第19話 オチない話④
視点が変わり、警察が現場に到着したところから始まる。一報を受けた捜査一課の刑事、
この小説、そもそも探偵役はいるのだろうか。いないとしたら、この刑事がその役割を担うのかもしれない。
登場人物紹介にも、この刑事の名前はなかった。あるのは、サークルメンバーの名前だけ。
推理小説イコール探偵役が必ずいるとは限らないが、それではまるで事件の詳細を書き綴っただけのようだ。
もしかしたら、それが理由でこの作品は完結しなかったのかもしれない。
『ったく、こんな時間にコロシなんてやめてほしいぜ』
桐生は髪をくしゃくしゃとかきながら、眠たそうにあくびをこぼす。
『もうお前、現場の方は見たのか?』
『ええ、一応。ただ、少し妙な事件なんですよね。どうやら、単純なコロシじゃないみたいです』
桐生は先に現場に来ていた他の刑事に訊ねる。
「事件があったのは今から一時間以上前の午後七時、ガイシャが大学の友人とグループ通話をしていた際、突然何者かに襲われたような苦しむ声を上げたそうです。そして通話に参加していた友人が最寄りの交番に駆け込み、現場に急行したとのことです。詳しいことはまだ確認できていませんが、ガイシャの死因は首をロープか何かで絞められたことによる窒息死だと思われます。首からは索条痕と吉川線、瞳からは溢血点が確認できました」
話を聞いた限りでは、特にこれといって妙だと感じる点はなかった。一つ言えるとすれば、何故か通話中に殺害したことくらいである。
「聞いただけじゃよくわからないな、実際に確認する」
二人は、現場である浅井裕介の自室へと向かった。その途中、桐生は玄関近くの窓が割られていることに気づいた。
「ホシはあそこから侵入したのか?」
「いえ、あれはガイシャの友人が中に入る際、仕方なく壊したものらしいです。駆けつけた際は、玄関にもその他の窓にも全て鍵がかかっていたらしくて」
「開いている窓とか扉は他になかった、ってことか?」
「はい、そうなんですよ。この事件で最も奇妙なのはまさにそこです。現場は完全な密室だったんです」
密室と言われるも、桐生はあまり驚きはしなかった。どうせ調べれば合鍵の一つや二つくらい出てくるだろうと、深く考えていなかったのだ。劇的なトリックのある密室殺人など、複雑そうに見えて実は単純で呆気ないということを桐生は己の経験から学んでいた。不可能犯罪など、最初から悩むには値しないと。
現場は玄関から長い廊下を渡り、階段を上がった先にあった。途中、いくつも部屋があったが、あまり生活感は見られなかった。広い豪邸に一人暮らしとなると、ほとんど使うことがないのだろう。
桐生は浅井が殺された部屋に着き、シートをかけられている死体の前で両手を合わせた。
死体を確認し、首にある索条痕と吉川線に目を向ける。これは誰かに首を絞められた際に見られる死体の特徴だ。人は首を絞められると苦しさから首を掻き毟った際の傷ができる。まず絞殺で間違いない。
浅井の服装は無地のシャツにゴムズボンと、非常にカジュアルなものだった。もし誰かしら来客がいたとすれば、それは浅井と非常に親しい間柄の人間だろう。普通、この格好では人を部屋に招いたりなどしない。
推理小説というメタ的な視点で見なくても、サークルメンバーの誰かが怪しいのは明白だ。
犯人が行き摺りの強盗であれば、密室なんて面倒なものを作ったりはしない。可能性があるなら、この密室が偶然できた場合だろう。だがそれは監視カメラや目撃者のような、犯人が知ることのできない第三者の情報があってこそ成り立つ。物理的に家の中に侵入できなくさせるということは、偶然ではほぼありえないのだ。
そのうえ、部屋の中は全く荒らされていなかった。犯人と争った形跡すらもない。つまり背後から隙を突かれ、抵抗することもできずに首を絞められたと考えられる。
そのうえ、作中ではまだ凶器が発見されていなかった。これはあまりにも不可解だ。密室にしておきながら、何故か犯人は事故や自殺に見せかける工夫を全くしていない。通話中に犯行に及んだり、わざわざ現場から凶器を持ち去ったりと、まるで逆のことをしていた。
「事件が起きた通話中と、ガイシャの死亡推定時刻は一致しているのか?』
