瘴気耐性

 トラントの渓谷で迎えた二日目の朝は、節々の痛みから始まった。


「うぅ……もうちょっと周りの石をどかしてから寝るべきだったわ」


 昨日の夜は三回に分けて夜の見張りをした。夜明け前の時間はアキラが見ていたけど、ちゃんと起きてるかな。


 体を起こすと、目を焼くような明るい日差しが飛び込んでくる。どうやら日の出からはだいぶ時間が経っているみたいだ。


「おっ、起きたか。おはよ……ふぁ……」


 明は先に起きて焚火を見ていてくれたらしい。やはり寝不足のようで、大口であくびをしている。


「おはよう。今日の夜は私が二回見張り番をするわ」


 明が差し出してくれた昨日の夜のスープの残りを飲み下す。胃の中がポカポカと温まってきて、頭もちょっとだけシャッキリとしてきた。


「昨日の夜は何もなかった?」


 焚火を挟んだ反対側であくびをかみ殺している明に昨日の話を聞いてみる。


「いや、何も。ちらちら野生の動物が水を飲みに来たりはしてたが、魔物の姿はなかったな」


 私も明もすっかり気が抜けてしまって、毛布にくるまったまま一息つく始末だ。


「なんか普通にキャンプに来たみたいだね」


 明に至ってはこくりこくりと船をこぎ始めている。睡眠時間がかなり少なかったし、当然といえば当然よね。


「まあ、今回は探索が主目的じゃないしなぁ……キャンプでも問題ないんじゃね? 少し周りを見て回ったけど近場には魔物もいないみたいだし」


 確かに、ずっと気を張っていたら瘴気とか関係なくそっちのせいで疲弊しちゃう。本来だったら探索して体力を消耗するのでしょうけど、そこはまあ、これから慣れていけばいい。


「そういえば体調には問題ない? 瘴気による影響って早い人だと一晩で現れるって聞いたけど」


 私の方はいたって健康だ。多少筋肉痛で体が痛いくらいで、なにか異常がある感じはしない。


「俺はまだ大丈夫そうだ。そもそも、これでダメならこの世界に来た時に症状が現れたはずだしな」


 確かにそれもそうか。なら本番は二日目から三日目くらいかしら。


 瘴気による症状は主に風邪のような体調不良から始まり、悪化するごとに幻覚や幻聴がやってくる。目や鼻孔、口などからの出血など取り返しのつかないものが現れ始めて、耐性のない者はやがて発狂して死に至るのだという。


 想像しただけで血の気が引くような光景だ。今後一切そんな場面に出会わないことを祈るしかないし、私たちも十分すぎるくらいマージンを取って行動していくしかない。


「とりあえず今日は周辺を見て回って魔物がいたら倒す、動物がいたら食料にするって感じでいいかしら」


「そうだな……ふぁ……やべー眠い。もう何人か仲間がいれば見張りを交代できるんだけどなぁ」


 私も同じことを考えたが、私たちが異世界の人間である以上その秘密を守り通していく自信がない。


「私たちの素性を明かせない以上、このまま行くしかないわ。どうする? 午後まで休んでそこから活動し始める?」


 私が夜の番をしたのは大体三、四時間くらいだから、彼が寝られたのもそれくらいじゃないかしら。常に気を張っていなくちゃいけない都合上、あまり疲れは取れていないでしょうけれど。


「いや、大丈夫だ。いくら探索目的じゃなくても金は稼がないとだからな。ダメそうだったら事前に言うよ」


 そういうことならと私も外に出る準備を始める。といっても、詩片サームの補充と荷物を隠すくらいだったが。


【コード:ランド】


 使用したのは土の詩片。魔法で固めた土のテントで荷物を覆うようにして、動物たちに見つからないようにする。中には食料なども詰まっているため、荒らされては困るからだ。


「よーし、二日目も気合入れてこうぜ」


「おー!」


 ***


「明! トドメお願い!」


「あいよ!」


 二日目は鹿のような魔物と遭遇した。何メートルもありそうな異常発達した角での突進が厄介だったが、土の詩片で足止めして追いつめたところを明が仕留めた。夜になっても体調に変化はない。


