第15話 篭の中の愛しい人・終

 エンカ城に到着してから二月ふたつき後、ミティアスは正式にエンカの領主となり、キライトはメイリヤ姫として領主の正妃となった。領主となったミティアスが最初に行ったのは、先の領主の孫であり両親を事故で失った赤児を次の領主に定めることだった。

 領主になってから、ミティアスの元には宰相から新たな伴侶を得るようにという手紙が何通も届いた。そのうち名家のご令嬢の一覧までが届くようになったが、すべて丁重かつ速やかに断っている。それでも届く宰相からの書状は百通を超え、三月みつきほど経ってようやく届かなくなった。


「ようやく諦めてくれたかな」


 やれやれとため息をついたミティアスは、婚姻に関する書状のすべてを執務室の燈火ランプで燃やした。


(ダンたちも丸く収まったようだし、やっとのんびりできそうだ)


 しばらく忙しくしていたダンも、ようやく気持ちが固まったのだろう。シュウクとは公私共によき相棒になっているようだ。


(ここなら王都の目も届かない。だからこそ、僕たちにとっては都合がいい安寧の地なんだ)


 それにしてもと、仲睦まじい護衛側近と侍従に視線を向ける。

 何かあったのか、やや上目遣いで話しているシュウクにダンの眉毛は下がりっぱなしになっている。ダンのほうが十歳以上年長のはずだが、どうも力関係は逆らしい。以前「尻に敷かれたままでもかまわないから」とは言ったものの、まさかそのとおりになるとは思ってもみなかった。

「あのダンがね」と、つい笑いそうになるが、幸せそうな二人を見るのはうれしい。なによりキライトがうれしそうに二人を見ているのがミティアスにとっては内よりだった。


(殿下の笑顔のためにもタータイヤ王国の様子は探り続けたほうがいいな)


 諜報員を使って調べた結果、タータイヤ王家でいくつか揉め事が起きていると聞いている。いまの国王に不満を抱く王族も多数いるらしい。内紛が起きる可能性は低いものの、注視しておく必要はあるだろう。

 そのためダンに命じて国境に新たな警備兵を置くことにした。父王が与り知らないミティアス直属の部隊だ。タータイヤ王国にはダン直属の新しい諜報員も送り込んでいる。


(いまのところタータイヤ王国に危ない動きはない。ここままなら直に課せられた罰も許されるだろう)


 宰相が何を考えていようとも、人質としてやって来たメイリヤ姫をミティアスが伴侶として認めている以上、罰だと言い続けるのは難しい。エンカ領主の正妃という立場になったいま人質だと言い張るのは国内的にもよくない。

 父が国王である限り両国の関係が大きく変わる可能性は低く、兄が次の国王になってもそれは変わらないだろう。上の兄が戦争嫌いだということは周知の事実で、下の兄もエンカの平和を願っていると先日届いた母からの手紙に書かれていた。

 姉たちの嫁ぎ先である次期将軍と政務を司る御三家筆頭も、戦争には反対している。宰相の周りにいる貴族たちの動向には目を光らせておいたほうがよさそうだが、そこは父王や兄たちが抜かりなくやっているはずだ。


(そもそも、この地を騒がせるようなことがあるなら先に排除すればいいだけのことだし)


 そのためなら面倒なことに首を突っ込むこともいとわない。末王子としての地位や権力を使うことだってしよう。ミティアスは改めてそう決意した。

 とりあえず現状はミティアスが思い描いたとおりになっている。いずれは領主の座を譲ってエンカを出ることになるだろうが、いまから準備しておけばよい終の棲家を見つけるのは難しくないだろう。


「この先のことはわからなくても、しばらくは平和ってことかな」

「どうかしましたか?」


 ミティアスのつぶやきに、美しくも稀有な瞳がじっと視線を向ける。この瞳と穏やかな生活を守るためなら自分は本当に何でもできそうだ。そんなことを思いながら、ミティアスは愛しい人に優しく微笑みかけた。


「なんでもないですよ。さて、今日はどこを散歩しましょうか」

「このあいだ行った、噴水のところがいいです」


 そう答えるキライトの頬はうっすらと赤らんでいて、目眩がするほど愛らしかった。伴侶になり少しずつ変化していたキライトは、エンカに来てからますます健やかになっている。もはや出会った頃の人形のような姿を思い出せなくなるほどだ。

 それは体付きだけでなく表情にも言えることで、生き生きとした様子は大人の色香さえまといつつある。まるで膨らんだ蕾が一気に花開いたような姿は、ますますミティアスを虜にしていた。


「こうなると、たしかに閉じ込めておきたくはなるかな」


 ミティアスは“捕リ篭とりかご”と呼ばれていた部屋のことを思い出した。キライトが軟禁されていた頃は考えもしなかったが、いまのキライトを見るとあの部屋を作った過去の王の行いが理解できるような気がしてくる。


「何かを閉じ込めるんですか?」

「殿下がどこかに行ってしまわないかと、たまに心配になるのです」

「わたしが、ですか?」

「もっと遠くが見てみたいと、僕の手から飛び立ってしまうのではないかとね」


 正直に答えたミティアスをキライトがじっと見つめる。紫色と淡い碧色の瞳が、陽の光に照らされてキラキラと瞬くように輝いた。稀有な瞳は“捕リ篭とりかご”でミティアスが想像していたよりもずっと美しく、まさに“魔性の目”といった具合だ。「いや、天上の宝石かな」と見惚れるミティアスの右手を、小振りな手がキュッと握りしめる。


「わたしは、ミティアス様のそばにずっといたいです。どこかに行きたくなったとしても、ミティアス様と一緒に行きたいです」


 右手を握る華奢な両手に力が込もる。随分と流暢に話せるようになったキライトの言葉がミティアスの心をじんわりと温かくした。思わず抱きしめてキスをしそうになるのを押し留め、優しく微笑みながらキライトの手を握り返す。


「そうですね。僕も殿下となら、どこへだって一緒に行きたいと思っていますよ」


 喜ぶようにふわりと微笑んだキライトはとても愛らしく、ミティアスは我慢することを諦めて頬にそっと口づけた。

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