逃亡せよ、重すぎる姫の愛から

この国一の港には貨物に客船、軍艦まで大小さまざまな船が集っており、大変にぎにぎしい。

 どーも、上岡楓です。というわけで私は今、港街に来ています。

 荷物と人が行きかうここならば、編集からもしばらくは隠れおおせることができるだろうと見当をつけたのだ。

 ちょうど大桟橋には異世界一とも名高いひときわ大きな帆船が付けていた。白い帆がまぶしい。髭面の男たちが肩にかついで木箱を運び出し、エプロン姿の女たちはその箱を一つずつ開けては検品していた。

 で、私は何をしているかって? 私は道端のカフェーでお茶していますが?

 他人の労働を見ながらすするコーヒーはうまい!

 これまでは耐えることしか知らなかったが、あの日、無断欠勤をキメたことで私はすっかり本能に忠実な人間になってしまったようだ。

 いやあ、思いのままに生きるというのは気持ちのいいことですね。

 しかし、私の優雅な高等遊民っぷりを邪魔する者があった。

 杖をついたおじいさんだ。

「ちょっと、ちょっと。そこのお嬢さんや」

 だが、これくらいで私はイラつかない。今日は余裕があるからだ。

「どうしました?」

 しかし、その余裕は即刻、失われることとなる。

 なぜなら、おじいさんが新聞の一面を突き付けてきたからだ。

「これあんたじゃないかい?」

 そこには私の似顔絵が載っていた。

 ひったくって見れば、そこにはこんなことが書いてある。

『嘆きの姫君』

 この国の姫が、私を追っている。


 ここで少しキャピタルシアという国について語ろう。

 海に面した交通の要所を持ち、古くから貿易で栄えてきたとされている。そのスタイルは、ロココ、バロック、アールデコ。思い浮かぶかぎりすべての洋風が混じったような国だ。飯屋で例えるなら、イタリアンでもフレンチでもなく洋食屋。ナポリタンとご飯を同じプレートに盛り付ける店。

 しかし、この交通の要所というのは良いところばかりではなく、戦乱も起こりやすいという欠点もある。

それをどうにかしてきたのが、魔法だ。この国は魔力を受け継ぐ王族をいただく、立派な大公国なのだ。

そして、当代の姫君は、私の書く小説のファンである。それも重度の。

初めて会ったときの興奮は忘れようもない。

「ああ、あなたこそがメープル先生なのですね!」

 姫は私の右手を両手で包み込み、熱く握りしめた。

「先生の書くカエデとリョーコ先輩の淡い想いはときにやさしく、常に激しく、私の心を揺さぶりますの。まるで春に木々が新芽を萌えさせるように、胸に何かが芽生えるような思い……いいえ、こんなことを言うのは不謹慎ですわよね、なんてったってこれは本当のお話ですもの。先生は今、リョーコさまのお住まいになる世界と分かたれて、悲しみの中にいるのでしょう? そのことを考えると私、疼いて疼いて……」

 一息にそこまで言うと、姫は額に手を当てよよよと倒れ込んでしまった。ばあやが抱きとめる。どうやら興奮しすぎてしまったらしい。

 カッコいいお姉さんによしよしされたい欲求ってどこの世界にもあるんだなあ、と他人事のように思った。

 この通り初対面からなかなかの個性を発揮していた姫なのだが、振り返ってみれば、この頃は可愛らしいものだった。アニメから飛び出してきたかのような美しい姫君は、その見た目通りに慈悲深い性格をしていて、私のために専用の部屋まで用意してくれた。

「知らない世界に放り出されて、先生ったら可哀そう。うちに住んでくださいまし。先生が元の世界に帰るためなら、お金に糸目はつけませんわ」

 ほほう、年下に慕われるのも悪くないものですね。私もそう思っていた。

 風向きが変わったのは、姫がもじもじしながら部屋を訪ねて来たときだ。

「先生のこと、お姉さまって呼んでもよいかしら。私、ずっと姉がほしかったの」

 私は快諾した。この先に起こることも知らずに。

 何が起きたか分かりやすく示すためにいくつかの姫語録を挙げていこう。

「お姉さまの髪って夜みたいに黒くてきれい。絹の代わりにこれでドレスを織りたいくらい」

「お姉さまはいつもいい匂い。いちごみたいに甘酸っぱい。汗も集めていただきたいわ」

「お姉さまは今日も執筆かしら。いつもリョーコ先輩のことで頭がいっぱいなのね。いっそ、閉じ込めて私だけのものにできたらいいのに」

 とまあこんな具合だ。姫が私の髪を指ですくたびに、背中にひんやりと冷たいものが駆けた。

 件の新聞記事に話を戻そう。

 どうやら、姫は王室直属の秘密諜報員を動員して私を探しているようだ。

 記事にはさらに姫からお姉さまへと題してこんなメッセージが書かれている。

「お姉さま! もしもこの記事を目にしましたら、私の下にお戻りになって…いいえ、そんなわがままは申しません。でも、せめて便りをくださいまし! わたくし、お姉さまの御身と恋の行方が気になって気になって、夜も眠れない日々を送っているのです」

 この記事と似顔絵が街中に広がりつつある。

 人目の多い港にいては、見つかるのは時間の問題だろう。

 まだまだ自由を満喫したい私は、逃避行を再開することにした。


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