第12話 満ちる本②

 そして翌日、俺は放課後に図書委員の面々と蔵書のチェックを行うこととなった。

 図書室の入り口には立ち入り禁止の立て札が置かれ、室内にいるのは図書委員のみだった。

 実はまだ羽原と鵜瀬先輩以外の図書委員とはまだ顔を合わせたことがなく、今日が初対面となる。


「よぉ、お前が例の新人か。本に詳しいんだってな、頼りにさせてもらうぜ」


 一人は二年の男子生徒、金田一かねだはじめ。黒髪を後ろに流し、カチューシャでとめている。細身で背が高く、高い位置にある本にも手が届きそうなほどだ。少し態度からは軽薄そうな印象を受ける。


「鵜瀬と仲良いんだってな、大変だろう」

「はは、そうでもないですよ」


 人付き合いそのものが得意じゃないため、特に先輩だからという何かはなかった。普通の人からしてみれば、たしかに絡みにくい相手ではあるのだろう。


「あの子に気に入られるなんて、榎戸くんも少し変わってるのかな?」


 割って入ってきたのは、図書委員長の七海雪ななみゆきだった。クラスは違うが、金田と同じ二年生で、一年前から図書委員会に所属しているらしい。

 髪を三つ編みにしており、色は羽原や金田同様に黒いが、光の当たり具合では茶髪にも見える。金田とは逆に、第一印象は真面目で知的といった感じだ。まさに、絵に描いたような図書委員である。


「まあ、でもあの子のおかげで上巻が抜けちゃってるってわかったんだけどね」

「すげぇってことは理解してるんだが、どうにも苦手だぜ。というより、俺や七海には心開いてくれてねぇよな?」

「そうそう、榎戸くんと羽原さんがむしろ珍しいくらい」

「へ、へぇ……」


 羽原の場合は昔馴染みだから、というのが大きな理由だろうな。


 すると、噂の羽原が俺の方を軽く睨み、唇を尖らせていた。

 俺、何かまずいことを言ってしまったのだろうか。ダメだ、心当たりが何一つない。

 混乱していると、羽原はこちらにゆっくりと近づいてきた。


「昨日も第二多読室で、鵜瀬さんとずいぶん楽しそうにしてましたね」


 どこか嫌味に感じる言い方で、ちくちくとした棘が突き刺さる。


「聞いてたのかよ、お前」

「中が気になって聞き耳を立てていました。幸い、図書室は静かなので扉に耳を当てれば話の内容は聞き取れましたよ」

「気持ち悪いんだが、普通に」

「女の子に対して失礼ですよ」

「盗み聞きの方がずっと失礼だろ、混ざりたいなら入ってくればよかったじゃねぇか」

「図書委員としての仕事がありましたから。私は榎戸さんと違って、委員会の仕事に関係なく毎日のルーチンワークのごとく図書室を利用したりはしていません」

「はは、そりゃそうか」

「二人が多読室でイチャイチャしてる間、いったい誰が生徒のレファレンスや貸し出しを引き受けているんでしょうね」

「うっ……それについてはごめんなさい」


 俺は素直に平謝りした。

 たしかに普段、少し羽原に押しつけすぎているとは思っている。これだから、俺は先輩にも図書館の職員などは向かないと言ったんだ。絶対に、今と同じように仕事が疎かになってしまう。


