第3話 水無月るおんの大驚愕。


 翌日の放課後。

 あたしたちは並んで、美術準備室にむけて歩いていた。 


 「……結局、あたしが付いてくことになるのね」

 「うう、ごめんね……だって」

 「みなまで言うな。わかってる。あんた今日一日、すごかったもんね。誰に話しかけられても武士を発動しかけてた。先生に当てられて、くせ……っていったときは焦った。あれ、くせもの、って言いかけたでしょ。よくぞ止めた。むしろ偉い」

 「……朝からずっと、あたまのなか、真っ白だったし……」

 「うん、まあ、だろうけどね……とにかく、怒られるにしても、ちゃんと謝って、気持ちはちゃんと伝えた方がいいよ。あ、現代語でね」

 「……美桜みおがそばにいてくれたら、大丈夫とおもう……」

 「まあ、乗りかかった船だ。いっしょに怒られてあげるよ。でももし、万が一、億が一、いい感じの空気になったらすぐ出てくからね。あとは自分でなんとかしなさいよ」


 るおんはあたしの方をみて、目を潤ませている。


 「ううう、美桜お……」

 「泣くな。お鼻。ほら、もう美術準備室だよ」


 向こうの美術室から静かな作業の音が聞こえる。美術部の数人が、なにかの制作をしているのだろう。彼らの平穏のためにも、こんなところで素っ頓狂な武士モードを発現させるわけにはいかない。 

 準備室の扉の前にたつ。美術室とのあいだにはイーゼルなどの道具をしまっておく小部屋があり、どちらの部屋で会話しても、よほどの大声でなければ、互いに聞こえることはないはずだった。

 胡桃崎くるみざき先輩、なかにいるのだろうか。準備室のなかからはなにも聞こえない。


 さあ、と、水無月るおんの背中を軽く押す。

 うん、と頷いて、るおんは、深呼吸をした。

 眉をきゅっとあげ、口元をひきむすぶ。

 大丈夫。いまは武士モードに入るほど、緊張していない。今度はいける。


 「かいもおおおおおおおおおおおおおん!」

 「ばかああああ!」


 るおんと同時に、あたしも叫んだ。準備室の扉に向って開門を乞い、るおんはそのままくちをひし形にして固まっている。だめだったかあ。まあ、なんとなく想像はついていましたよ……。


 と、そのとき。


 「……はいるがよい」


 準備室のなかから返答があった。穏やかな、重々しい声。あたしは顔を覆っていた手をおろして耳をそばだてた。るおんも、固まったまま目を見開いている。


 「はいるがよい……黒き領域へ」


 はい?


 もう一度きこえた声は、くろきなんとか、といったように思えた。るおんの顔を見る。彼女も聞き取れなかったらしく、眉をそばめている。

 目をみあわせ、たがいに首を傾げて、それでもあたしは、頷いて扉を指差した。はいろう、と言ったのだ。たぶん、あれは先輩の声。


 「……し、しつれい、します……」


 るおんは、こんどは正常な現代語を発音することが叶った。扉をからからと引き開け、薄暗い室内に入る。後からあたしもついてゆく。


 幅二メートル、奥行き五メートルほどの準備室。むこうの壁には小さめの窓がある。夕陽が差し込むその窓を背にして、だれかが座っていた。

 小さな椅子に、どんと、腕を組んで座っている、胡桃崎先輩。

 逆光で表情が見えずらい。が、大柄な先輩がそういう姿勢でいるだけで、威圧感がものすごい。るおんでなくとも、びびる。


 先輩は、うごかない。くちをきかない。


 と、横に立つるおんが前に進み出た。横顔に、決意があった。


 「せ、せっし……わた、し、水無月るおんと、いいます。きき、きのうは、ほんとに、ほんとうに……」


 つかえながらそういい、目をつむって、あたまを勢いよく下げた。黒髪が、ぽん、と跳ね上がった。


 「もうしわけありませんでした! わた、わた、し、先輩のことが……」


 おっ!


 「すす、す……」


 よし!


 「す、すき、です! いつも、いつも、見てました!」


 るおんはしっかり言い切った。

 あたしは、じいんとなった。えらい、るおん。これでもう思い残すことはなかろう。青春のあだばなというやつだ。よかった、よかった。


 すると、先輩が、動いた。

 組んでいた腕をほどき、膝に置くと、立ち上がった。 

 その威圧感に、あたしたちは思わず後ずさった。


 先輩がこちらへ踏み出す。

 ゆっくり、一歩ずつ、近づいてくる。

 正直、怖い。


 あたしたちの目の前。手が届くところまできて、立ち止まる。

 みあげるような先輩の顔。逆光でもこの距離ならよく見えた。色白で、細身。きれいなあごのライン。ざっくりと無造作に刈り込まれたようにみえる髪は、それでも先輩の顔によく似合っていた。


 ただ、目が、わらっていない。

 なんというのだろう、獲物を岩陰に追い詰め、悠然と見下ろす、豹。いや、豹に追い詰められたことないけど。


 と、先輩のくちが、うごいた。


 「……しら」

 「……」


 先輩がいったん黙ったので、あたしたちは顔をみあわせ、次の言葉を待った。


 「……ぬし、ら……」

 「えっ」


 先輩は、唇を噛み締めた。


 「ぬしら……おそれずともよい……我が絶対領域内においては、抑えきれぬ波動がかかる魔境を現出するのだ……」


 ……はい?


 あたしは、言われたことの意味がわからなかった。るおんを見る。先輩の顔をみあげて、ちいさく、震えている。


 先輩は、苦しそうな表情になっている。右手を頭にやり、軽くかきむしった。が、そのまま言葉を続ける。


 「勇者、るおん。の……常闇とこやみの花嫁となれ」


 

 

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