では安定して魔力を維持できなかった。
そんな厄介な森に、私は何度も足を踏み入れている。
え?そこまでバカンスしたいのかって?いや、もうクナン国へ行くことなどはどうでもよい。バカンスも違う形で実現しているしな。
それに、クナン国へ行くには、森の上空を経由するのが唯一のルートではない。かなりの時を要するが、森を迂回していけば数日で辿り着ける。今は戦争も終わったからそのルートも普通に使える。だから、わざわざ飛行魔法を使い、森上空を飛び、自らの魔力を減らす危険に身を晒す必要などないのだが、、
、、それでも、何かに呼ばれるんだ、、そう、森の何かに呼ばれ、導かれるんだ。何かを教えようとする声に、、導かれ、、
まぁ、森の話はもうやめよう。今は貴重なバカンスの最中だ。
そういえば、大森林といえば、あの時の青年はどうなったのだろうな?『葉先が紫に変色した獣道に沿っていけ。そうすれば何時か森を抜け、人里に辿りつける、』、、なんて、冒険者連中から聞いた話をそのまま適当に助言として伝えたが、、あの青年、無事森を抜け出ることができたのだろうか?あの場所から近い街となれば、、あの温泉街の可能性が高いな。確か、ンッドバベ王国の端にある街だよな。無事、森を抜け、人里に辿り着けたのだろうか、、単純に、助けてやれば良かったのかな、
「珍しいですね。戦場では味方兵士を早々に見捨てるのに、青年一人を気にしているのですか?見捨てた青年を、」
見捨てるとか言うなよ。失礼だな。戦場で一番大事なのは自分が生き残ることなんだぞ。私が死んだら、この国の防衛力は一気に落ちるのだから、そう簡単に死ぬわけにはいかないんだよ。時々”仕方なく”見捨てるだけだ。時々な、時々。
それに、私はこの国が戦争に勝つために召喚された勇者だ。英雄様だ。国が勝つために授かった力を、青年一人のために使う義務はないだろう。本来、そのまま見殺しにしても、誰からも非難されないはず、、そうだ。この魔力は敵兵士を消滅するためのものだ。裸で失禁する青年を救うためのものではない。この勇者の力は、この国を救うためのものであって、見知らぬ青年を救うためのものではない。そんな義務はない、、だが、、
う~~ん、なんだか、腹がたってきたな。考えみれば、あの青年、感謝の言葉の一つもなかったしな。森を抜ける方法を教えてやって、死骸の獣の毛皮から立派な外套まで生成して与えてやったのに。礼の一つも言わず、失禁して逃亡だなんて、、
だんだん、怒りが沸いてきたぞ。なんだか殴りたくなってきたな。まさかとは思うが、今頃のうのうと風呂にでも入ってるんじゃないだろうな?助けてもらったことすら忘れ、オ●ニーとかしてるんじゃないだろうな。いや、本当に苛ついてきたぞ、、
「その青年、生きている可能性はかなり低いのでは?」
いや、そんなことはないさ。そんなことはないはずだ。あの魔法エレメントを強烈に吸う森で、氷結魔法をあれほどまで大規模に展開させたのだからな、、、
生きてるさ。きっと、生きてどこかの街に辿りついて、また失禁してるさ、
****
どんよりとした灰色の空。その下を、ゆっくりと流れる波頭雲。あまり風のない、穏やかな牡丹雪が降り続く昼の街。久しぶりの休日を利用し、幾つかの所用を済ませるため、街を歩く青年。一人、黙々と。近況を話し合う知人もなく、親交を深める友人もなく、笑みを交わす異性もない青年。外套のフードとマフラーで顔を隠し、雪で濡れる石畳の路に視線を落とし続けていた。
青年の歩く温泉街。リゾート地らしい賑わいのある街。日常の常識から解放され、乱れ、淫らに過ごすことができる街でもある。そんな街を、穏かで大粒の雪が舞う中を、青年は俯き、独りで歩いていた。
目的地の一つである店のドアを開ける。そこは施設にパンを納品している店でもあり、時折、余ったパンを寄付してくれる店でもある。保存のきく硬いパンとチーズを買う。が、、普段、チャンドやトルには笑顔を見せる女店主は、単独で存在する青年に対して笑顔は見せなかった。軽い挨拶と会計のやり取りのみ。そんな女店主が店を出る青年の背中に声を掛けた。
『パンの卸値について話がるから、後で店に顔を出すようトルに伝えてくれ。それと、チャンドに先日の飯代をもってくるよう伝えてくれ』と。
青年は女店主のそれに無言で頷き、そのまま店を後にした。
