第7話 マルコシウス、役場へ行けない



 話は滋ヶ崎が家を出たころに遡る。



「……」


 奥の部屋に置いて行かれたマルコシウスは、座ったまま膝の上で握った桃の枝を睨みつけていた。


(……なんで、死なせてくれなかったんだ)


 滋ヶ崎には「足を滑らせて溝に落ちた」と言ったが、本当は違った。マルコシウスはこの世界に来る直前、自らの意思で川に身を投げていたのだった。キラキラと輝く水面を見てやっと楽になれるのかとほっとしたのもつかの間、気づいたら木に引っかかっていたのである。


 ここで死ねなかったのも神のご意思かと思い、まだ自分にはやるべきことがあるのかとこの数週間マルコシウスなりに頑張ったつもりではある。だが結果は御覧の通り、第一村人である滋ヶ崎にはウザがられ、挙句その半分以上は魔力切れで寝込んでいただけである。


(邪魔なんて……言われなくても知ってる)


 どこでだってそうだった。αを輩出する名家であったヴァグリキオス家において、Ωとして生まれてしまったマルコシウスは、長男でありながら政略結婚のための駒にしかなりえない存在だった。剣も魔法も商才もαである弟たちには歯が立たず、「劣ったΩに仕事を教えても無駄」と離れで花嫁修業としてお茶や楽器を習わされる毎日。それが屈辱的で、マルコシウスは「身分、性別で差別をしない」ともっぱらの評判であった神学校に――半ば自分自身の命を盾にして実家を脅しつけ――入学したのだ。


 見返してやる、と思ったのだ。自分だって、やればできると思いたかった。ここでαを超える成績を取って、実家に自分を認めさせてやる、と。


 だが、現実はそんなに甘くなかった。

「身分、性別で差別をしない」ということは、男も女もαもΩも、ついでにβも「すべて同じ尺度で評価する」という意味だった。当然、筋力と魔力、記憶力などに優れたαが高得点を記録する。もちろん発情期などによる体調不良は一切考慮されない。


「Ωにしては、よくやったほうだと思うよ」

 マルコシウスに下された最終評価は、結局そこどまりだった。


 それでは足りないのである。決定的に自分の能力を示せなければ――そう考えたマルコシウスは、神殿勤めではなく宣教師の道を希望した。口頭試問では「素晴らしい神の教えを多くの人に広めるのが神命と感じた」などと答えたが、なんの事はない、本当は多くの異教徒を改宗させることで、自分の力を分かりやすく数値化して見せつけてやろうと考えただけである。

 αやΩは事故を起こして面倒なことになりやすいので、通常宣教師にはβが選ばれることが多い。だがマルコシウスの熱意が伝わったのか何なのか、無事彼は宣教師として任命された。


 だが、意気込んで向かった先で結局――


(……これ以上思い出すのはやめよう)


 神官服の胸元を握り、浮かんできそうになった悪夢を頭を振って追い出す。


(そんなことより、今は今の問題を考えなくては)


 滋ヶ崎はマルコシウスのことを「邪魔」と言った。早くどこかへ行って欲しいのだろう。

 そして、「役場に行けば住む場所を世話してもらえる」とも。


(……)


 知らない街を一人で歩くのは、怖かった。

 だが、それよりも「何もできないやつ」と思われる方が、マルコシウスにとっては恐怖だった。自分が劣った存在であると思われるくらいなら、もう一度死んだほうがましだ。


 ゆっくりと立ち上がり、玄関に向かう。

 役場がどこにあるか知らないが、そういうものはたいてい村の中心部にあるものだ。そして中心部というやつは人間が集まっているものである。


(……そう、だから、人が多そうな方へ行けばいいんだ)


 外へ出たマルコシウスは、雑な判断に基づいてアタリをつけ、役場であろう方向へと歩き始めた。



 ところで、「おのぼりさん」というやつは都会の罠に引っかかりがちなものである。

 秋葉原でラッセンを売りつけられ、原宿でガタイのいい兄ちゃんにからまれ、新宿ではぼったくりバーに連れ込まれ、そしてびっくりするほど地味なふくろうの石像を探して池袋を彷徨い歩くものである。

 マルコシウスは別に田舎の生まれではなかったが、「雨底村を知らない」という一点においておのぼりさんと同じであった。


 ゆえに、あっさりと彼は雨底村によくある罠の一つ――人さらいに捕まったのであった。


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