逃亡せよ、この辛い現実から

ほの暗い裏通りには、どんよりとした湿気と酒の匂いが立ち込め、白く輝く王宮と容赦ないコントラストを描いていた。おとぎの国のキャピタルシアにもこんなところが存在するのだ。

 どーも。上岡です。私は今王都に潜伏しています。華やかな都の裏側には、いつだって後ろめたいものが漂っている。過労とかね。

 さて、わざわざ逃げ延びてきたのにも関わらず王都へ逆戻りしたのか。それは山あいの村では、金と口先だけではどうにもならない命の危険を感じるようになったからである。

 なんだかんだいって王族を敬愛するこの国の民は、王宮の前でなら無体をはたらくことはないだろうという願望からだ。

 で、なんでこんなことになったかって?

 私は重く暗い気持ちで配られていた号外を見返した。

 そこには衝撃的な見出しが躍っている。

「人気小説 デスマーチ・ラビリンス(通称・デスラビ)は真っ赤な嘘? リョーコ・サカマキ激白」

 昨日行われたさる話題の人物による会見の模様が伝えられていた。

「…リョーコ・サカマキ氏は開口一番、デスラビで書かれているカミオカとの関係性は事実無根である旨を真っ先に我々に伝えた。「おのれに妙なキャラ付けをされた物語をかかれ、あまつさえ出版されるとは心外である」

 サカマキ氏の発言は会場中に波紋を呼んだものの、氏は終始取り乱すことはなく、冷静に会見を進めた。

カエデ・カミオカ氏(筆名・メープル・アップヒル)に対しては「私には処す権利がある」と発言し、厳しく対応していくと述べた。今後の王宮予備隊は、現在行方不明になっている第一王女とともにカミオカ氏の身柄も捜索をしていく予定だ…」

こりゃあ相当怒っているな。編集も「ボクは何も聞いていない」とシラを切っているようだし、どうやら考えうる限り最悪の事態が起きてしまったようだった。

私はゆるく頭を振って、過去の自分自身を責める。

こうなることはもっと早い段階で予見できなかったのか、と。

何の背景も持たない一般人である私が、「偶然」キャピタルシアにたどり着いてしまったということは、同じ「偶然」が他の人間に起こる可能性も十分に起こる可能性は大いにあった。

もし、異世界に飛ばされた現世人が、デスラビを目にしたのならば。この物語が実話とうたわれていることの頓狂さにすぐに気づくだろう。

それがまさか先輩本人になるとは…。

私の心はどうしようもない現実から逃れるために、過去の日々へと思いを馳せ始める。


「企画課の酒巻リョーコです。よろしくお願いします」

 先輩と私の出会いは、新入社員研修が終わった初夏、教育係として紹介されたのが始まりだった。

 初対面の新人にも折り目正しい敬語を使い、誰が見ていなくても背筋を伸ばす。

 正直、苦手なタイプだ。なんというか人生に対して意欲的過ぎて無意識に引いてしまうのだ。ようやるわ、みたいな感じ。

 実際、私と先輩の相性は悪かった。

「上岡さん、ここ間違っていますよ」

 先輩は几帳面だけど、私は大雑把だし。

「だから、資料を送るときは一度読み直してって言っているでしょう? 誤字多すぎ」

 先輩は完璧が好きみたいだけど、私はなあなあを愛していたし。

「コラァ! 上岡ァ!」

 …なんか先輩いつも怒っているな。私がやらかしているせいか。

 まあ、何が言いたいかというと、先輩はしっかり者の努力家で、自分にも他人にも厳しい人だったということだ。私とちがって。

 なみいる上司たちも先輩のことは大層評価していて、女性初の管理職にという話も出てきていたらしい。

 ポシャってしまったが。

 噂によると、妻子持ちの男を先に出世させてやった煽りをくったかららしい。

「そういうのってムカつきません?」

 残業終わりに二人でなだれ込んだ居酒屋は、騒がしくて煙草の匂いがした。私は枝豆を剝いては口に放り込む。

 上層部が掲げる女性の社会進出とか、多様性の向上などというものに別に興味はない。

だが、評価されてあたり前のものが評価されないという事実は、無意識に信じていた世間というものに裏切られた気分にさせられ、無暗に憤っていた。若かったのだろう。

 しかし、先輩は、仕方ないよね、と苦笑するばかりだ。

「腹が立たないわけじゃないけどさ、そういうのも全部ひっくり返せるだけの業績を用意できなかった私の落ち度でもあるからね」

 高潔な人だ。許しがたいほどに。

 それと同時に不肖な私は思ってしまったのだ。この人が私に落ちてくるところを見てみたい、と。

 こうして生まれたのがデスラビである。どうしようもない私に、先輩がメロメロになってしまう物語。仕事終わりに睡眠時間を削ってちまちま書き溜めていた。

 いい趣味しているわ、私。

 でも、このおかげで子爵の追及から逃れられたのだから、結果オーライだ。

 まあ、今はその結果、窮地に陥っているわけだが…

 誰か助けてくれないかな、と他力本願に祈ったそのときだった。

「お姉さま!」

 町民に身をやつした姫が、私の目の前に現れた。


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