第15話 篭の中の愛しい人・終
陶器のような艶やかさを取り戻した肌はしっとりと滑らかで、まるで匂い立つような様子だった。入浴後だからだろうかと思ってもいない感想を抱きながら、ミティアスも急いで湯を浴びる。いつもなら自室で侍女たちに手伝わせているところだが、その時間さえも惜しい。
「僕はこんなに我慢ができない男だったかな」
思わずそんなことを口にしていた。そう言いたくなるくらい全身が火照っている。これじゃまるで初めてのようじゃないかと苦笑さえ浮かんだ。
(恋多き国一番の色男なんて呼ばれているのに、なんで様だ)
頭にザブンと水をかけた。それでも熱を帯びているように頭がふわふわしている。今度は全身に水を被り、ブルッと震えたところでようやく浴室から出ることにした。
先に寝室にいるように告げたキライトは、言われたとおりベッドの端に腰掛けていた。たったそれだけなのに、やけに淫靡に見えてしまう。
「ミティアス様……?」
不思議そうにミティアスを見る稀有な瞳にゾクッとした。気がつけば、ミティアスは片膝をベッドに載せ覆い被さるようにキライトに口づけていた。
「ん……」
掠れた吐息だけで我慢できなくなる。これから、この無垢で純粋な人を腕に抱くのだと思うとたまらなく興奮した。
(こんな姿を見られるのは、僕だけだ)
性的なことはおろか恋愛すらよく理解していなかったキライトに様々なことを教えることができるのは自分だけだ。可愛らしい触れ合いから濃密な繋がりまで、すべてをこの手で教えられるのだと思うとどうしようもなく興奮する。
口づけをやめ、肉付きが薄いままの肩を掴みベッドにそっと横たえた。眩しいほどの色を取り戻した銀の髪がシーツに広がっている。白い肌に色の違う瞳、うっすらと色づく頬と濡れた唇、それらすべてがミティアスを興奮させて仕方がない。
(無垢で美しいこの生き物を、この手で押さえつけ貪りたい)
それは紛れもなく暴力的なまでの情欲だった。
どこまでも優しく、ただ快感だけを与えてやりたいと思っているのに、もう一人の自分はひどく啼かせ悦がらせたいと訴える。嫌だと言う唇を自分のそれで塞ぎながら、体の奥深くを犯して精を塗り込めたいと思ってしまう。
(頭が煮えたぎるようだ)
これまでこんなにも暴力的な気持ちを抱いたことは一度もない。大勢の恋人たちがいたが、ここまで強烈な劣情を抱いたことさえなかった。それなのに、うっとりと頬を染めているだけのキライトを見るだけで説明しがたい欲望がわき上がってくる。もっと啼かせたい、もっと潤んだ美しい瞳で見つめてほしいと、歪んだ欲望を抱いてしまう。
(それでも、僕は優しく愛したい)
快感だけではない交わりを与えたい。心の底から悦びを感じてほしい。これまで与えられなかった愛情のすべてを自分が与えてやりたい。
スッと目を閉じ、ゆっくりと開く。すると、キライトがふわりとした微笑みを浮かべた。
「ミティアス様、だいすき、です」
(あぁ、無限の愛で包まれているのは僕のほうじゃないか)
キライトの言葉からは、純粋な「好き」を感じる。地位や名誉、嫉妬といったこれまでの恋人たちに向けられた欲は一切感じない。それがいかに貴重なものかミティアスは嫌というほど実感していた。
「僕も大好きですよ」
キライトには何もかもを与えてやりたい。同じくらいすべてを奪い去ってしまいたい欲に駆られるが、それさえもキライトは受け止めてくれるだろう。自分をさらけ出してもよいのだという安堵感と押さえられそうにない情欲を感じながら、ミティアスは柔らかな唇を貪るように口づけた。
・
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エンカ城に到着してから
領主になってから、ミティアスの元には宰相から新たな伴侶を得るようにという手紙が何通も届いた。そのうち名家のご令嬢の一覧までが届くようになったが、すべて丁重かつ速やかに断った。それでも届く宰相からの書状は百通を超え、
「ようやく諦めてくれたかな」
やれやれとため息をついたミティアスは、婚姻に関する書状のすべてを執務室の
(ダンたちも丸く収まったようだし、ようやくのんびりできそうだ)
