5 マスクをしているとそうみえてしまうんだよ②

「まだ、女性が、苦手なのか?」


 大きな荷車の後部に、大きな身体をあてて押す。トルの言葉が、苦しそうな呼吸を含んでいる。


「そう簡単に、直りは、しませんよ、、」


 答える青年の声にも、同様の息苦しさが含まれている。


 滴る汗、服の隙間から上る湯気。街の中心地にある市場で買い付けた食材や資材。別の街から届けられる仕事で必要な物品。その他もろもろ、かなりの量を積んだ大きな荷車の後ろを押す2人。先までの石畳の路とは異なり、雪で泥濘みになている道を進む。


 この街では湧き出る温水をダムのようなもので一旦蓄積し、定期的に主要道路や道路側溝へは温水が流れる構造になっており、その熱で膨大な積雪を溶かすようになっていた。豪雪地帯特有の工夫。街は常時、硫化水素のような臭いに覆われていたが、積雪により街の往来が止まるよりは良い環境であった。


 だが青年たちは今、その主要道路から外れた土道を進んでいた。溶けた雪で泥濘み、滑りやすい状態となった上り坂の道。足裏の沈むような重さに苦労しながら荷車を進めていた。


「俺たちとは話せるようになったじゃないか、」

「まぁ、数か月ほどかかりましたけど、」

「初めは話せないのかと思ったよ。けど今は、割と『うまく』やってるじゃないか、」

「男性職員のみなさんはとは、ですね。けど、、」

「けど?」

「女性職員の方々は、その、、冷たいというか、、なんか、視線が怖いです。」

「気のせいだよ。気のせい。マスクしてるとそう見えてしまうんだよ。表情の微妙な変化が分からないから、余計なものを感じ取ってしまうんだよ。海が自分から積極的に話せば、」

「それができないから困ってるんです、」


 そう。青年は、困っていた。


 異世界に転移/転生してもなお強く残る「イジメ」の記憶。そのためか、異世界で働くようになってから2年ほどが経過しているが、青年は未だ女性と会話をすることが上手くできず、困っていた。


「でもよ、普通、逆じゃね?海をいじめてた連中の殆どは男なんだろ?」

「えぇ、日常的に僕をイジメてた連中は、全員男でした、」

「なら、女性より男性の方が苦手になるんじゃね?」

「普通はそうなんでしょうが、でも、僕にとっては、、


 自分に濡れ衣を着せた女、あの女ほど恐ろしい存在はいないと青年は応えた。


 、、確かに、あの男連中から受けた傷は深いです。今も背中やお尻に「根性焼き」の痕があります。それが痛む度に苦しみます、、でも、連中は憎悪の対象ではありますが、恐怖の対象ではありません。連中は、物理的に、距離的に離れてしまえば関係ない存在です、、


 でも、あの女は、あの「嘘を貫き通すした女」は本当に怖いです。あの「嘘を貫き通す意志」は心底怖いです、と青年は繰り返した。




「でもよ、女性の全てがそんな怖い意志を持ってるわけじゃないだろ?」

「それも、分かってます。頭では分かってますよ、、でもダメなんです。どうしても女性にあの女のイメージが重なってしまうんです。あの女の影が滲むんです、」

「自分を騙し、絶望に突き落とそうとしていると?」

「そんなわけないって頭では分かってはいるんですけど、どうしても、」

「そうか、、でもよ、女性でも、男性でも、上手く付き合う方が人生は豊になるぞ、」

「その通りなんですけど、」


 青年は、どうしても女性とうまく会話ができずにいた。その存在を前にすると、反射的に視線を反らし、俯き、強い鼓動に喉が締め付けられ、上手く話せない状態に陥る。例えその相手が八百屋の女店主でも、パン屋の女性販売員でも、薬の配達員女性でも、飲食店の女給でも、施設を訪れる女性看護師でも、仕事の同僚女性であっても、幼い少女であっても、、、青年は、頑なに、自分を守るかのように視線を伏せ、女性を自分の間に壁を作った。そして、あの出来事で受けた傷口が開かぬよう、再び女性によって深い傷を負わないように、自分を保護した。臆病な自分を保護した、、


