第8話 消えた手紙③
放課後、俺は図書委員の仕事をするために図書室へと足を向けていた。歩きながらふと窓の外に視線をずらすと、普段は目にするはずの運動部の姿がなかった。どうやら強風のため、屋内でのミーティングや基礎練習に切り替えたらしい。
運動などは苦手だが、図書委員の仕事ならまだ俺の得意分野である。本当に難題なレファレンスさえなければ、俺でも問題なくクリアできるだろう。そのためにも、まずは置いてある蔵書の種類と名前をすぐにでも覚えなければならない。
いくら知識があっても、この図書室のことを知っていなければ何の役にも立たないからだ。
図書室に着くと、既に羽原がカウンターの向こうに座って待機していた。同級生とはいえ、さすがは先輩だ。俺よりも全然準備が早い。
「待ってましたよ、榎戸さん」
「いつも早いな」
「いえ、そんなことはないですよ。たまたま帰りのホームルームが早く終わっただけのことです」
クラスは違うが、ホームルーム終了の時間にそこまで差異はないはずだ、単に俺より羽原の方が意欲的で真面目だということだろう。しかし、友人のいない俺はホームルームが終わってから、ここまで特に時間をかけずに来ている。途中、一度だけトイレに寄った程度だ。羽原のように親しみやすく真面目な生徒なら、クラスメイトから引き止められたりしてもおかしくないだろうに。
「とりあえず、基本的な仕事はレファレンスだけですから、第二多読室のほうで本を読んでいても大丈夫ですよ。ここで本を読んで過ごしたいから、うちに入学したんでしょう?」
「それで仕事になるのか?」
「暇が一番ってことです」
俺がお言葉に甘えて、第二多読室のほうで本を読むことにした。メインレファレンスルームは、外の強風で窓が悲鳴をあげ、若干のノイズを感じる。
だが、そんな俺にとっての至福は、すぐには訪れなかった。
ちょうど、別の訪れがあったからだ。
「な、なぁ……ちょっと聞きたいことがあるんだが……」
一人の男子生徒が声をかけてきたのだ。酷く疲れた様子で、額に少し青筋が浮かんでいる。
ネクタイの色から、一年生だということはすぐにわかった。しかし、クラスメイトの顔もろくに覚えていない俺は、彼が誰だかわからなかった。
短髪にメガネと、見た目の印象こそ薄い。
「あっ、
羽原がすぐに応対した。クラスメイトなのかどうかはわからないが、名前は知っているらしい。
新津と呼ばれたメガネの男子生徒は、声を吃らせながら答えた。
「いや、本じゃなくて……えーっと、手紙なんだけど……」
「……手紙?」
「うん……それをその、どっかで失くしちゃったんだよね。昼休みに図書室を使ったから、一応探しに」
「あー、そういえば今日はすごく風が強いですからね。だとしたら、どこかに飛ばされてしまったってこともあるかもしれません」
羽原は立ち上がると、受付の前に置いてある天井の空いた箱を覗き込んだ。この箱は、図書室の忘れ物や落とし物を生徒が届けるための場所だ。今日も、机に置き忘れた筆箱や椅子の下に落ちていた消しゴムなどが入っていた。図書室で自習する生徒は多く、筆記用具の類は常連となっている。しかし、新津が探していると思われる手紙らしき物は見当たらなかった。
「ここには届いてませんね」
「手紙なら、むしろこの箱には入れないで図書委員か司書に直接届けるんじゃねぇか?」
「たしかに、黙って置いていくのはむしろ不自然ですね。ってことは、まだ見つかってないだけかもしれません」
この図書室で落としたのかどうかはまだ定かではなかったが、俺たちは手分けして図書室の中を探してみることとなった。
新津が座っていたのは一番右端にある窓際の席らしいが、強風で遠くまで飛ばされた可能性も含めて視野を全体にまで広げた。
机や椅子の下はもちろん、本棚の隙間にも目を向けたが、発見にはいたらなかった。
一時間近く探し続けたため、俺たちは椅子に腰を下ろして足を休めた。
「手紙どころか、落とし物すらありませんね」
「なら、落とした場所はここじゃなかったみたいだな」
俺は訊ね人である新津へと視線をずらした。
「でも……おかしいな、ここに来る前はたしかにあったんだよ」
彼の顔色は未だ悪いままだ。どうも、その手紙というものが相当大切なものらしい。
力になってやりたいが、今のままじゃ情報が明らかに不足している。もっと、具体的な道標が必要だ。
「あんたは、ここで失くした可能性が高いと思ってるわけだ」
「僕は部活にも入ってないし、昼も学食じゃなくて教室でお弁当を食べてる。要するに、移動範囲はかなり狭いはずなんだ」
その口振りから察するに、教室の中やその付近は既にもう探し終わったみたいだ。午後の授業は五限と六限の二つがあり、一度短い休憩時間を挟む、恐らく新津はその時間を使ったのだろう。
「頼むよ、時間がないんだ」
新津は少し焦っている様子だった。仕切りに時間を気にしている。
この後、何か別に大切な予定でもあるのか?
