分かれ道の看板

おさお

悪口は指摘

 最初に断っておく。この作品は恋愛、ファンタジー、エロ、SFのような心躍る作品たちとは異なる。

 作者が日常生活で感じた不快感をただただ書き、その不快感の芯を深堀していくなんちゃって論文のようなものだ。


 華やかな作品が読みたい人、いじめはいじめているほうが悪い、蟻んこですら踏みつぶしませんというような、偽善者っぽい人、中年以上の人などは読まないことをおススメします。

 気分を害する可能性があります。






         さぁ、ここから先は自己責任です。

         作者の腐りかけの濁った性根をお楽しみください。






     初陣


 初めて自分の心の内をさらけ出すわけだが、結構緊張する。

 自分の「性格が曲がっている」のを自覚しているからか。

「性格が曲がっている」これは中学生の時に友人から言われたことだ。



     私が悪いのか?


 なぜ、自分の乗る電車には美人ではなくババアやおっさんばかりなのだろう。今から辛い一限の授業だというのに、気分が下がりやる気をなくしてしまうではないか。私が大学に行く道中で感じたことである。案の定、気分が爆下がりになった私は一限をさぼった。


「これは自分が怠けてるだけだろ」と言われてしまうかもしれない。いや、確実にこの類のことを言われる。だが、さぼりに至った経緯はこうだ。朝からおじさんおばさんを見て、加齢臭にまみれる→私は美人を見たほうが気分は上がる→結果ダウナー系効果→気分が下がり一限に行かなければという緊張の糸が切れていく→今回はさぼっても単位は落とさないという現実→また次頑張ろうと言い聞かせ、さぼる。

 この思考に至ったトリガーはおじさんおばさんと一緒の電車に乗ったことだ。なので、今回のさぼりの原因は、「おじさんおばさん専用車両」を設けていない鉄道会社が悪いということにならないだろうか。いや、なる。


 

     疑問


 なぜ、電車に「女性専用車両」はあるのに「おじさんおばさん専用車両」は無いのだろうかという疑問がある。答えは設ける理由があるかないかだろう。

 女性専用車両は、痴漢対策の一環である。一定の時間は女性しか乗れない車両であり、女性の身を守ることを目的としている。まぁ、女性が女性にする痴漢もあることや、痴漢をされることに性的興奮を覚える女性も一定数いるというこだが… それは置いておこう。

 このように、明確な目的、理由があれば、朝のクソ混んでいる電車の二、三車両をハイジャックできるということだ。


 では、おじさんおばさん専用車両が必要な理由、目的は何か?

 ①若者に魅力のないもを見せないことによってモチベーションを維持、向上させる。②世代の違う人を交えないことで、考え方の相違から起こるトラブルを防止する。

 ③若者とおじさんおばさんを同じ車両にしないことで置換を防止できる。

 まだまだあるが、これくらいで話を進めたいと思う。


 まず、①若者に魅力のないもを見せないことによってモチベーションを維持、向上させる。これは先ほど話したことである。とある将来有望なイケメン大学生が、朝の電車でおじさんおばさんを見たことによってやる気をなくしてしまった話だ。面倒くさいことや気が進まないことをやるときにはやる気、モチベーションが必要になる。モチベーションは人それぞれで、お金、成功体験、褒められたい、モテたいなど様々である。その中でも男女問わず大きなウェイトを占めているのが異性という存在だと考える。

 人間も動物であり、その本能は生殖にある。必然的に異性に関心を持つようにできており、それが理性や行動脳まで作用するようにできているのだ。

 このことから、若者のモチベーションを維持するために、魅力的に見える異性のみを視認できるようにし、動物学的視点から作用させていく。ここまで考えなくとも、おじさんおばさんより、美男美女のほうがなんとなく良いというのはわかるだろう。そういうことだ。


 次に、②世代の違う人を交えないことで、考え方の相違から起こるトラブルを防止する。最近SNSでやばい人の動画を目にする機会が多い。他人事で見ているのは楽しいが、実際に遭遇したら何とも言えない恐怖感だろう。しかも、その多くが棺桶に片足突っ込んだご年配か、よくわからないパッキパキの目をした中年な気がする。

 お年寄り群と若者群では生きてきた環境、常識、普通、があり得ないほど違い、考え方や感じ方にも影響してくる。考え方や感じ方が違えば、理解できないことが出てきてやがてエラーが起きる。それが、たまに見る「これだから最近の若者は…」という場面だろう。これを防止するためには双方の相違を無くす必要がある。だが無理だ、お年寄り群の頑固さはダイヤモンドより硬くマウナロア火山より燃え上っている。ならば、最初から交わらないようにして、そもそも化学反応が起きない仕組みにするしかない。