「お前、先日施設前でばぁさんに道を尋ねられても無視したらしいじゃないか、」

「、、よく知ってますね、そんな話、」

「俺の馴染の酒屋のばぁさんでね、」

「世間は狭いですね、」

「それに、マーチャンちゃんも、申し送り内容がはっきりしないって怒ってたぞ。ごにょごにょ喋るから何言ってるか分からないって、」

「マーチャンさん、声低いし、大柄だし、最も視線が怖いから、、途中から何がなんだか分からなくなるんですよ。」

「確かに、はっきりと話すし自己主張も強い子だけどよ、裏表のない良い子だぞ。他の職員からの信頼も厚いし。結婚するならあの子だと思うぞ、」

「結婚は別として、僕も彼女が良い人だってことは分かってます。でもどうしても反射的に、」

「昔の記憶が邪魔をする、か?」

「、、えぇ」


 勾配の強い箇所に差し掛かる。荷車に当てる身体により力を込める。動物の皮で作ったフード付きの外套。その下に着ている、足首から胴体まで覆うゴム製の服。水族館職員や漁師が着ているような防水服。汗とゴムが擦れる奇異な感触が身体を包む中、青年は息を切らしながら応えていく。自分ではどうすることもできない、と。


「僕も頑張って会話しようとはしてるんです、、僕だって、全ての女性がそうじゃないってことは頭では理解してます。でも駄目なんです。身体が言うことを聞かないんです、」

「でもよ、これからどうするんだ?これから生きていく上で。海も女性に興味がない訳じゃ、」



「やめとけ、トル、」


 そこまでだ、とチャンドの声がその先を遮る。先頭で荷車を曳く足を止め、額の汗を拭うその声が会話を止める。


 道が一旦平面となることから少し休憩すると、チャンドは竹筒のような水筒で喉を潤した。3人でそれを回し飲みし、暫しの休憩を取る。雪こそ降ってはいないが、その分、冷たい山風が様々な軌道で3人に襲いかかる。風圧で外套のフードが激しく鳴り、隙間から侵入した冷気が皮膚を切り裂く。そんな中、喉を潤したチャンドは、その問題は青年個人のものであり、青年がどんな人生を送るか、どのように解決すか、必要以上に他人が触れるべきではないと話した。


「でもよ、旦那も心配だろ?海の今後を考えると、」

「今後どう生きるかは海上自身で決めることだ。女性と共に生きる、家庭を作ることだけが幸福ではない。生きる道は様々だ、」

「それは否定しねぇけど、将来を考えたらよ、」

「だから、だ。海上の将来の問題に俺たちが深く干渉するべきではない。それに、心の傷は治癒しにくい。時間をかけても治らないことの方が多い。だからこそ、自分で生き方を決めるしかないんだ、」

「海が、【独り】で生きていくことになっても、かい?」

「【独り】で生きることが、必ず不幸なわけではない。家族と一緒に暮らしても、恥となる行為を犯す者も多い。今後、海上がどのように生きていくか、それは海上が自分で決めることだ。俺たちが海上を一生指導し続けることはできないのだから、、


 いずれ、俺たちも互いに別れ、異なる道を進むのだから。


 そう話すチャンドは、この先は更に勾配の厳しい雪の坂道なることから、より気合を入れて押すよう声掛けをし、再び荷車を曳き始めた。『今は3人で同じ道を進もうと、』との言葉を落とし。





