刃物のような

三鹿ショート

刃物のような

 彼女の言動には、問題があった。

 常に不機嫌そうな表情を浮かべ、それに見合うかのように他者を否定し、傷つけるような言葉を躊躇無く口にする。

 時には暴力を振るうこともあり、そのようなことを繰り返しているために、必然的に周囲から人々が離れていった。

 当然の結果なのだが、彼女は人々が自身に近付かないことに対しても苛立っている様子で、自ら話しかけては再び一悶着を起こしていた。

 つまり、厄介な人間なのである。

 それでも徒党を組んで彼女を陥れようとする人間が出現しない理由は、彼女の家族もまた厄介な存在ばかりだったからだ。

 彼女の兄や姉、父親や母親もまた乱暴な人間として有名であり、一人に手を出せば集団で報復されることを人々は理解しているのである。

 ゆえに、彼女の好き勝手な行為が止まることはなかった。

 人々は彼女に対して良い感情を抱いていないことは明白だが、私は異なっていた。

 その理由は、彼女を愛していたからである。

 だが、この想いを伝えたことは無い。

 彼女とは会話をしたことが無かったため、たとえ想いを伝えたとしても、関係の希薄さを指摘され、同時に、私のような人間が自分に釣り合うわけがないと罵倒してくるに違いない。

 だからといって、彼女を諦めたことは一度も無い。

 しかし、臆病である私は、彼女に近付くこともできなかった。

 せめて私だけは彼女の味方で存在し続けようと決意することくらいしか、今の私に出来ることはなかった。


***


 ある日、彼女はとうとう一線を越えてしまった。

 暴力を振るった相手に、大きな怪我を負わせてしまったのである。

 その相手は入院することになってしまったが、彼女やその家族からの報復を恐れたためか、被害者が訴えることはなかった。

 だが、彼女を取り巻く環境は、明らかに変化した。

 人々は彼女に何をされようとも黙っていたが、今では彼女の姿を目にすると即座にその場から逃亡するようになった。

 彼女が接触しようとしてきたときも同様であり、彼女は完全に独りと化したのである。

 自分が想像していたよりも大きな怪我を負わせてしまったことや、人々から避けられるようになってしまったことなどが重なってしまった影響か、彼女は不機嫌な表情を浮かべることがなくなり、暗い顔つきで背中を丸めるようになった。

 その弱々しい姿を見た人々が好機とばかりに彼女に報復をすることはなかったが、彼女が孤独であることに変化は無かった。

 彼女には申し訳ないが、今ならば、私のような人間でも彼女に近付くことができるだろう。

 そして、弱っている現在の彼女ならば、簡単に籠絡することも可能なのではないか。

 そのような醜い期待を抱きながら、私は彼女に接触した。

 突如として出現した味方である私を、彼女は訝しんでいる様子だった。

 それでも私は、彼女に友好的な態度を示し続けた。

 根気よく続けた結果か、やがて彼女は私に対して笑顔を見せるようになった。

 二人で外出するようにもなったために、我々が恋人関係に至ったのは、当然の帰結といえるだろう。


***


 彼女が私を束縛するようになったのは、私の恋人と化してから数週間が経過した頃である。

 私が一人で外出しようとすると、必ずといっていいほどに細かな予定や会う人間について問うてきた。

 私が異性を含めた友人と外出すると告げたならば、彼女は知り合いを増やしたいという理由で、私に付いてくるようになった。

 当然ながら、友人たちは彼女の存在に困惑していた。

 そのことに構わず、彼女は友人たちに見せつけるかのように、私に身体を密着させたり、食事を口に運んだりしていた。

 友人たちは、自分たちが知っている彼女とは様子が異なっていることに驚きを隠すことができないようだったが、彼女の他者に対する態度は、相変わらずだった。

 つまり、彼女が心を許している人間が私だけであるということが証明されたということだった。

 それは恋人として、これ以上は無いほどに喜ばしいことである。


***


 それから何年が過ぎようとも、彼女の私に対する態度が変わることはなかった。

 それだけ愛されているのだろうと嬉しく思ったが、不安に感ずることもあった。

 それは、私と彼女との間に子どもが誕生した場合である。

 もしも彼女が己の子どもに対しても嫉妬を抱くようならば、幼い生命など一溜まりも無いだろう。

 ゆえに私は、愛情の結晶たる子どもを持つことが出来なかった。

 彼女に子どもが欲しいと伝えれば、私の頼みだということで受け入れてくれるだろうが、いざ誕生した場合、状況が変化する可能性は高い。

 私は、どうするべきなのだろうか。

 どれほど考えたところで、誰もが満足することができる結論を出すことはできなかった。


***


 ある朝、目覚めると、私の手足は拘束されていた。

 何事かと思って周囲に目を向けると、彼女が無表情で私を見下ろしていることに気が付いた。

 何のつもりかと問うと、彼女は淡々と答えた。

「これまで私は、あなたの人間関係を目にしてきました。そこで、気が付いたのです。私はあなただけを愛し、尊重していますが、あなたが向ける感情は、私以外の人間にも存在している。つまり、あなたは私だけを愛しているわけではないということなのです」

「何を言っている。私はきみを裏切ったことはない」

「あなたの言葉は正しいのでしょう。それでも、私はあなたの笑顔が他の人間に向けられているということを我慢することができないのです」

 彼女は私の頬に手を添えながら、

「これからは、二人きりで過ごしましょう。あなたが私を愛しているのならば、私との時間を苦痛に感ずることは無いはずですから、何の問題も無いでしょう」

 そう告げると、彼女は私の唇を奪った。

 確かに、彼女との時間は良いものである。

 しかし、私の人生は私が決めるべきものではないか。

 彼女のことを愛するということは、私の人生のうちの一つだが、それが全てではないのである。

 それを告げようとしたが、もしも口にすれば彼女が右手に持っている刃物がどのように動くのかが分からなかったため、無言を貫くことにした。

 おそらく、今後も私が真実を語ることはないだろう。

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