第5話 水無月るおんの大懇願。


 「やだ」


 美術準備室の窓。

 手前が台になっていて、あたしはそこに頬杖をついて外をみている。太陽が住宅街の向こうに消えかかってる。時刻はもうすぐ五時半。

 後ろにいる水無月みなづきるおんのほうには振り向かない。


 「美桜みお、おねがい、なんとか、このとおりいいい」


 背中で、るおんが声を出している。なんだかずいぶん下のほうから聞こえてくる気がする。この子もしかして土下座してる?


 「やだったら、やだ。ふたりで行ってくればいいじゃん」

 「無理だよお」

 「じゃ行かなきゃいいじゃん」

 「うなああああああ」

 「……だいたいさあ、なんで出会った当日からおでかけしなきゃだめなの? 今度の週末とかでよくない?」


 じゃり、と、踏み出す音がした。


 「……からも、い願う。この漆黒の怨念を解放すべき黄金期を失うわけにはまいらぬのだ。今宵こよい、約束された狂血きょうけつの地平が開かれる。この……勇者、るおんの手によって」


 胡桃崎くるみざき先輩の声も、背中の斜め下あたりから聞こえる。これは、片膝ついてるな。魔王に片膝つかれる経験も貴重だなあとは思う。


 さっき、るおんと胡桃崎先輩は手に手を取り、なにごとか話し込んでいた。あたしはなんだか疲れてしまって、ぼけっと窓から外をみていたのだが、その間に決まったらしい。


 いまから、お茶、いく。

 積もり積もった想いを、おたがい、今日のうちにゆっくり、腰を落ち着けて話したい、聞いてさしあげたい。


 るおんにそう言われ、あたしは、そうですか、がんばって、となった。

 ところがるおんは、あたしについてこいというのだ。


 ふたりきりだと、魔王と武士のままだ。少なくともお互いに慣れて、家族のように接することができるようになるまでは。だから、いろいろ手助けが必要というのはわかる。

 あたしだって、るおんの恋は、応援してる。声援を送る。成功を祈る。

 でも、魔王と武士の間をとりもつまでの余力はいまのあたしには残っていない。


 「……せっかくあたしのこと、わかってくれる人に出会ったんだもん……いますぐ、お話したい……」

 「すればいいじゃん、ここで」

 「だって学校しまっちゃうし」

 「週末とか来週でいいじゃん、先輩もるおんも、ずっといるんだから」

 「うううう……」

 「……ちいさき黒薔薇くろばら、るおんよ。我が手をとれ。宝玉のごとき涙を拭うのだ……」


 先輩がなにやら小芝居をはじめた。


 「……我が主君あるじ何故なにゆえでござりましょうや。何故、我ら忠義のものが、かかる厳しきお沙汰さたを受けねばならぬのでございましょうや」


 るおんが涙まじりの声でこたえる。


 「余は……神勅しんちょくそむき、あまねく宇宙を喰らわんとするもの。そして賢者、美桜は救世の宿命を背負う。余とぬしの、この……夜陰やいんに沈みし美しき黒神話の成立を……許すわけには参らぬのだろう」

 「くっ……あまりで……あまりでござりまする……! おん殿のご下命あらば、かかる宿命など、我が秘剣にて両断してみせましょうものを……!」

 「ならぬ……ならぬのだ……美桜はただただ、小さき宿命に従うことを強いられし、哀れなる人間。我ら、果て無き暗黒の花園に生を送るものとは相容あいいれぬ運命さだめなのだ……」

 「おん殿とのおおおおおお!」

 「あああああああああもう! わかった! わかったから!」


 あたしはたまりかねて叫んだ。立ち上がって振り返る。

 ふたりは地面に膝をつき、互いの目を見つめ合い、手を取って涙を浮かべていた。

 同時にこちらを向き、おおきな笑顔を浮かべる。


 「賢者、美桜……っ!」

 「美桜どの……っ!」


 るおんはあたしには普通に話せるはずなのに、つられて武士になっちゃってる。

 腰に手をおいて、ため息をついた。


 「もう! わかった! ついてくよ! お店で店員さんとかに通訳すればいいんでしょ。いろいろと。めんどくさいなあもう!」


 ふたりは目を見合わせ、あたしに頷いた。目がきらきらしている。長年、ひとりで抱え込んできたものを共有できる相手がみつかったことでお花畑になっているようだ。


 お店で注文すらまともにできそうにないカップル。魔王と武士であるがゆえに。そんなものを野にはなって大丈夫なのだろうか。

 大丈夫なわけはない。


 こんな展開になるとは思っていなかったが、あたしにも責任の一端はある……ある、かな……いや、やっぱりないな。ないけど、まあ、しゃあない。ふたりがひとりだち、ちがった、ふたりだちするまで、面倒をみることにするか。


 あたしが腕を組んで考え事をしているあいだに、ふたりはすでに扉の前にたっていた。並んで、にこにこしてこちらを見ている。


 「美桜お、いくよお」

 「賢者よ。悠久のときといえどもぬしら人間にとりては限りのあるもの。惜しむことが肝要であるぞ」

 「だあ! もう!」


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