 青年の務める施設まで伸びる、勾配の厳しい坂道。南の山脈に向かうことになるため、そこまでの道のりは全て厳しい上り坂になっていた。滑車に絡まる雪を払いのけ、必死に進む3人。靴の裏には鉄製の滑り止めをつけているが、それでも路面は滑り、何度も転倒する。転び、膝を打ち、肘を打ち、顔も雪だらけになる青年。そして、転ぶ度に、記憶が蓄積されていく青年、、昔のイジメの記憶。社会的に抹殺された時の出来事。とある女性に呼び出された時の映像が再生されていく、、


 、、それは、青年が14歳の時、鬱陶しい梅雨に入った頃の出来事だった。既に虐めの対象となっていた青年は、ある少女から呼び出しを受けた。話たことのないクラスメートの女子が、周囲に気づかれないようテーブルに置いていった色紙。そこに綴られた女性らしい文字。夕方、美術部で使用している教室で待っていて欲しい。そう記された紙には、猫がウィンクするようなイラストが添えられていた。


 その差出人は普段の虐めグループとは関係性がなく、どちらかと云えば優等生的存在であり、大人しい印象のある少女であったこともあり、それに応じた青年。それが「告白」でないことは理解していたが、当時はまだ、この世界にはある日突然訪れる【救済】イヴェントがあると信じていた青年は、その日の夕方、誰もいない教室を訪れた。その女性がメシアとなり自分を【救済】してくれることはないにしても、何か少しでも現状が好転してくれればと、淡い期待を胸に抱き、一人で。だが、結果として、その淡い期待が、青年が社会的にデリートされる切っ掛けとなった。


 教室へ少し遅れて現れた少女は、油絵の臭いがする中、無言で対面した青年の前、突如上服の前を開き、下着を乱雑に崩し、胸部が露出したような姿で青年の前に蹲った。そして、怯えた表情で青年を見上げる構図を作り上げたのであった。


 何が起こったのか理解できず、茫然とする青年。その表情に向け、今まで見たことのないような被害者の仮面をつけて見上げる少女。訳も分からず息を飲む青年であったが、、


 数秒後、複数の携帯が教室内になだれ込み、そのレンズが状況を切り取っていった。少女を襲った青年という構図だけを成立させていった。


 そこで漸く、青年は悟った。全てはイジメグループの連中が仕組んだ罠であり、これが美人局のような行為である、と。


 、、それは、連中からしてみれば退屈凌ぎでしかなく、証拠写真で脅して金でも巻き上げることができれば、笑いが取れれば、その程度の軽い気持ちだったのだろうが、その愚かな行為は青年の存在を消去へと導いた。


 翌日、連中の一人の軽率な行動からSNS上にその際の写真が流出した。そしてその捏造写写真は一気に拡散され、結果、多くの生徒や教師も知ることになり、青年の中学校生活は驚くほどの速さで終わりを迎えることになった。


 数枚の携帯カメラの写真と、真実を捻じ曲げたその女性の「嘘」によって。


 当然、その事態に対し青年は真実を口にし、必死に、何度も周囲に訴えた。だが、悉く青年の言葉は圧し潰された。どれだけ真実を語っても、青年の言葉は嘘偽りとして処理された。そして、被害者女性の嘘とイジメグループの偽りのレンズだけが真実と化し、着々と正義という兵器が構築されていった。


 14歳の青年を葬るための正義。


 どんな残酷な行為も正当化する正義という兵器。その兵器で青年を殴り、撃ち続ける学校。犯していない罪に対し過剰な罰を叫ぶヒステリックな保護者たち。それら狂気に謝罪し続け、痩せ衰えていく身内、、夜な夜な泣き続ける両親の姿、、数か月後、結果的に相手の少女とは示談になったと聞かされるも、真実を訴える青年の声は悉く消され、青年は社会からデリートされた、、


 深い絶望の中、憎しみも、怒りも、悲しさも、全てを心の奥底に沈め、洞窟へと籠った青年の記憶、、




 、、畜生、、どうして異世界に来てまで、あの記憶に苦しまなければならないんだよ、”