「ていうか、何で図書室に持ち込んだりしたんだ? 大切な物なら、普通は鞄や机の中に閉まっておくだろう?」
「そ、それが……その手紙を受け取ったのがちょうど昼休みなんだよ。クラスの女子を経由して渡されたんだ」
「クラスの女子?」
俺はその言い回しが妙に引っかかり、もう少し細かく追求してみることにした。
「経由してって、その手紙って手渡しで届けられたのか。つか、もしかして送り主はそのクラスメイトじゃないのか?」
「え? あっ……まあ、そうなんだ」
クラスメイトの女子が、わざわざ第三者の手紙を新津に送る理由、目的、それらが噛み合う答えは限られている。一つ、教諭が新津に渡してくれと頼んだ場合だ。しかし、伝言や書類ならまだしも、手紙というのは考えにくい。となるとその手紙の正体は、恐らく例のアレだな。
「わかりました! ラブレターですね!」
俺が指摘するよりも早く、羽原が叫んだ。その瞬間、図書室内にいた他の生徒の視線が集中する。
マナーとして、図書室では静かにしていなくてはならない。叫ぶことはご法度だ。加えて、ラブレターという単語は興味を惹きやすく、新津のことを考えると配慮が足りていない。
羽原はしまったと感じ、軽く謝罪する。
「い、いいよ……隠してた僕が悪いんだし。すぐ見つかるなら、できるだけ他の人には知られたくなかったんだ。その、送ってくれた人も同じ気持ちだろうし……」
「まあ、そうだろうな。じゃなきゃ手紙でわざわざ伝えたりしない。しかも割と距離がある。クラスメイトに経由させたこともそうだが、今のご時世はメールかチャットがオーソドックスだ。つまり、送り主とあんたはあまり親しい間柄じゃない。お互いの連絡先も知らなければ、接点も薄い。肝心の手紙を失った今、コンタクトを取ろうにも簡単にはいかないわけだ」
「そうなんだよ。手紙を渡してくれたクラスメイトの女の子は部活に行ってるし、そもそも失くしたなんて、とてもじゃないが言えない」
平手打ちは避けられないだろうな。泣かれて同級生の女子から反感を買うまである。顔色が優れないのも納得できる。
「手紙を持って来てたのは、肌身離さず持っていたかっただけだ。失くした後に言うのもあれだけど、鞄や机の中に置いておくのは不安だったからね。別に深い意味はないよ」
一応の筋は通っていた。たしかに、万が一にもクラスメイトなどに知られてしまえば厄介なことになる。経由して渡してきた女子生徒ならまだしも、他の生徒からすれば冷やかしの対象だ。自分の目の届く範囲で管理したいと思っても無理はない。
「その手紙に少しだけ目を通したんだが、放課後に会ってほしいから待ってるって書かれてたんだ。でも、待ち合わせの場所を忘れてしまって」
「なら初めに言ってくれよ。最悪、下校時刻までは待ってもらえるかもしれないが、普通は諦めて途中で帰っちまうぞ」
俺はおもむろに時計へと目を向ける。時刻は既に午後五時前、下校時刻まではあと一時間しかない。諦めて帰るのであれば、五時前後が頃合いだろう。その場合、もうリミットまでは十分程度しか残されていない。
「わ、悪い……」
「仕方ないですよ、人にはあまり話したくないことだもんね。とにかく、こうなったら秘密兵器を投入するしかありませんね」
「秘密兵器?」
新津は頭の上に疑問符を浮かべた。
「おい、それってまさか……」
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