「おーい。こっちに洞窟あるっぽい!」


「誰かいたみたいね……まあ、雨風をしのげるし丁度良い場所か」


 三日目。誰かが使用していた痕跡がある洞窟を発見した。少し待ってみたものの誰も来なかったので、元の場所に戻る。疲れはあるが体調に問題はない。


 その後も特に大きな変化はなく、時には魔物を倒し、時には狩りをして七日目の朝を迎えた。


「なあ」


「なに?」


 前日の夜に川で獲った魚を塩焼きにしている最中に、焚火の反対側で横になっている明から声がかかる。多少、顔にむくみは見られるが顔色は悪くない。


「もしかしてなんだけどさ……俺らって瘴気に対する耐性滅茶苦茶あるんじゃね……?」


 実をいうと私も薄々そう思い始めていたところだ。


「アンタもそう思うの?」


「だっておかしいだろ? 瘴気耐性が高いと言われてる人だって、我慢した末に一週間だ。俺たちも疲れちゃいるが、体調不良を我慢してるわけじゃない」


 炎華の獅子のリーダーである『炎華姫』サーシャさんは丸一週間瘴気の中でも活動できるのだという。


 私たちもそれと同じくらい瘴気に強いとも考えたが、彼女と比べてみても私たちはのだ。


 他の人より瘴気の中でも動けるサーシャさんであっても消耗はする。普段通りのパフォーマンスを発揮できるのは四日目までだ。それくらいを境に十全な動きが損なわれてしまうのだという。


