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 レナが亡くなってから三年後のある日、私は久しぶりにミズキと会う約束をしていた。連絡を取り続けてほしいと頼まれ、私は一週間に一度はミズキに他愛もないメッセージを送るようにしていた。それに対して一か月に一回程度ミズキから返信が返ってくる。そして半年に一回ほどの頻度でミズキから会えないかと連絡が来る。ここ三年、私とミズキとの交流はそのように続いていた。

「研究ね、周りの研究員からはあんまり良い目でみられていないんだけど、最近進展があったんだよ」

 この日のミズキは研究のせいでやつれ気味ではあったが、割と顔色が良いので良いことがあったのかなと私は思っていた。進展があった、ということはその読みは当たっていたようだ。

「......!そうなんだ!良かった......でいいんだよね?」

「もちろん、聞いてくれる?」

「私じゃ理解できるかどうかわからないけれど、教えてほしいな」

 専門的な理系分野には全くと言って自信がない。ミズキは昔から優秀な学生で、13歳の時にはある大学のプロジェクトメンバーに選ばれ合同研究に参加していた。確かその研究が脳病に関する研究だったと記憶している。そして17歳の時、ミズキは機械化技術を扱う研究所に研究員として迎えられ、日々研究に励んでいた。私とレナはそのレベルの高さ故に、ミズキのしていることを何一つとして理解できなかったが、研究に熱意を向けるミズキを見るのはとても好きだった。

「脳の完全な機械化は技術的に不可能と言われているよね?でも脳の補助機能を果たす機械は存在するから、脳っていうのは機械である程度は再現可能なんだよ」

「ある程度はできる。それって何かが脳の完全な機械化を困難にしてるってこと?」

「そういうこと。それが人間と機械を分けているものって言っていい。他にも脳機能の解明については課題があるけど、一番核となっているのはそれなんだ。うーん、そうだな......ここではわかりやすく魂とでも呼ぼうか」

「魂......?それをつくりだすことができれば、脳の完全機械化が可能になるの?」

「簡単に言えばそう。魂は物理的に存在するものではないんだけど、私たちって生まれて間もなくチップを埋め込むよね?」

「うん」

 チップというのは生まれた時に埋め込まれる医療用のチップのことだ。ネットワークに遠隔接続しているこのチップは常に脈拍や体温といったあらゆる身体データを計測しており、病気のリスク度やアレルギーの検知、個人に必要な投薬の量を計測したりしている。その他身体を機械化させる際の重要なデータとして扱われている。

「そのチップは生きている間、常にネットワークに繋がっているわけなんだけれど、それを手がかりに魂を検出できることがわかったんだ、微量だけど。えぇと、分散した魂をデータ上に出力して可視化させる、生きている間の行動、記憶だとか......魂の欠片って言っておこうか、それら全てかき集めることができたら一人の人間の魂が出来上がる」

「さっき、魂は人間と機械を分けているものってミズキは言ったけれど、その出来上がった魂でつくった脳は......その、人間なの?それとも機械?」

「ふふ、痛いところをついてくるね。私たちは身体の多くを機械化しているけど、その部分はやっぱり気にするよね」

「あっ......ごめん」

「いや......いいんだ。そこは気になる部分だよね」

 そのような質問が来ることを予想していたのか、ミズキは余裕そうに笑う。

 もしかしたら、脳研究は一定の限界に達しているというよりも、人間と機械の境界線を定義できないから脳の神秘性を守っているんじゃないだろうか......と私は思った。

 いや、解明したいという人間の好奇心は侮れないか......。

 修士課程までとかじった程度であるが歴史研究していた私は、科学技術の歴史を振り返ってみてそのようにも考えた。

「魂は元々この世に存在したもので、それを集めるわけだから、全くのゼロからつくりだすわけじゃない。現状、全くのゼロから魂をつくりだすことができるかと言われたらわからない。もしできたのだとしたらそれは機械で、そうじゃないなら人間っていっていいと思う」

 ミズキは不敵に、けれども寂しそうに笑う。

「私のしようとしていることは機械技術を駆使した死者の蘇りだからね......」

「......できるの?そんなこと」

 確かめるように私は尋ねる。よく理解はしていないが、ミズキの言ったことは相当難しいことなんだろう。サラッと説明してくれたが、それは私にもわかった。

「正直、かなり難しいと思うよ」とミズキは言った。

 一人の人間の魂を追い、集める作業は途方もない作業だったようだ。次に会った時のミズキは明らかに体調が悪そうで、ここ最近では一番やつれていたように感じたから説明されなくてもなんとなく察することができた。

 レナは元々生身の身体が弱く、子供の頃から身体の機械化が6割を超えていたこともあり、多くの身体データがネットワーク上に残っていた。そのことと亡くなった年齢が比較的若かったこともあり、なんとか追うことができるとのちにミズキは言っていた。