『はい、殺されたのは通話をしていた一時間から二時間前で間違いありません』
その問いかけに答えたのは、現場にいる監察医だった。
『死斑が薄く出始めていますし、死後硬直もまだ軽度です』
『なるほど、なら長くても二時間前ということか。じゃあ、もう検死に回してくれ』
桐生の指示に従い、捜査員が用意していた担架に死体を乗せた。
事件の主役である死体が運び出されると、桐生と三好は例の窓ガラスへと向かった。
場所は玄関口から一番近いところにある、やや大きめの窓だった。派手に割られ、廊下にはガラスの破片が散乱していた。
『はぁ、現場保存もクソもないな』
桐生は呆れながらため息をこぼした。
『まあ、この段階ではまだ事件が起きていたわけでもないですし、仕方ないですよ』
『しかし、本当に全ての窓に鍵がかかっていたのか? もしもこの窓だけ開いていたとすれば、密室は破られたも同然だ』
本当は開いている窓を閉まっていると言い、わざとその窓を割ってロックを解除する。古典的なやり方だが、可能性としては十分に考えられる。
『第一発見者が一人だけなら、それもあり得たかもしれませんね。ただ、今回は我々警察が同行していました。見落としたとしてその友人に嫌疑をかけても、それはこちらの落ち度を認めることになります』
『まあ、そうなるよな。それに、この推理はあまりにも都合が良すぎる』
本当は密室ではなかった、などは小学生でも思いつく結論だ。いくら現実とはいえ、それではただ思考を放棄しているに過ぎない。当然、そんな欠陥だらけの結果に人はついて来ない。
それに同行していた警察が先に窓を開けてしまえば、すぐに密室でないということがばれてしまう。
『ならやはり、合鍵を持っていたとかじゃないのか?』
『この家の鍵は特注品で、合鍵を簡単に作ることはできないそうです。やはり物盗りを危惧していたみたいですね。合鍵を持っていたのは両親だけのようです。ただ一応、浅井が信用している人間に時間をかけて合鍵を作ってあげた、という可能性もありますけど』
『それは調べてみないとわからないな、可能性は限りなく低いとは思うが』
普通に考えて、恋人や家族以外に合鍵などは渡さない。合鍵による密室の破綻を目指すのであれば、まずは恋人のありなしと、家族のアリバイを確認しなくてはならない。
『そういえば、家の鍵はそもそもどこに置いてあったんだ?』
『浅井の部屋です。床に落ちているのを第一発見者の方が見つけています』
『今わかっている唯一の鍵が家の中となると、ここは完全な密室ってことになるな。まあ、これは他殺で間違いないから、どこかに突破口があるんだろうけど』
『凶器も持ち去られていますからね、どこかに抜け穴でもあるんでしょうか?』
捜査は難航し、桐生は現場を離れ、第一発見者である坂東の事情聴取へと移った。合鍵の有り無しによっては、この事件はすぐに解決するからだ。
事情聴取と共に、事件が起きた時の再現もしてもらった。もちろん、一緒に駆けつけた警官と一緒にだ。
浅井家にたどり着くと、まず初めに玄関のドアを開けようとした。しかし、突然のように扉には内側から鍵がかけられていた。仕方なく他の出入り口を探したが、開いている窓や扉はなく、外部からの侵入は不可能な状況だった。
坂東は警察官に止められつつも、強引に窓ガラスを割ったと証言する。選ばれた窓にも理由はなく、ただ単に目についたというだけのことだった。
その後は真っ直ぐ電気の点いた浅井の自室へと向かい、死体を発見した。
実際に身をもって再現してくれたおかげで、桐生たちにもわかりやすく伝わった。桐生は一言一句、手帳にメモを取り、三人の行動も事細かに書き記した。
『死体を発見した際、現場にどこかおかしな点などはありませんでしたか?』
『さぁ、あの時は動揺していましたし、自分は吐き気を催してそれどころではなかったので』
仕方のないことである。素人が死体を発見して、平静でいられるはずはない。その相手が知り合いならなおのことだ。
『死体を見つけた後のことは同行してもらった警察の方に任せました。自分が外へ向かうと、ちょうど車で椎名が駆けつけた頃でした。椎名って言うのは、同じサークルメンバーで、事件が起きた時にも一緒に通話してました』
