第14話 マルコシウス、指を切る

「……ええと、つまり、なにか深い理由があったとかそういうことではなく……?」

「ないよ別に。なんか面白いかなーと思ってやったら引き時が分からなくなっただけで」

「ええ……?」


 困惑した顔のマルコシウスの向かいに、祝がでろりと座っている。


「すごいノリ良いな〜と思ったら忖度されてただけだったとは」

「テメーのやることが面白かったことなんてねえだろ」

「ひどーい」


 台所に向かった滋ヶ崎が確認すると、すっかり空になった鍋がコンロの上に放置されていた。


「お、スープ飲んだな、えらいえらい」

「……祝さんに薦められたから食べただけです」

「なんか変な味だったけど美味しかったよ」

「お前も食べたのかよ!? コンソメ使えねーんだから仕方ないだろ、人んちで勝手に食ったもんに変な味とか言うなや」


 とりあえずマルコシウスの機嫌も直っているようだ。安堵しながら鍋と皿を洗い、買ってきた夕飯の材料をスーパーの袋から出す。本当なら洗い物や買い出しはマルコシウスにやってもらいたいところだったが、奴にそんなことをさせたら何が起きるか分からない。なぜそこまで俺が、という気持ちは、「でも買ってきた生き物の面倒を見るのは飼い主の責任だしな」という思いにとってかわられつつあった。


「ほら、高貴なるヘレネス様よ、夕飯作りぐらい手伝えや」


 せめてこれぐらいはやれ――人参と玉ねぎ、じゃがいもと包丁、まな板をちゃぶ台の上に置き、マルコシウスの前に押しやる。


「あ、カレー? シチュー? 美味しそうだなー、僕も食べたいなー」

「そうか。帰り道でレトルトを買うといいぞ」

「えー」

「つうかお前洗濯物は? まだ外に干されてたんだけど」

「あ、忘れてたー」


 ぱたぱたと祝が縁側へ向かう。キッチンに戻り、滋ヶ崎が祝の分もご飯を炊こうかどうしようか迷いながら米を計りとっていると、マルコシウスのいる部屋からばがん! と音が聞こえた。少し間を開けて、もう一度。

 料理をしているというよりは、小型モンスターとの戦闘に近い音だった。あるいは薪割り。


(な、何してるんだ……?)


 気味悪く思いながらも米を研ぐ。水をきっていると、「康弘!」と呼ぶ声がした。


「はいはい」


 居間に戻ると、マルコシウスの前に置いていた玉ねぎとジャガイモが、皮も剥かれずに真っ二つになっていた。もちろんその切り口はなんだか変に斜めになっている。


「康弘、あなたのような卑しいバルバロイは自ら家事を行わなくてはならないかもしれませんが、普通の人間というものは自分で料理などしません」

「指切ったんだろ」

「切ってません。……こういった些事は下男や飯炊き女にさせるものです。私のような身分の者にさせるべき事柄ではありません」

「いいから指見せろって。切ったんだろ?」

「今そんな話はしてないでしょう!?」

「はいはいはい」


 睨みつけてくるマルコシウスを押さえつけ、握りこんでいる左手を無理やり開く。案の定、人差し指の腹がざっくりと切れていた。


「ほらみろ」


 流水でよく洗い、絆創膏を巻いてやってから居間に戻る。先程と同じ位置にマルコシウスを座らせ、その横に滋ヶ崎も腰を下ろした。


「いいか、お前んとこはどうだったか知らねえけど、この国は自分で自分の食事や洋服を準備するのが当たり前なの。んで、特にお前の場合は鶏と卵がNGだから、自炊できないとめちゃくちゃ困るわけ。わかる?」

「……貧しい国なんですね」

「うるせえな。いいから今日はよく見てろ」


 変に切られたじゃがいもと包丁を手に持ち、見えるように皮をむいていく。剥いた皮は、後で煮出して野菜だしにするためにジップロックに入れた。


「いいか、包丁を使うときは、まず何より前に『刃先に指を置かない』事を意識しろ。んで、野菜を押さえる手は指先を丸めて『猫の手』……お前の世界、猫いたか?」

「失敬な。いましたとも」

「それが同じ『猫』だといいがな。……まあとにかく、指先が出ないようにして、関節の部分に包丁の刃先を合わせて、切る。手をずらしてまた同じようにして、切る。基本はこんな感じだ」


 滋ヶ崎が家で料理をすることは今までほとんどなかった。だが、料理代行の依頼も受けるので調理スキルはある程度身に着けている。子供に教えるように、丁寧に一動作ずつ説明しながら切っていく。

 材料を切り終わって立ち上がると、マルコシウスも後をついてきた。何だ、と思ったが、邪魔だと蹴とばす前に、滋ヶ崎は「今日はよく見てろ」という指示を自分でしたことを思い出した。


(「包丁の使い方を見ろ」っていう意味だったんだけど……まあいいか)


 鍋に油を引き、切った野菜と適当に入れた豚のこま切れを炒める。火が通ったところで水を加え、煮込みに入る。その間もマルコシウスはじっと鍋と滋ヶ崎を見ていた。


「なあ、お前、本当に帰らなくていいのか?」


 ふつふつと沸き立つ鍋の灰汁を取りながら、滋ヶ崎は隣に立つマルコシウスに話しかけた。

 思い出しているのは、先日村役場に行った時のことだ。元いた世界への帰還か、永住か――どちらを希望するかと言われて、マルコシウスは「永住」と答えたのだ。

 役場にはいつの間にか「異世界アクセス課」という部署が新設されていた。雨底村に異界生物が迷い込んできたものの帰れなくなった場合、そこに所属する開門師が元いた世界に帰してくれるという仕組みがあるというのを、滋ヶ崎もはじめて聞いた。


「お前、そんなにここのこと好きじゃないだろ。まあ好きで来たわけじゃないから当然だけど」


 横を見ると、マルコシウスは鍋の中を睨みつけていた。


「……あなたには関係のない話でしょう」

「いや、かなり関係あると思うぞ!?」


 この状況でよく言えたものだ。滋ヶ崎が呆れていると、マルコシウスはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。流石に分が悪いと本人も感じてはいるようだ。


「いや、別に好きにしてくれていいんだけどな。こっちの世界で生きてくつもりなら馴染む努力をしろ。俺の仕事も手伝え。いいな?」


 返事はなかったが、滋ヶ崎は気にしないことにした。

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