しばらく忙しくしていたダンも、ようやく気持ちが固まったのだろう。シュウクとは公私共によき相棒になっているようだ。
(ここなら王都の目も届かない。だからこそ、僕たちにとっては都合がいい安寧の地なんだ)
それにしてもと、仲睦まじい護衛側近と侍従に視線を向ける。
何かあったのか、やや上目遣いで話しているシュウクにダンの眉毛は下がりっぱなしだ。ダンのほうが十歳以上年長のはずだが、どうも力関係は逆らしい。以前「尻に敷かれたままでもかまわないから」とは言ったが、まさかそのとおりになるとは思ってもみなかった。
それでもにこやかに笑っている二人は幸せそうで、二人を見るキライトがうれしそうにしていることがミティアスにとっては何よりだった。
「あとは両国がどうなるかだけど」
タータイヤ王国に課せられている咎も、いずれは許されるだろうとミティアスは考えている。王宮が何を考えていようとも、人質としてやって来たメイリヤ姫をミティアスが伴侶として認めている以上、咎だと言い続けるのは難しい。エンカ領主の正妃という立場になったいま、人質という立場は国内的にもよくない。
父が国王でいる限り両国の関係が大きく変わる可能性は低く、兄が次の国王になってもそれは変わらないだろう。上の兄が戦争嫌いだということは周知の事実で、下の兄もエンカの平和を願っていると先日届いた母からの手紙に書かれていた。
姉たちの嫁ぎ先である次期将軍と政務を司る御三家筆頭も、戦争には反対している。宰相の周りにいる貴族たちの動向には目を光らせておいたほうがよさそうだが、そこは父王や兄たちが抜かりなくやっているはずだ。
(そもそも、この地を騒がせるようなことがあるなら排除すればいいだけのことだし)
そのためなら面倒なことに首を突っ込むことも
とりあえず現状はミティアスが思い描いたとおりになった。エンカの地ならキライトが本来の姿を隠す必要もない。いずれは領主の座を譲ってエンカを出ることになるだろうが、いまから準備しておけばよい終の棲家を見つけるのは難しくないだろう。
「この先のことはわからなくても、しばらくは平和ってことかな」
「どうかしましたか?」
ミティアスのつぶやきに、美しくも稀有な瞳がじっと見つめてきた。この瞳と穏やかな生活を守るためなら自分は本当に何でもできそうだ。そんなことを思いながら、ミティアスは愛しい人に優しく微笑みかけた。
「いえ、なんでもないですよ。さて、今日はどこを散歩しましょうか」
「このあいだ行った、噴水のところがいいです」
そう答えるキライトの頬はうっすらと赤らんでいて、目眩がするほど愛らしい。伴侶になり少しずつ変化していたキライトは、エンカに来てからますます健やかになった。もはや出会った頃の人形のような姿を思い出せなくなるほどだ。
それは体付きだけでなく表情にも言えることで、生き生きとした様子は大人の色香さえまといつつある。まるで膨らんだ蕾が一気に花開いたような姿は、ますますミティアスを虜にしていた。
「こうなると、たしかに閉じ込めておきたくはなるかな」
ミティアスは“
「何かを閉じ込めるんですか?」
「殿下がどこかに行ってしまわないかと、たまに心配になるのです」
「わたしが、ですか?」
「もっと遠くが見てみたいと、僕の手から飛び立ってしまうのではないかとね」
正直に答えたミティアスを、キライトがじっと見つめている。紫色と淡い碧色の瞳が、陽の光に照らされてキラキラと瞬くように輝いている。稀有な瞳は“
そんな瞳に見惚れていたミティアスの右手を、小振りな手がキュッと握りしめた。
「わたしは、ミティアス様のそばにずっといたいです。どこかに行きたくなったとしても、ミティアス様と一緒に行きたいです」
右手を握る華奢な両手に、少しだけ力が込もる。随分と流暢に話せるようになったキライトの言葉がミティアスの心をじんわりと温かくした。思わず抱きしめてキスをしそうになるのを押し留め、優しく微笑みながらキライトの手を握り返す。
「そうですね。僕も殿下となら、どこへだって一緒に行きたいと思っていますよ」
喜ぶようにふわりと微笑んだキライトはとても愛らしく、ミティアスは我慢することを諦めて頬にそっと口づけた。
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