『なるほど、わかりました。どうも、ありがとうございます』
次に、桐生は車で現場に駆けつけた椎名から話を聞いた。
『玄関の鍵はしっかりとかかっていましたか?』
『ええ、それは間違いありません。一度、自分で開けて中に入ろうとしましたから。まさか窓ガラスを割って侵入しているとは思いませんでしたし』
この時点では、椎名は現場が密室だったと知らなかった。玄関から入ろうとすることは当然である。
『その時、誰かが家の中からこっそり出てくるようなことはありませんでしたか?』
『いえ、誰も見ていません』
『では、何か妙な音とか気配とかは?』
『ありません。浅井のことで必死だったからかもしれませんが、さすがに誰かが出てくれば気づくと思います』
椎名の証言に不可解な点はなく、有力な手がかりは掴めなかった。
もう一人の辻野からもすぐに話を聞いたが、現場を坂東や椎名と大して違いはなかった。彼女だけは現場を見ていないだけ、証言できたのも通話中に起きたことのみに過ぎなかった。
最後に、桐生は未参加だったもう一人のサークルメンバー、藤岡から話を聞くことにした。
合鍵の存在を知っている可能性がある限り、事件のことを詳しく知らなくても聞き込みをすべきだと判断したからだ。
ただ、その日は既に夜遅く、話を聞くのは後日改めてということになった。
次の日、桐生は車を走らせ、都内にある藤岡のアパートにまで向かった。
浅井の家とは酷く差のある寂れたアパートだった。家賃も安そうで、あまり良い環境とはお世辞にも言えない。小さな民家が建ち並び、その一つが藤岡の借りている部屋になっている。都内ではあまり見られない珍しいタイプだ。
桐生たちはまず大家に挨拶し、藤岡の部屋を教えてもらった。
お喋り好きな大家で、何故か聞いてもいない話を一方的に続けた。どうやら藤岡は前々から家賃を滞納しているらしく、あまりよく思われていなかった。部屋には何度も借金取りがやって来たこともあり、お金に相当困っていたことがわかる。
大家の話では、何があっても実家にだけは連絡しないでくれと頼んでいたらしい。私生活がこれほど堕落してしまったと知られては、大学に通わせてもらえなくなるかもしれないからだろう。
大家は仕事があるからと、その場を後にした。
桐生がインターホンを押すと、誰もが耳にしたことのあるオーソドックスな呼び鈴が鳴り響いた。しばらく耳を澄ましていたが、室内からは何の気配も感じない。
もう一度押すが、やはり応答はない。居留守にしても、多少の気配くらいは感じてもいいはずだ。
その瞬間、胸騒ぎがした。
気づけば桐生の手は、自然とドアノブを回していた。妙なことに、ドアには鍵がかけられていなかった。桐生はそのまま、ゆっくりとドアを開ける。
『すみません、失礼します。藤岡さんはいらっしゃいますか?』
室内は薄暗く、奥の部屋にあるドアの隙間から、小さな光が溢れていた。あの部屋だけ照明が点いているようだ。
どこか、状況が似ていた。
『藤岡さん?』
桐生は少しばかり声量を上げた。このアパートはそこまで広くない、もし誰かいるなら声が届くはずだ。
藤岡の部屋は他と違い、あまり陽当たりが良くなく、昼間から少し薄暗い。その暗さに少しずつ目が慣れていき、部屋の中がはっきりしていく。台所の流しには使用済みの食器が放置され、そのすぐ横のテーブルの上には、無造作に本や大学のプリントが並べられている。正面の窓にはグレーのカーテンが引かれ、外からの光源を遮断していた。どこにでもありそうな冷蔵庫に、部屋と同じ色合いの食器棚、小さな部屋の割には十分な物が揃っていた。
桐生は恐る恐る、照明の点いた部屋のドアを開けた。
瞬間。その場にいた者全員の視線が、部屋の中央へと吸い寄せられた。
部屋の中央に敷かれた布団の上には、バラバラに切断された男の死体が、ゴミのように打ち捨てられていた。
桐生は袖をまくり、蝋人形のように白くなった死体の顔を確認する。
『ガイシャはこの部屋の主、藤岡だ』
すぐ横の机に立てられた写真を手に取り、二つの顔を照らし合わせた。
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