第15話 滋ヶ崎、夕飯をたかられる
祝が戻ってきたのは、ベジタリアン用のカレールー――チキンエキスの入っていないルーがそれしかなかったのである――を溶かし入れていい匂いがしてきた頃、つまり出来上がり直前だった。
「どーお? できたー?」
「お、お前まだいたのか……」
手伝わされるのが嫌だからどこかで暇をつぶしていたのだろう。しっしっと手を振るものの、一向に気にした様子もなく祝は棚から皿を取り出した。勝手知ったる他人の家である。
「あ、洗濯物は畳んでそれぞれの部屋の前においておいたよ。マルコちゃんのパンツ、いい匂いだね」
「やめろよそういうの……」
「大丈夫、滋ヶ崎のもちゃんと嗅いでおいたから」
「まじでやめろ」
我が物顔で皿にご飯を盛る祝。引きつった顔のマルコシウスが、祝から嫌そうに皿を受け取る。今の一言で長命種に対する敬意の念は地に落ちたに違いない。
「……気持ち悪かったら捨てていいからな、下着」
舐めたり履いたりしてるかもしれないし、とは言わないでおく。
「う……いや、でも、服を……粗末にするわけには……」
「え、捨てるくらいなら僕に頂戴よ。できれば数日履いたあとでお願いしたいな」
「やるわけねえだろボケ」
祝の皿にはルーだけを入れる。代わりにマルコシウスのところに具をたくさん入れてやった。
「なんか僕のだけ具の量おかしくなぁい?」
「安いレトルトカレーって具入ってねえよな」
クレームは無視し、ちゃぶ台の前に腰を下ろす。ちなみに付け合わせやサラダといった概念はない。
「いただきます」
「いただきまーす」
「天よ地よ、間にまします我らにその和合であるところの恵みをいただけることを感謝いたします。巡り、満たされる喜びを我らの調和に還元するため、この食物を頂きます」
一人だけ食前の祈りを捧げ始めるマルコシウスが終わってから食べ始める。
「ご飯固ーい」
「お前ほんとうるせえな。よそ様の家の飯にケチつけてんじゃねーよ」
足を伸ばし、祝の足を蹴飛ばす。マルコシウスが変な音を立てて包丁を振り回しているのに気を取られ、水加減を間違えたのである。
文句をつけつつも祝はおかわりまでした。味の問題か量の問題か、具だくさんのカレーに大分苦戦したマルコシウスが食べ終わるのを見てから手を合わせて立ち上がる。
「そんじゃ、そろそろ僕帰るね。あんまりほっぽっとくと神様がへそ曲げちゃうし。残りのカレーもらってっていい?」
「いいわけねえだろアホ」
「ちぇーっ」
ぴょろぴょろと灰色の尻尾を振る祝を見送って部屋に戻る。「うう」と小さく呻いて畳の上にマルコシウスが転がった。
「……量多かったか? そんな無理して食べなくても……あ、もしかして『出されたものは食べ切らなくてはいけない』とかそういうルールあったりすんの?」
「一応……『他者の家でもてなしとして供されたものは残すべからず』という決まりが」
「ホームパーティーとか呼ばれたらやべえな、それ」
「ほーむ……?」
翻訳が上手くいかなかったのか、それともホームパーティーという概念自体が元の言語にないのか、不思議そうな顔をするマルコシウスを見ながら使い終わった皿を流しに運ぶ。祝に洗わせればよかった。
「つか何? ここ他人の家だと思ってたの?」
「……バルバロイ用の畜舎では?」
「……うん、別に好きに捉えればいいけど」
マルコシウスがどんなに立派な家に住んでいたのか、ぜひ拝見させていただきたいものである。ふん、と鼻で軽く笑った滋ヶ崎は、残りのカレーを冷蔵庫に鍋ごと突っ込んたのだった。
◇◆◇
ベランダの柵から、朝方干したまますっかり忘れていた布団を取り込む。1組をマルコシウスに渡し、もう1組を滋ヶ崎は自分の部屋に運んだ。
シーツを掛けて上に転がる。特に目的もなくスマホを眺めていると、襖を開けてマルコシウスが入ってきた。さっき渡したはずの布団を抱えている。
「……何?」
「私がどこで寝ようと私の勝手でしょう!?」
「俺の部屋以外ならそうだけど」
冷たい視線に臆することなく逆ギレしながら部屋の中に入ってきたマルコシウスは、滋ヶ崎の横に布団を敷いた。もそもそとその中に潜り込んで寝る体制になる。
「えー……俺、夜は電気消して寝たい派なんだけど」
「布団を被って寝たらどうですか」
マルコシウスには暗いところを嫌がる節があった。別に寝る時に電気をつけっぱなしでも好きにすればいい――電気代がもったいないとは思っている――が、滋ヶ崎はそれに付き合うのは嫌だった。
「せめて常夜灯にしねえか?」
「とんでもありませんね」
一蹴されたので睨みつけるが、もう目を閉じてしまったマルコシウスには通じない。
(やれやれ……)
滋ヶ崎も布団に潜り込み、目を閉じる。だが、明るすぎて全く眠気がやってこない。何回かもそもそと寝返りを打ったのち、うつ伏せの姿勢になる。
(今度アイマスク買ってこよ)
明日の朝食は何にしようか。食パンはあったはずだから残りのカレーでカレートーストにすればいいだろうか。カレーうどんも捨てがたいが、あれは朝より昼に食べたい雰囲気がある。
「……で、私は何をすればいいんですか」
「は?」
隣から不意に声が聞こえ、滋ヶ崎は目を開けた。布団に首まで入ったマルコシウスの後頭部が見える。
「言ってたじゃないですか。努力とか、しろって……」
「あ、ああ……」
確かに言った。言ったが、具体的にどうすべきかということは滋ヶ崎も考えていなかった。
「そうだな、まずは……なんだろう?……とりあえずこっちの生活にいちいち文句つてくんのはやめろ。ここで生きていくんなら受け入れるしかねえんだから諦めてくれ。仕事は……連れて行ってやるから、またその時にな」
「……バルバロイのくせに偉そうに」
「そういうところなんだよなあ」
苦笑いしながらマルコシウスの頭を撫でる。指に絡みつく柔らかくふわふわとした金髪を、滋ヶ崎は軽く引っ張った。
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