 *


 それから10年ほど経った頃、ミズキは自分用の研究施設を勤めている研究所とは別に持つようになった。個人施設は研究所近くの地下にあり、生体認証でミズキしか入ることができない。施設の一階はミズキが住居として使っており、私でも入ることができるように設定されていた。この頃からは研究所に入り浸っていたミズキが家に帰るということをするようになったので、以前よりも私はミズキと会うようになっていた。

 ミズキは研究所で、表向き脳の補助機能や脳病の研究をしており、並行して脳機械化の研究をしていた。個人施設ではレナの魂の欠片を集める作業を行っていた。ミズキの許可を貰って何度か研究室を見たことがあるが、とにかく機械という機械がひしめき合っていた印象しかない。殺伐としており気が狂ってしまいそうな空間だった。

「お邪魔しまーす」

 週末になると、私はミズキの家で食事を作り、寝泊まりするようにしていた。家に入ってもミズキは大抵地下にいるし、呼び止めても返事はないので私は勝手に食事を済ませて、シャワーを浴び、娯楽動画を見ながらミズキが上がってくるのを待つのが大体のパターンだ。

「ま、地下にいるよね」と私は呟く。そのまま台所へと向かった。

 一人の時や時間がない時は必要な栄養が手っ取り早く取れる固形のキューブ食でもいいが、ここに来た時は必要な具財を詰め込むだけで料理を作ってくれる調理機械を使うことにしていた。取ることのできる栄養成分は変わらないのだけれど、食事を楽しむことは結構大事だ。

 ミズキは放っておくとキューブ食すら取らなくなるからもっと食事を意識してほしい。

 そう思いながら、食材を釜形の機械に入れる。後は30分程度放置するだけだ。私は盛り付けるだけ。

 出来上がるまで何をしよう、と考えていると珍しくミズキが一階に上がってきた。

「ミズキ、え、珍しくない?トイレ......は地下にもあるよね」

「や、私の家だし、ここ」

「そうだけど」

 この時間帯にミズキを見かけることは私が家に来るようになってから初めてだったので、かなり私は驚いていた。動揺を隠せず私があたふたしていると、ミズキが笑う。

「私、ここ数年はお腹が空くって感覚がよくわからなかったんだけど、最近ね、お腹空くようになったんだ。たまにだけど」

「あ、へぇ......」

「ふふ、ハルミと食べるの楽しいんだよ」そう言ってからミズキは照れたように頬をかき「その......ありがとね」と呟いた。

 そんな風に言われるとは思っていなかった......。

 嬉しさのあまりニヤけてしまいそうなのを私は必死でこらえようとする。私はミズキに気づかれない程度に息を吐き「それはよかった」と余裕そうに微笑んでみせた。

 

 *


 それからまた数年経った。私はミズキと暮らし始めていた。ミズキは6年前に研究所を辞め、個人の研究施設での研究に専念するようになっていた。そのタイミングで私はミズキと住むようになった。

「最初はね、友達だから来てくれるんだって思ってたけど、段々......私が頼んだから来てくれるだけでもう呆れちゃってるんじゃないかって、負担になっているんじゃないかって不安だったんだ」

 夜、皆が寝静まった時間帯、ベット横のナイトランプの光だけがミズキの顔を照らしている。独り言のように呟かれたミズキの言葉に「今更でしょ」と私は返した。

 確かに、こちらの気が滅入ってしまうほど心配したことは何度もあった。けれどもミズキを負担だと思ったことは一度もない。

「そんな風に思ったことないよ」

「今ならわかる」

 頭の向きを変え、ミズキは私を見つめながらそう言った。

 その瞳はレナがいたあの頃から全く変わっていない。ずっと綺麗なままだ。吸い込まれそうだと私は思う。

 私がミズキを見つめ返すと、チラッとミズキは視線を逸らす。息をのんだのがわかった。

 しばらく無言の時間が続いた後、ミズキは思い出したような口ぶりで話し始める。

「そろそろレナの身体を作り始めようと思うんだ」

「レナの身体......?」

「うん。魂が集まるにはまだ時間がいるけど、生前のデータを元に身体も作らないとね……脳の機械パーツも」

 そうか……いよいよなんだなと私は思う。しかし、脳はさておきミズキは全て一人でこなすつもりなのだろうか。

「身体の機械パーツ......皮膚とかもそうだけど、ミズキはそれも作ったりするの?」

「まさか、その技術は私にはないよ。外部発注する。まぁ、コネってやつだね。研究所時代の......」

 言い淀む言い方から見るに、もしかしたら違法手段によって入手するつもりなのかもしれないと私は思った。

「あんまり良いルートじゃないんだ」

「っ......そうだね、でも信用はできる相手だから大丈夫」

 弁解するように必死なミズキに私は思わずため息をつく。

「ま、とやかく言うつもりはないよ」

 私がそう言うと満足そうにミズキは微笑む。

「ハルミのそういうところ、本当に好き」

 撫でるように私の髪先に触れながらミズキはそう言った。


 *


 それからまた数年後、ついにレナが目覚める時がきた。一か月ほど前、ついに魂の欠片を集め終わったミズキはレナの魂をつくりだしていた。まだ彼女は覚醒前の状態で、生命維持機能を備えたポットの中ですやすやと寝息を立てている。魂は既にそこにあるらしい。