「いいですよ、別にそのことでは怒ってませんから」


 なら、羽原はいったい何に対してそんなに立腹しているのだろう。


「お前、なんか面倒くさくね?」

「面倒くさくありません!」

「あっ……そ、そう」


 いやいや、めちゃくちゃ面倒くさいぞ、今のお前。


「コ、コホン……つかぬことを伺いますが、榎戸さんは鵜瀬さんのことをどう思っているんですか?」


 わざとらしく咳払いし、チラチラと俺の方を確認しながら訊いてくる羽原。

 質問の意図がよくわからないが、答えないとまた面倒くさそうだ。


「話の合う先輩……って感じだな」

「それだけ……ですか?」

「え? いや、それ以上でもそれ以下でもないだろ、普通に……」

「わかりました。今はとりあえず信じておきましょう。ですが、あまり調子にはのらないでくださいね。間違っても、変な気は起こさないように」

「お、おう……」


 少し返答に困った。答えにくいというわけではなく、羽原の真意がいまいちよくわからなかったせいである。

 まるで、悪い虫が寄り付かないように釘を刺しているかのようだ。


「榎戸さんには、安藤さんという立派な相手がいるんですから」

「……はい?」

「安藤さん、スタイル良くて顔も可愛いじゃないですか。二兎は贅沢ですよ」

「いや、なんでそこで安藤部長の話が出てくるんだよ。立派な相手って、俺は別に部長とはそういう関係じゃないぞ」

「なら、これから伸ばしていけばいいじゃないですか。お似合いだと思います。けれど、鵜瀬さんはダメです」


 そして何故、そこで先輩が引き合いに出されるんだよ。話の本質が全く見えてこない。


「……あれ?」


 その時、少し離れたところで七海が惚けた声を漏らした。

 チェックリストと本棚を交互に見比べ、何やら眉をひそめている。


「七海さん、どうかしましたか?」


 俺は羽原から逃げるように七海の方に駆け寄った。


「いや、その、この小説の第一巻がどうも抜けているみたいなんだけど、貸し出しリストに名前がないのよ」


 金田や羽原も集まり四人全員で確認するが、現在貸し出し中の本は一冊もなかった。つまり生徒が借りたわけでもないのに、元の本棚に戻されていないということである。


「誰かが適当な場所に本を戻したとかじゃないのか?」


 気怠げに首の後ろをかきながら、金田がぼやいた。


「でも、他の本棚は私たちがチェックしてるけど、別に見当たらないわよ?」


 すぐに七海先輩が指摘する。適当に返却されたなら、一冊どこかに混ざっているはずだ。


「もう一度、改めて確認してみましょう。それにまだ全部チェックしたわけじゃない。失くなったって騒ぐのは、棚のチェックが全て終わった後で」


 図書委員長の七海が的確な指示を飛ばす、俺たちは言われた通りに、全員で残りの作業を進めた。本棚のチェックを全て終わらせたのは、それから一時間後のことだった。


 三万冊と蔵書の数は多いものの、エラーの確認は後回しにし、先に消えた小説を探すことになったため、一旦は本棚を確認するだけで終わった。おかげで、思ったよりも早く済んだ。しかし、例の小説の一巻は、どこにもなかった。

 チェックを終えた俺たちは、閲覧席に腰を下ろし、頭を悩ませていた。


「はぁ……まさかの紛失か、面倒なことになったな……」


 金田がため息をこぼす。


「面倒どころの話じゃないでしょ! 見つからなかったら大変よ」

「え? どういうことだよ……」

「あんたねぇ、ちょっとは自覚持ってよ」


 図書委員長の七海は、呑気な金田に若干呆れていた。


「いい? 失くなったのは湖月静こげつしずかシリーズの第一巻、『殺戮道化』よ。これは既に絶版してる作品で、ネットにも落ちてなければ、近隣の図書館にだって置かれてないんだから!」

「えっ! そ、そんなに珍しい本なのかよ!」


 金田は目を見開き、思わず固まってしまっていた。俺もこの小説については知っているが、本当に入手難易度が高いため、仮に見つかっても恐ろしいプレミアがついていることは間違いないと言える。湖月静シリーズこそ人気はなかったものの、作者の斎藤征丸さいとうせいまるは次回作以降から徐々にヒットし、根強いファンは多い。


「あんた、最近借りたことあるでしょ? それくらい知っておきなさいよ。貸し出し履歴チェックしてる時、名前書いてあったし」

「いやぁ、まさかそんな珍しい本だとは。知り合いに面白いからって勧められてよ、ははは」

「書店の棚や出版社の倉庫とかだって、どっかの四次元空間みたいに永遠じゃないもの、いつかは刷られなくなるものよ。その一冊が我が校にあったのは奇跡だったわけだけどね」


 さすがは蔵書数が三万冊を超えるだけのことはある。近隣の図書館にも置かれていない絶版本なんて、下手なマイナー作品よりもずっと希少だ。

 ニーチェの著書といい、湖月静シリーズといい、俺のような人間にとっては本当に天国のような場所だ。


「ま、まあ……たしかに財産としては高いかもしれないが、そんな珍しい本なら逆に誰も読んでねぇだろ。別に大丈夫じゃねぇの?」


 たしかに、価値で言えば大損だが、生徒の学園生活に支障が出る恐れは少ないと言える。

 しかし、問題はそこじゃなかった。


「バカね、盗まれてたらどうするつもり? 価値のある絶版本なら、盗み出す理由としては十分だわ。もしかしたら、校内に窃盗犯がいるかもしれないってことなのよ?」

「うっ……そ、それは……」


 そう、紛失したことも問題ではあるが、それが犯罪となればまた話が変わってくる。


 おいおい、昨日の俺の嫌な予感がまさかの的中かよ。

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