第4話 水無月るおんの大承諾。


 あたしは思わず、水無月みなづきるおんの手を握った。


 にげよう。

 やばい。なんか。このひと。あぶない。

 手を引く。が、るおんは動かない。

 震えたまま、胡桃崎くるみざき先輩の顔を見上げている。


 と、先輩は頭にやっていた手を下ろし、るおんをまっすぐ見つめた。ふたりの目があう。


 「……安堵せよ……我が掌中しょうちゅうのか弱きものどもに魔天の鉄槌を下すことはせぬ……るおんとやら、剣をおさめよ」


 剣? そもそも先輩のいってることはぜんぶわからないけど、剣?

 と、るおんは目をすこし見開いた。頬が桃色になる。


 「……せ、拙者の秘剣……貴公には、みみ、みえていたのでござるか……?」


 るおん?


 「……選ばれし騎士のみが持つ闘気。に隠すことはあたわぬ」

 「……と、当家伝来の居合術いあいじゅつ、無念の相。ひとたび間合いにはいらばただちにるとの覚悟を、いついかなるときも携えておりもうす」

 「さもあろう。前夜、ぬしと邂逅かいこうした際の裂帛れっぱくの気合い。暗黒の地平を両断する神明の聖剣のごとくに感得した」

 「……ぶ、武士はおのれを知るもののために身を投げ打つもの……」

 「ちょっとまったあ!」


 あたしはたまらず声をあげた。


 「なに? なんなの? え、どういうこと? まず先輩、なんなんですか、あたしたちをからかってます? るおんがこんなだから、って、悪ふざけしてるんですか? ひどいです、るおんが可哀想じゃないですか!」


 るおんはあたしのほうをちょっと見て、すばやく先輩に目を戻し、すぐにくしゃっと顔をゆがめた。

 と、その顔をみた先輩は、ひどく驚いた。慌てたように左右を見回し、そうしてまた両手を頭の上にもっていく。髪の毛を乱暴にかき乱した。

 すう、はあ、と何度もゆっくり息を吸って、眉をぎゅっと逆立て、いつもの先輩の顔にもどった。


 「……ち、がう……」


 先輩はゆっくり、ひとことひとこと、声をだした。


 「……わざと、じゃ、ない……んだ。婦女ふじょ……う、お、女のひとと、はなすと、俺、あんな、かんじに、なってしまって……」

 「……」


 訝しそうにわたしが先輩を睨むと、また慌てた顔になり、手を振った。


 「ほ、んとう、だ……そんな、目で、を……ごめん、俺を、見るでない……うう、みない、で……あね、姉たちが……」

 「……姉?」


 そのとき、あ、と、るおんが小さな声をだした。


 「あたし、聞いたことある……胡桃崎先輩、すっごい美人の歳のはなれたお姉さまが三人いて、女のひとに囲まれて育った、って」

 「そ……うだ、そして、姉たちが……おたく、マニア、で……」

 「……なんの、ですか?」

 「……け、剣と、魔法、とか……ふぁ、ふぁんたじい、って、いうのか……姉たち、俺が小さいころから、ずっとそういう本ばっかり、読ませてくれて……テレビも、漫画も、ぜんぶ、そんなので……」

 「あぁ」


 あたしとるおんは、同時に声を出した。どこかで聞いたような境遇。

 とぎれとぎれに先輩は、悲惨な半生をはなしてくれた。


 一番上のお姉さんは先輩より十歳上。お父さんが先輩が生まれてすぐに亡くなったため、お母さんが働きに出て、そのあいだ先輩の面倒をずっと見てくれていたらしい。このひとは、十代のころから声優として活躍しているという。

 二番目のお姉さんは八歳上で、小説を書いている。三番目は七歳上で、漫画。それぞれ、ファンタジー分野で高校生のころにデビューしており、いまではアニメ化されている作品もあるという。

 三人に共通してるのは、重度のファンタジーおたく、ということだった。


 特に長女が重症で、母親がみていないところではずっと、魔女、もしくは女魔王として先輩に話しかけ、世話をし、勉強をみてきたらしい。

 さすがのちに声優になるひとで、迫真性がすごかったという。

 先輩のちいさいころの記憶は、実際に空飛ぶ竜に乗ったり、魔剣を持つ騎士たちと旅をした映像で埋め尽くされているという。

 次女は先輩が住む異世界の世界観を構築し、三女がそれを、視覚化する。

 先輩の長い旅が終わったのは中学校入学のころで、長女が結婚して家をでたためらしい。


 しかし、手遅れだったという。

 女性に話しかけられると、姉たちの声が重なる。すると、魔王モードになってしまう。小学六年生のときの配役、最後の立ち位置が、魔王だったためらしい。


 「……うぅ、えぐ、ひっく。ふええええ」

 「なんであんたが泣くのよ」


 るおんは先輩の説明をききながら、ずっとしゃくりあげていた。


 「だってえ。わかるもん。わかるよお。あたしも小さいころ、お侍さんたちと一緒に江戸城の大広間、並んだ記憶あるもん」

 「あるのかあ」


 あたしは額に手をあてた。先輩を見る。こちらも、なんだか目が赤い。


 「……だか、ら、きのう、君が、あんな、感じだった、から……もしかして、俺の、いうこと、信じてくれるんじゃ、ないのかな、って……」

 「ふええええええん!」


 るおんはそれを聞いてひときわおおきな声をあげ、先輩の手をとった。


 「信じます……! あたし、あた、せ、拙者せっしゃ、終生を賭けておつかもうそう、おん殿のご身命しんめい、我が剣にかけておまもり参らせるとお誓い申そうぞ!」

 「あ、あり、ありが……ぬ、ああ……ぬし、余の、常闇とこやみの花嫁となりて……炎龍の満ち満ちる漆黒の、無窮むきゅうの大帝国にて……黄泉よみの精霊すら永劫えいごうに飲み込もうぞっ!」

 「我が主君きみよ……っ!」

 「愛しき不死の黒薔薇ばらよ……!」


 ふたりが泣きながら手を取り合っている間、あたしは窓際に歩いて行って、ぼんやり校庭を照らす夕陽を眺めていた。


 ああ。きれいだなあ。夕陽。

 ふつうの世界。


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