 苛立ち、嘆きと共に、青年は荷馬車を押し続けた。車輪の下の雪をじっと見据えながら、過去を封じ込めるよう、冷たい台地を、滑る坂道を踏みしめ、進んでいった。





 ****





「はぁ、疲れた、」


 仕事を終え、風呂で身体を温める。


 この地は温泉街であり、湯は常に大地から供給されることもあり、青年が浸かるそれは豪華な大浴場、、ではない。成人が2人ほどは入れる長方形の浴槽。床を掘って嵌め込んだようなそれは、底がスラントしており、床からそのまま歩行で入り、身を斜めに横にして入浴するような形状になっている。浮力に負ける者がつかまれる手摺りも設置されている。洗身用の木製の大きな椅子が二つ。背もたれ、手摺りがあるその表面は全てゴム膜で覆われており、更に、浴室の床の殆ども厚いゴムシートで埋められていた。


 一般的な風呂場とは異なる、特殊な浴場。無機質な浴場。そこは青年が仕事として最も多く時間を過ごす場所でもあった。


「はぁ、癒される。それにしても今日は特に疲れたなぁ、」


 溜息と共に、生命のある「誰か」を入浴させるということが、とてつもない疲労を生むことを再認識する青年。他人を入浴させるという行為には相当な慎重さ、長時間の無理な姿勢維持が求められる。40㎏~60㎏程ある人間を脱衣場へと誘導し、衣服を脱がせ、椅子に乗せ、洗身し、入浴させ、浴槽から身体を引き上げ、肌を拭き衣服を着せる。入浴させる人数の都合上、この工程を一人30分程で終えなければならないのだが、健常者相手でないそれは40分でも足りないほどであった(正確な時間は分からないが)。


 また、対象となる、生命のある「誰か」の多くは、少しの衝撃で破けそうな皮膚や脆い骨を有する。更に、可動域の狭い関節に、認知力低下が著しい「誰か」。そんな他人を、介助が必要な人を、「怪我なく」入浴させるには相当な慎重さと丁寧さが求められるのであった。


「一人30分で終わらすなんて無理ゲーだよ。無理。相手は、単なる病に罹患した人じゃないんだよ。ムポア病の人なんだから、」


 青年が介助する人。そこには一つの条件が存在していた。それは、この世界で『ムポア病』と呼ばれている難病の一つに罹患しており、日常生活を一人で送るには難しいと判断された人。そういう条件が付帯していた。


『ムポア病』。


 それはこの世界において一度罹患したら最後、治癒する見込みはないとされる病。その病に冒された人は、殆どが見当識障害を発症しており、幻視や幻覚を発症する者も多く、作業的な介助では対応できない「誰か」であった。


 その「誰か」の入浴介助をすることは、非常に困難であった。衣服の脱衣着衣の際には「追剥ぎだ!」と騒ぎ、入浴を理解できず「海に沈められる!」と大騒ぎする者もいる。また、浴槽内で身体が温まることで腸内活動が活発になり、浴槽内や浴室で失禁する者も多い。不当に連行されていくと思い込み、浴室への移動を頑なに拒否する者も多い。


 それらの症状に対し、決して暴力的にはならず、時間をかけて対応する故、一人の入浴介助が40分で終われば良い方であったのだが、、再び、仕事への愚痴をこぼす青年は、。一日の内の殆どを過ごす浴場で、介助に使用している特殊な形状の浴槽に浸かりながら、一日の疲れを癒していった。


「今日は辛かったな。入浴介助して荷物の運搬、その後も入浴介助って、拷問だよ、、まったく、どうして、あんなにお風呂を嫌がるんだろう?こんな気持ち良いのに、」 


 入浴を拒否する人たち。チャンドからは『それが分からない内は、まだまだ半人前だな』と指摘された疑問でもあるが、青年には未だその答えは見つけられず、大きく首を後ろにそらした。


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