 今日は私も地下の研究室に入れてもらい、ミズキのそばについていた。ミズキの表情は固い。今日レナは目を覚ます。レナが死んでから50年ほど経過していた。私たちの見た目は技術が進歩したこともあってほとんど変わっていない。見た目のコントロールは50年前よりも容易になっていた。

「レナが起きる前に服を着せておこう」

「うん」

 ポットの中でレナは裸だった。精巧な作りだと私は思う。このレナに限った話ではないが、もはや非機械である生身の身体と機械化した身体の見分けはほぼつかない。それこそ壊してみなければわからないのである。じっとレナを見つめていると、ミズキが咳ばらいをする。ハッと意識を戻すと、ミズキは下着とシャツ、短パンをカバンから取り出したところだった。私はミズキと共にレナに服を着せる。

「ありがと、手伝ってくれて」

「いやいや、全然だよ」

「うん」

 そう返事をしてミズキは目を伏せた。備え付けてあった椅子にミズキは座る。そろそろレナが目覚めてもいい時間帯になってきたので、あからさまにミズキはそわそわしていた。

「お茶、淹れるよ」

「え?」

「お茶淹れるよって......コーヒーの方がいい?」

「あぁ......うん」

「......わかった」

 私は地下研究室を後にして一階に上がる。ドリンクメーカーに触れ、二人分のコーヒー淹れる。限りなく黒に近い濃い茶色......照明のせいなのか今日のコーヒーは真っ黒に染まっているように私には見えた。地下に持っていく前に一口、私はコーヒーを飲む。

「......ふぅ」

 ずっとミズキのことを見てきた。レナが死んでから、ずっとだ。上手くいってほしいと心からそう願っている。

 その時、地下からガタンッ!!と何かが落ちる音が聞こえた。

「!!!?」

 私は急いで地下に向かって走っていく。研究室のドアは開きっぱなしになっており、光りが漏れ出ていた。影が二つ重なっている。気づかれないようにそっと中を除くとポットが開いていた。

「あっ......」

 ポットの隣に誰かが立っていた。ミズキではない。少なくとも遠目からはにしか見えなかった。

「レナ......?」

 恐る恐る、ミズキはその名を口にする。

「......ミズキ」

「レナ、だよね?」

「えっ......う、うん」

レナを見て、ミズキは涙を流していた。何度も何度もレナの名前を呼ぶ。レナは状況がわかっていないからか、不思議そうにミズキを見つめていた。明らかに戸惑っている。しかし泣きじゃくるミズキを見かねたのか、レナはミズキを抱きしめた。ポンポンッと背中を叩く。

「......なんかよくわかんないけど、大丈夫?」

「っ......ごめん、ありがと」

 冷静さを取り戻したのか、ミズキは一旦レナから離れる。

 私は、二人の様子をドア越しから眺めていた。見つからないように息をひそめる。

 ミズキはレナに対していくつか質問をしていた。体調は悪くないか、気分はどうか、といった質問から始まり、身体に異常がみられないとわかった後は、レナの生年月日や好み、私のこと、恋人としての二人の思い出など、このが本当にレナという人間なのか確かめるようにミズキは質問を繰り返した。

 ミズキの問いかけにレナは丁寧に答えていく。その受け答えの仕方が私の知っているレナそのものだった。

 良かったと私は思った。

 本当に良かったと思った......。

 質問を終え、ミズキは立ち上がった。その目線はレナに向けられている。

「ミズキ......?」とレナは見上げながら言った。

 ミズキはその声に答えることはなく、そのままかがんでレナの頬に手を添える。顔を近づけるとレナはそれが合図だとわかったのか目を閉じた。二人の唇が重なる。

「っ......」

 数秒ののち、ゆっくりと二人の唇が離れていく。

 ミズキはサッとレナに背を向けた。

「......」 

 なんだろう......何か違和感を感じる、と私は思った。

 私はミズキを見た。

「っ......!」

 その違和感の正体に私は気づく。レナから離れた時、最初は照れているのだろうと思っていたが、そうではなかったのだ。ミズキは俯いている。顔を赤く染め、高揚していたはずのミズキの顔が青ざめていた。その手は何かに耐えるかのようにギュッと握られている。ミズキの様子がおかしい、そう気づいた瞬間に「ミズキッ!」と声をあげ、私は彼女の元に駆け寄っていた。

 私の声に気づき、ミズキはビクッと肩を震わせる。伏せ気味だった顔を上げ、私の方を見た。

「あ......」

 その顔はくしゃっと歪んでいる。「ハルミ......」とミズキは私の名を呼んだ。

 ミズキを見て、かける言葉が私には見つからない。

 後ろではレナが私を見つけ「ハルミ?」と無邪気に声をあげる。

「っ......」

 思わず私は口元を隠す。

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