パンの入った袋を持ち、次の目的である靴屋のドアを開ける。修理を依頼していた靴を受け取る。施設で暮らす歩行障害のある者たち向けに特殊な靴を製作してくれる店。そこでの会話も、修理箇所の確認と金銭の支払いのみ。会話らしい会話はなく、早々と用事を終える。金銭を払い、店を出る際、大柄の女店主が青年の背中に声を掛けた。
『チャンドの靴の修理も仕上がっているから、金をもって顔を出すよう伝えてくれ。必ず、金をもってとね。まったく、本当に金にはルーズなんだから』と。
青年はそれに対し無言で頷き、そのまま店をでた。
その後、幾つかのドアを開け、生活必需品を購入していく青年だが、その全てで同様の状況が繰り返される。青年が交わすのは、事務的な言葉のみ。店側から発せられるのは、チャンドの金銭感覚へのクレームばかりだった。
”あの人、本当にお金にはだらしないんだなぁ、”と嘆く青年。
「スマイルは無料」という言葉が存在しない街で、フードを被ったままの青年は、誰とも会話を交わすことなく所用を処理していく。様々な伝言が、自分の背に書かれていくのを覚えながら。
所用を済ませた青年は、荷をまとめた大きな麻袋を背負い、繁華街の中心地にある噴水広場を抜けて帰ろうとしていた。が、そこに満ちた普段と異なる雰囲気が青年の歩みを邪魔した。
雪が舞う中、大道芸人の集団がボールやリングを使った曲芸を披露しており、広場は大勢の観客で溢れかえっていた。寒さを弾き飛ばすような笑顔を見せる曲芸師たち。バンドネオンとエアリード式の笛に乗り、ナイフを使った幾つかの芸が観衆を沸かす。沢山の拍手が広場にばら撒かれる。笑顔が、噴水のようにあふれる広場。
その広場で場所で足を止めた青年は、群衆から離れ、広場に面した服店の軒下で雪を避けながら、壁に背をつけた。そして、大道芸人たちが繰り広げる曲芸でなく、明るく笑い拍手をする群衆でもなく、青年は、金を求め、声を上げている女性たちを眺めた。群衆の中、投げ銭を求める数人の女性。派手な服を着て、少しでも多くの金を集めようと造った笑顔で声を張り上げる。金を求める笑顔。
“嫌な笑顔だ、”
呟いた青年は、決して観衆の輪に加わらないよう気を付け、雰囲気に飲まれないよう、距離をおいて、遠目に眺めた。そして、恐れた。その造った笑顔を。過剰なまでに拵えた感がある、偽の笑顔を、恐れた。
“同じだ。この連中も同じだ、同じ。あの女と同じだ。僕を殺したあの女と同じ、、気味の悪い、造った笑顔だ、”
雪の寒さの中、硫化水素の異臭を覚える。マフラーから口を出し、フードを外し東洋人らしい黒髪を露出させる。一重の細い目で、金を求める「嘘」の笑顔を睨み続けた。
すると、ある男たちが青年に近づいてきた。どう見ても堅気ではなさそうな目つきの連中。それら連中は遠回しにチャンドの近況を尋ね確認すると、“近い内にちょっとした仕事を頼むかも”とのチャンド宛の伝言を残し去っていた。
また、それらとは別に、トルの知り合いという女性たちから彼の近況を尋ねられる。最近酒場に顔を出さない、送った手紙に返事がない、服を買ってくれる約束はどうなった、知らない女と店で飲んでいたがどういうことか、、、などなど様々な愚痴のような言葉を受ける。皆、青年へは何等興味を示さず、青年が「存在しない」かのような視線を残し、掲示板に伝言を書き込んで去っていった。
“結局、街の人々からしたら、僕はあの2人の伝言板でしかないってことか、”
借金をして賭博をする。酒と女に入り浸る。先日、施設長のキソーラが「ダメな大人」の印を押した2人だが、その2人は多くの知り合いを持ち、多くの交友関係を築いている。「ダメな大人」であっても、人間社会の中で生きることは優秀であることを示している。その2人の庇護のもと生きる青年は、「ダメな大人」にすらなれないことに深い苦しみを覚えた。
”仕方ないさ。僕は彼ら2人の影でしかない。あの2人の存在に付着しているだけの影なんだから。この街の人たちからすれば、わざわざ異世界人の僕と関係を持つ必要なんてない、、伝言板で、当然か、“
、、ふと、青年は思い出す。昔、「イジメ」を受けていた頃、加害者連中が自分のことを「黒電話」と呼んでいたことを、、
