多読室のレファレンス

江戸川努芽

第一章 未読スルー

第1話 未読スルー①

 春、それは始まりの季節。

 新しい学校、新しいクラス、新しい職場。何事も春から始まる。


 新入生ならば新しい部活もあるだろう、昔からやっていたスポーツや習い事でもいいし、全くやったこともない新しい何かに打ち込むのも個人の自由だ。


 高校生活において部活というものはとても重要だ。基本的にはほとんどの生徒が部活に所属するだろう。


 春というのは、新入部員を手に入れるための戦いだ、朝は校門から下駄箱までの道にはポスターを持った生徒が溢れ、掲示板には勧誘文句が貼られている。


 それぞれの部活が独自の戦略で新入生を手に入れようとするビッグイベントだ。


 俺、榎戸燈画えのきどとうがは、もちろん部活などには入っていない。そんなものは全て無駄だ、青春を謳歌する気など更々ない。だから今、上級生たちから何度か声をかけられているが、全員無視している。駅前のティッシュやビラ配りと同じだ、部活などに入る気はないのだから、そのまま通り過ぎてしまえばいい。俺にとって部活をやる時間があるなら、その時間は小説を読むために費やす。


 ちなみに好みは推理小説、トリックとか犯人当てなどを読みながら推理するのが幼い頃から好きだ。同じ理由から、頭を使うタイプのデスゲーム系の小説もよく読む。逆に漫画やアニメは得意じゃない。絵がない方が頭が冴えるというべきか、絵があるとどうしても絵に関心がいってしまい、あまり集中できない感じだ。


 ただ、決して漫画やアニメが嫌いというわけではない。俺とはタイプが合わないのである。もちろん、ものによっては読んだり見たりすることもある。


「ねぇねぇそこの一年生、バレーボール部に入らない? 今ならレギュラー確実だよ?」


 返事はしない、オールスルーだ。バレーボールとかやったことないし、ていうかレギュラー確実って、つまりは部員全然足りてないってことじゃないか。素人がそんな空間に放り込まれてみろ、本番で恥をかくのがオチだ。


 これがあと一週間ほどは続くと思うと憂鬱だが、これも仕方ない。この時期は毎朝部活勧誘でうるさくなる。俺のような、部活に全く興味がない生徒もいるということをもっと知ってほしいものだ。


 何人かその声に応じる者もいたが、俺は全て素通りして教室へ向かった。なるべく気配を消し、目立たないようにしながら。


 俺の通う桜庭さくらば高等学校は、非常に部活動が盛んな学校だ。中学では部活に入ることは絶対条件だったが、あまりいい思い出がない。あの頃は色々と挑戦する意思があったが、俺にはまだ早かった。もう、同じ轍は踏まない。


 興味がないけど入部すれば楽しくなるかも、なんて言葉には騙されない。俺は今度こそ帰宅部を貫いてみせる。


 漫画やドラマでよくある、友達に囲まれて部活に切磋琢磨する、そんな夢のような学園生活など現実には存在しない。


 ミステリだってそうだ、あくまで小説の中の話。実際に人が殺されて、奇想天外なトリックなどは使われない。

 現実の事件はもっと単純で、小説よりも遥かに根深いのだ。


「お前どの部に入るかもう決めた?」

「私は弓道部、前から興味あったんだー」


 教室に入ると、クラスメイトが早速部活の話をしている。青春だな、やりたい事があるって素晴らしいと思う。一人で部屋に篭り、寂しく小説を読む日々の俺とは大違いだ。


 入学してから数日が経った今、俺には友達と呼べる人間が一人もいない。自分で言ってて悲しくなる。だけど今さら変わることなんてできない、だからもう青春に憧れたりはしない。

 今日も結局、誰とも話すことなく終わった。唯一話しかけてくれたのは先生だけ。

 いいんだ、気にしない気にしない。

 こんな友人ゼロの俺にとって、趣味と言えるものが読書以外にも一つある。それは本屋を巡ることだ。


 本屋は何も買わずに眺めているだけでも楽しい。未知の発見もあれば、新たな興味すら覚える。個人的にだが、本屋には様々な人間の思いが集結していると思っている。作家などにはフリーランスで書いている人物が多く、そう言った作家は作品内に自身の本業や副業を作品に取り入れたりする。物理学の知識でトリックや謎を展開させたり、医療知識や特殊な病気、症状などを話に組み込んだりと、作品からその作家の考えや個性が見えてくる。