 私たちは疲労感こそあれ、幻覚や幻聴どころか風邪のような症状にすら至っていない。これは自分たちが特別なのだと考えた方が自然だろう。


「俺が思うに、俺たちは瘴気へのほぼ完全な耐性を持ってるんだと思う」


「あっちの世界でもたまにあるやつ。他の動物には毒で人間だけが食べられるものとか」


 確かに玉ねぎとかチョコとかはペットに与えてはいけないとよく聞いた。


「俺たち異世界人は瘴気を側の人間なんじゃないかな」


 まだ断定はできないが、私の中にも似たような予感があった。相変わらず瘴気を含んだ空気というものは不快ではあるが、不快なだけで有害ではない。


「私も……多分そうだと思う。怖いから断定はしないけどね」


 しかし、そうなってくると今回の目的は際限ないものとなってしまう。これからどうしようかと考えていると、頬に何かが降ってきた。


「ん? 冷たい?」


 ぽつりぽつりと頬にあたる水滴が増えていく。数秒数えるころには、バケツをひっくり返したような勢いの大雨が降り始めた。


「雪じゃないのかよ!?」


 そんな明の叫びも雨音でかき消されてしまう。あまりにも異常な雨量は、槍が天から降ってきているかのようで痛みすら感じる。


「この間の洞窟! あそこなら雨風を防げるはず!」


「それだ!」


 すでにびしょ濡れになった荷物をひっつかんで急いで洞窟へ駆ける。ぬかるみかけた地面に何度か足を取られて転んだが、これくらいはもはや誤差だ。


 這う這うの体で洞窟の中へ入る。少し奥のほうまで行けば雨風も入ってこれないようだ。


「うへえ、濡れた濡れた」


 当たり前と言えば当たり前だが、洞窟の中はかなり薄暗い。外から差してくる光もこの雨に当たらない位置までは入ってこない。

 灯りの詩片を取り出して天使に当てる。詩片は水分を含んでふにゃっとしていたが、問題なく術式は起動するようだ。


【コード:ルミナス】


 光球が淡い光を放ちながら私の頭上に現れる。これで光源も確保できた。


「とりあえず、荷物と体を乾かしましょ」


 前に来た時に広場のような場所を発見済みだ。人のいた痕跡を見つけたのもそこだが、私たちと同じように緊急避難に使っていたのだろう。


「それにしてもどうやって服とかを乾かすか……」


 あいにく乾いた枝などの薪になるものがないため、火の詩片を使っても焚火のようにはいかない。というか、通気性の悪そうなこの場所で火を起こしたら多分死ぬ。


「火の詩片と風の詩片を組み合わせてこう……ドライヤーみたいにするとか」


「それ、私が制御ミスったら荷物に火が移って全焼するわよ」


 それに、火を使ったらダメという問題も解決していない。

 私たちは揃って頭を抱える。雪こそ降ってはいないが、外の気温は冬のものだ。こうしている間も刻一刻と私たちの体温を奪っていく。


「手っ取り早く暖まる方法……暖炉……そうだ暖房!」


 私が取り出したのは一枚の詩片。私の能力で偶然生まれたオリジナルの詩片。


【コード:ヒーター】


 詩片を中心に温風が吹き始める。それは、宿の暖炉から魔力を取り込んだ暖房の詩片だった。


「ナイスだ望海ノゾミ! これ、どれくらい持ちそうだ?」


「多分、三時間から五時間くらいかな」


 あくまで感覚であり正確なことは分からないが、数時間は持ちそうなくらいの魔力はありそうだ。それでも、一酸化炭素中毒も凍死も心配しなくていいのは大きい。


 荷物と詩片を最優先で温風に近づけて乾かす。


「瓢箪から駒ってやつだなぁ」


 明はそんなことを口にする。


 自慢じゃないが私は勉強ができない。それがことわざっぽいということまでは分かったが、その意味はちんぷんかんぷんだ。


「それってどういう意味?」


 私の質問に明は露骨に驚いた顔をする。というかあの表情は若干引いている。そこまでのことを私は言ったのか。


「授業とかで習わなかったか? 確か故事成語で、思いがけないところから思いがけないものが出てくるって意味」


 言われてみれば、暖房の詩片なんてものの使い所が来るとは思わなかった。宿には暖房があるし、野宿だとしても火を起こせば代わりになるからだ。


「そんなことわざもあるのね」


「一応、一般常識だと思ってたよ……」


 直近の問題が解決したことで余裕ができて、ほっと一息つく。

 洞窟内部を見回していると、今まで気が付いていなかったものが目に入った。


「明、あれ見て」


「なんだ? ……足跡? 人っぽいけど」


 水に濡れた足跡が、広間の一角に進んでいる。私たちのどちらかのものかとも思ったが、その足跡は素足のようだ。


「ここからもっと奥に行けるみたい」


 ちょうど暗がりになっていて分からなかったが、光を当てるとそこにはさらに奥へと続く道があった。その足跡も奥へ奥へと続いている。


「素足ってことは……猿?」


「いや、ここ数日見た魔物にも動物にも猿っぽいのはいなかった。それに、大きさ的にも猿なんかより大きい。……普通よりは小さい気はするけど」


 もし人間が瘴気域で素足の状態だとしたら、それはどういった状況で起こるのか。


「こんなところで素足の理由って何だと思う?」


 明はうーんと唸りながらいくつか思いついた理由を上げる。


「何らかの理由で身ぐるみをはがされたとか……瘴気の影響で気が触れて自分で脱いだとか」


「どっちにしてもあまりいい状況じゃなさそうね」


 だとしたら、私たちにできることは一つ。


「確認しに行きましょう。その人の状態がどうなっていても、見て見ぬふりだけは寝覚めが悪いわ」


「だよな。けど、奥に何があるか分からないから気を付けていこう」


 私の出した光球と明を先頭にして、隠れていた道を慎重に進む。一見しただけでは見つからなかっただけあって、中腰で進まなくてはいけないくらい天井が低い。気を抜いたら頭をぶつけてしまいそうだ。


 幸い道自体は短く、終点には思ったよりも早く着いた。ここまでの道とは違い、また少し天井が高くなっている。


 そこで私たちは予想していなかった足跡の主を目にすることになった。


「子供!?」


 まだ幼い容姿の子供が、苦し気に呼吸をしながら倒れていたのだ。

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