、、授業の科目は覚えていないが、小学5年生の時、何かの理由で教室の電子黒板に黒電話のアップが写った。その際、正面から見た黒電話特有のフォルムから、一人の男子生徒が叫んだ。青年の容姿がそれに似ていると。そして、軽い笑いをとった。四角錐台のような本体の上に乗っているフォルムから受ける印象が、どこか青年に似ているとのことだった。
更にその生徒は、黒く塗装された電話と、余り上手く話せない内気な青年の性格を重ねて揶揄し、青年と黒電話は「いずれ社会から必要されなくなる存在」という意味で同じであるとの発言をし、結果、青年に黒電話という「あだ名」を刻印したのであった。
あの時の、クラスの微妙な雰囲気を思い出す。爆笑ではなく、侮辱的な暗い笑いに澱む教室。侮蔑を口にした男子生徒に同意しながらも、それを隠して笑うような周囲。陰湿な陰口が蠢き、教師ですらどうしてよいか分からないような状況が広がっていったのを思いだす。
青年は、あの男子生徒には未来予知能力があったのではと、異世界の雪の下で苦笑した。
“前の世界では黒電話で、今の世界では掲示板か。でも、あの時点で僕が社会から消えることを予言してたんだから、あいつエスパーだったんだな、”
いや、魔法使いかな?など、自虐的な冗談を溢す青年だが、心筋に鋭い痛みを覚える。指先が震えるのが分かる。その痛みと震えが、過去に縛られている自分を強く意識させる。消すことができない記憶に拘束されている自分を、、
”イジメ、、最も卑劣で、最も人間が行ってはならない行為。最も、人間として許されない行為だ、、だから「イジメ」を行う連中、そんな連中は、正義の名のもとに全員駆逐、、
、、いや、駄目だ。正義もイジメも同じだ。色が違うだけの同じ化け物だ、“
呟き、過去を断ち切るように大きく息を吐き、過去から現実へと意識を取り戻そうとする青年は改めて周囲を見渡した。
知らぬ間に、大道芸人の曲芸は消えており、代わりに広場では5人ほどの女性が派手な衣装をまとって歌い踊る演舞へとなっていた 先まで投げ銭を求めていた女性たちが、雪の中、先と変わらぬ仮面をつけて、肌の露出が多い衣装で踊っていた。その露出に誘われるよう、歌い踊る女性たちの周囲は先とは異なる類の観客で埋められていた。
その光景を眺めながら、青年は自身へ言い続けた。過去ばかりを見るな、と。今は住む世界も違う。労働もし、金銭を得ている。自立して生活している。昔の、イジメを受け引き籠っていただけの自分とは違う、と。
だが、執拗に過去が青年の心を覆っていく。決して、青年を逃さないと、執拗に追いかけてくる。どんな世界にいっても、どれだけ生活が変わっても、青年は黒電話でしかなく、青年は伝言板でしかなく、青年は「イジメ」の対象であることに変わらないと、
“この世界でも僕は「イジメ」の対象なのか?この世界でも、僕は黒電話でしかないのか?直接的に暴力を受けていないだけで、僕は、無視されるだけの存在なのか?結局、僕は、あの女の呪縛から逃れることはできないのか、、”
防ぎようのない過去の記憶という暴力に苦しむ、、
そんな中、青年は、先とは異なる記憶を取り出した。イジメる側の原因を記した記事を思いだしていった。
その記事によると、「イジメ」の原因は、排他的欲求、自己保身的欲求、自己防衛欲求などの様々な欲求があると記されており、どれもがイジメる側の「脆弱さ」を指摘している内容であった。それら分析に納得も否定もしなかった青年ではあったが、その最後の方に記されていたことには、強く共感したことを思いだした。
「イジメ」の根底には「快楽」が関係しているとの指摘を、、
究極のところ「イジメ」の根底は「快楽への欲求」である。「イジメ」は強烈な「快楽」を人間に与える。それ故に行為を繰り返し、やがては中毒になり、気づけば本人たちだけではやめられなくなる。そして「イジメ」という中毒に冒された者は、もっと強い快楽を得るため、より強い刺激を求める。過激さを、残酷さを強めていく、、
「イジメ」の対象が自殺しても「イジメ」をしていた側にあまり罪の意識がないのは【自分たちは「快楽」を得るために遊んでいただけ】という壊れた感覚のためであり、それが、まさに、イジメの根底理由である、、
“快楽が根底か。確かに、連中は楽しそうだった。馬鹿みたいに、狂ったように笑っていた。快楽を覚えすぎて壊れたように、笑っていた。楽しかったんだろうな。僕をイジメて、楽しくて、楽しくて、仕方なかったんだろうな。”