 それに棚からは店員の好みや思考なども読み取ることができ、ネットでは得られない楽しさというものがある。作品に対する気持ちや、作家の思いを尊重しようとする思いが伝わってくる。これは本屋によってそれぞれ異なり、本屋の個性とも呼べる。


 そこにもし自分の好きな作品があれば、これ程嬉しいことはないのだ。これら全てが本屋の素晴らしいところと言える。


 新刊コーナーを筆頭に、様々なジャンルや出版社別に並んでいる本の数々。我が家よりも落ち着く空間だ。そして、そんなユートピアにも勝る空間を、俺はこの学校に入学して新たに手に入れることができた。それは桜庭高等学校の図書室である。


 この学校の図書室は他校よりも広く、蔵書数も圧倒的で、毎年一千冊以上増えている。

 漫画やライトノベルなど、娯楽に特化した作品や数は少ないが、小説や参考書、絵本などは並の図書館や書店よりも多い。


 実は俺の知り合いの一人がこの学園の生徒で今は二年になる。この図書室の利便性については散々聞かされてきたため、入学するならここしかないと決めていたのだ。


 そして今日の昼休みと放課後も、俺は図書室で過ごす。その時間を邪魔されてしまうのであれば、友人などは作る必要がない。本を読むことができさえすれば、俺の生活は充実する。


 昼休みは、中々読むことのできない絶版小説に手を出した。その続きを放課後に読もうと思っていたのだが、昼休みに図書室を出る際、少し気になる場所があった。

 それは第二多読室である。


 そして俺は今、その部屋の前に立っている。

 一応確認するが、立ち入り禁止の札などは貼られていない。


 しかし、何故か屋上へ続く階段なみに近寄り難い雰囲気を放っている。

 これだけ広く充実した図書室なら、第二多読室があること自体はあまり不思議ではない。むしろ、あって当然と言える。


 だが、多読室の中は薄暗く、中から人の気配を感じなかった。

 こんな状態では、入りたくなくなる気持ちもわかるな。

 けれど、俺は違う。


 目の前に多読室がある限り、俺はこの扉を開けなければならない。それが本の虫である俺の使命だ。


 この学校の図書室は、ただでさえ貴重な本が揃っている。それなのに、第二多読室の中を知らずに平気で過ごせるわけがない。


 俺は周りに聞こえるレベルの大きな唾を飲み込み、恐る恐る扉に手をかけた。

 施錠されてはいない。扉はすんなりと開き、少しずつ中の様子が露わになる。


 刹那、俺の体は無意識のうちに固まってしまっていた。目の前に広がる光景が、あまりにも奇妙だったからである。


 部屋の中はカーテンが閉め切られ、陽の光は完全に遮断されていた。部屋の電灯だけが、唯一の光源となっている。


 中央には大人数で使える机があり、壁にはホワイトボードがかっている。だが、誰一人として利用しておらず、ボードもその名の通り真っ白だった。


 ただ、それよりも異質に感じたのは、室内の至るところに積み上げられた本の山だった。それも安定しているものから、触れたらすぐに崩れてしまいそうなほどにアンバランスなものまである。その高さはまちまちで、統一性は全くない。まるでそれは公園の登り棒のように適度な間隔を空けており、歩いて進むことすら困難だった。


 よく見ると、本の種類もバラバラだった。図鑑、マンガ、教科書、辞典、小説、ありとあらゆる本のジャンルが並んでいる。

 非常に奇妙な空間だった。だが、まだ整理途中というわけでもないように思える。もしそうなら、机の上に本を並べるはずだ。しかし、本は床の上に積まれている。


 そもそも、どうして多読室に本が積まれているのだろう。普通、誰も読んでいなければ図書委員や司書が棚に戻すはずだ。


 俺は怪訝な顔で辺りを見回す、段々と部屋の薄暗さにも目が慣れてきた。すると、最上段に積まれた一札の本に目が止まった。


「こ、これって……」


 思わず、声が漏れた。

 それは作家の秋津樹来あきつじゅらいの全集、その第一巻だった。

 今じゃ目にする機会の少ない希少本だ。

 俺は少々興奮気味に、自然と手に取って眺めてしまっていた。


 その時だった、どこからか物音のようなものが聞こえ、俺は無意識のうちに身構える。

 視線を一周させるが、ただでさえ薄暗くて視界が悪いうえに、床に積まれた本の山が邪魔でよくわからない。


「ここは立ち入り禁止だよ」


 どこか棘のある、それでいて部屋の中に響く澄んだ声が耳に流れてきた。

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