 最後に、③若者とおじさんおばさんを同じ車両にしないことで痴漢を防止できる。これは女性専用車両で間に合っているではないかと思われるかもしれない。確かに効果はかなり見られているが、まだ甘い。現状の痴漢の被害者の九十%が三十代以下であるという統計が出ているらしい。このことから、やはり若いというのは狙われる対象になりやすいのだ。これは簡単で、物理的に近づけないという策だ。これくらいシンプルなほうが結果が見えやすくていい。


 以上のことから、おじさんおばさん専用車両も必要なのではと思う。


 ここで、この案が実現されない理由を考察しようと思う。

 一番は非人道的だからだろう。年齢、性別で優劣をつけるなど、個人尊重の現代にはあってはならない。

 だが、そんなことで可能性をつぶしていいのだろうか。もし、何十年も前に若者の取り巻く環境を最優先に考えようという動きがあれば、前述したことと似たような発言をする人がいるのではないか。物だけでなく、人も最先端な者同士で集め刺激し合い高め合い、古い人間、古い考え方は排除する。そして、自分よりも新しい世代に今度は自分が古い人間として排除される。そんな循環型世界にしようとする世界線があれば、おじさんおばさん専用車両と似ているものも存在していたのではないか。

 しかし、人間は臆病な生き物ですぐにリスクを考える。第一声を言うのが怖い。なぜか、時代にそぐわない意見は多数派に叩かれる。もし意見したとしても、鉄道会社はおじさんおばさん専用車両などという叩かれるの確定案などやりたくもないだろう。

 結局は、なんとなく言ってはいけないっぽいことだから言わない、やったら嫌味を言われそうだからやらないという感情がブレーキになっているのだろう。その先にとてつもない可能性を秘めていたとしても。



     KY


 ここからは、言ってはいけないことを言ってきた作者の話をしようと思う。

 中学生の時の私はなんでも口にする餓鬼だった。対して可愛くもなく愛嬌もないカーストの上位の女子に、どストレートに「そんなに顎しゃくれてるのに、よくメイクの話できるね。」といったことがある。自分なら、コンプレックスの顔のパーツに関する話は堂々とできないと思ったからだ。相手は泣き出し、女子たちの対して意味のない擁護合戦が始まったのを覚えている。

 泣き出したということは、少なくとも顎がしゃくれていることはネガティブ因子ということを理解している。つまり、コンプレックスを指摘されて悪口を言われていると思っている。


 コンプレックスを指摘することは悪か。


 私は一概にはそうではないと思う。なぜなら、悪いところは指摘されないと気づかないことがほとんどだからだ。例えば、汗臭い人だ。自分の臭いは自分ではわかりにくい。他人が指摘してあげないとその人は一生汗臭いままだ。

 重要なのはどのタイミングで言われるかだ。これは早ければ早いほどいい。中学生で言われれば高校生からは対策、改善できた状態で生活できる。小学生で言われれば中学生からは対策、改善できた状態で生活できる。もちろん対策に時間がかかるコンプレックスもあるが、とりあえずは認識することが一番重要だ。

 しかし、このように言ってはいけないことを言うと世間ではKY、多人数だといじめ、ハラスメントに進化する。だが、コンプレックスを認識できないまま生活するほうが残酷だと思う。陰口を言われる、変な噂を流される、恋人ができない、友人がすぐ離れていくなど、コンプレックスを野放しにしていいことはない。


 言い方を考えろを言う人もいるが、それはあまり必要ないと思う。どう受け取るかは言われた本人次第だからだ。優しく言っても言われた側がいじめだといえばそうなる。

 だが、この現象は意外と簡単に解決できるかもしれない。その方法は、みんながコンプレックスを指摘しまくり、言われることが当たり前の世界にすることだ。みんながしてるから自分もする、多数派が正しいから自分もそっちの派閥に入る、というのは日本人の特徴だ。その特徴を生かした日本人にぴったりの方法だと思う。もちろん、必要以上に指摘する言い方は除く。

 

 言われた最初は恥ずかしいし、うざいし、落ち込むし、ネガティブになりがちだが、もう一つの選択肢の「指摘されたことを改善する」に全振りしてみたら、きっと言われたことに感謝するだろう。指摘されたことは、大抵、自分や他人に不利益になることで、改善点を見つけるきっかけとなる。


 

     謝罪と言い分


 ここまで読んでくれた人はどのような感想を持つのだろうか。こんな捻くれた文句たらたらのような作品を読んで気持ちよくなる人はいないだろう。

 だが、何かに不満を持っている人は共感しやすいのではないだろうか。なぜなら、この作品は作者の不満を書いているなんちゃって論文だからだ。


 例に出した、おじさんおばさんと顎がしゃくれている人には謝罪します。申し訳ない。特定の人物ではなく、あくまで例なのでそこのところよろしく。

 考えていることはヤバいと思われるかもしれないが、一応、国立大学に通う真面目な大学生です。何か行動を起こそうと思わず、正常な判断ができたので作文として残します。  



 二限の退屈な環境論を受講する今日この頃…

 

 




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