湧き上がる記憶。連中の笑い声や、ニヤニヤとした表情。それにつれ、上手く呼吸ができない青年の中を、青年の思考を、残酷な正義が駆けていく、、報復的な正義が、、
“一度、快楽を深く味わった者がその快楽を忘れることはない。薬も酒も異常性癖もそうだが、一度深く刻んだ快楽を消すことは容易ではない。脳が覚えた快楽を消すことは難しい。それは、教育者連中に注意されたぐらいで解消されるものではない、、だから、、イジメを行う連中、中毒患者は隔離するべきなんだ。措置として、強制的に隔離施設に入れ、徹底的に矯正する必要がある。徹底的に再教育を、、
いや、再教育なんて意味がない。他人の人権、尊厳を踏みにじる中毒患者が元に戻ることはない。脳に刻まれた快楽は、教育では治らない。だから、「イジメ」の快楽中毒に陥った連中は一生隔離施設の中で、一生、死ぬまで、、
、、駄目だ。僕は何を考えているんだ。“
青年は、暴走する残酷な発想を止めた。その考えは「イジメ」をしていた側と同じであると。青年は理解していた。隔離と称して、残酷な行為を一方的に加え、相手を死に至らしめる。それが加害者と同じ発想であり、加害者が振り回す正義と同じ色をしていることを、青年は理解していた。
自分に向け警告する。自分が容易に残酷な考えに陥ってしまう人間であることを警告した。そして、もう自分はあの頃とは違い、引き籠ったまま、暗い部屋でゲームをしているだけの自分じゃない、と何度も言い聞かせた。
“そうだ、、もう、僕は昔の自分じゃない。黒電話でもない。伝言板だけど、それでも労働し、自分の力で生きている。昔の僕じゃない。女性と上手くコミュニケーションはとれないままだけど、昔の僕じゃない、、もう、、昔は、過去は、関係、、”
“本当に関係ないの?”
薄暗い灰色の空から、雪の様な声が降り注ぐ。聞こえることのない、知ることもない声が、ハウリングのよう響きで話かけてくる、、
その過去は、君と関係ないのかと。今の自分は過去の君が作りあげたもので、過去を否定することなどできないと。そして、過去のない者は未来を築けない、と。
青年に問いかけてくる声。見知らぬ声。
溺れ、沈みゆくものがみる、水中に差し込む光のカーテンのような声。
その光に縋るよう、、青年が呟く、、
“なら、僕は、どうすれば良いのですか?”
“それを知るために来たんじゃないか、、 赦されるために、この世界に、、
パン!パン!ババッババ!
その声を打ち消すよう、強く鳴り響いた大きな破裂音に青年は驚き、正気に戻した。
大きく息を吐く。呼吸を忘れていたのか、心臓が強く、激しく脈を打っているのに気づく。暫くの間、雪を受け続けた顔には幾つもの滴が流れた痕が残っている。それら濡れを肌から拭った青年は、改めて大きく息を吐くと、周囲を確認した。
視線の先では、女性の舞を終りを迎え、観衆から受けた拍手に対し手を振っているとこであった。その手に向かい歓声をあげる男たち。破裂音の残響と、爆竹特有の煙硝の臭いがする広場。その空間を、会話をしていた相手を探すよう、青年は何度も見渡した。
”あれは、誰の声だったんだろう?”
背筋が、冷えた汗で濡れているのが分かる。肩で息をしながら、陸に上がった魚のように口を動かし、先の言葉の相手を探す。だが、当然の如く、その存在を見つけることはできなかった。
”知るためにこの世界に来た?赦されるため?いや、なんだそれ?今のは単なる幻聴だ、、幻聴だ、、気のせいだ、、”
未だ海中で上下感覚を失ったような感覚が身体に残っているが、青年は急ぎ、駆け足で広場を離れた。群衆を掻き分けていく青年。再び過去に捕らわれないよう、過去に蝕まれないよう気をつけ、青年は急いだ。職場という自宅に向け、自分が存在することが許されている唯一の場所へ向け、足を早めた
“でも、、僕は、、過去から解放されるためにこの世界に来たのだろうか?”
そんな疑念を押し込み、足を早める青年。ふと、水滴が数個、青年の眦を濡らした。軽く空を見上げると、雲のうねりの隙間から、長く伸びる氷柱のような光が数本、鋭い槍のような形で垂れ下がっていた。
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