第13話 ミティアスの思惑

 ミティアスがキライトの寝室から出て来たのは翌朝になってからだった。キライトはベッドから出ることができなくなり、待ち構えていたダンが状況を察してニヤリと笑う。


「初めての閨で起き上がれないほど求めるとは、殿下らしいですね」

「それ以上言うな。僕も反省はしてるんだ」

「おや、殿下が反省とは珍しい」

「僕だって反省するときはするよ。……まぁ、いままではほとんどしたことがなかったけどな」

「殿下もようやく大人になられたということですね」


 ダンの発言にムッとしたものの返す言葉がない。これ以上ダンと話をしてもからかわれるだけだと視線を逸らすと、静かに花茶の用意をしているシュウクが目に入った。いつもと雰囲気が違って見えるのは自分のせいに違いない。

 昨日のやり取りを思い出したミティアスは、愚かだった自分に気まずさを覚えた。シュウクのほうも自分とは顔を合わせたくないだろう。そう考え“捕リ篭とりかご”を出て行こうとしたが、それを遮るように声をかけたのはシュウクだった。


「昨日は出過ぎたことを申しました。いかような処分もお受けいたします」

「いや、間違ったことは言ってないし、謝らなくていい」

「いいえ、主人あるじの伴侶たる御方とはいえ、主国アンダリアズ王国の王子殿下に申し上げるべき言葉ではございませんでした」


 シュウクが深々と頭を下げる。ミティアスは少し考えてから、美しき侍従に頭を上げるように告げた。


「もしかしてキライト殿下の体のこと、知ってた?」

「……はい。ミティアス殿下のお話をされるとき、体が疼く、といったことをおっしゃられておりましたので」

「きみ、一応殿下の侍従なんだよね?」

「キライト殿下が望まれることであれば、どんなことでも叶えて差し上げたいと思っております」

「なるほど。侍従殿の主人への思いには感服するよ」

「身に余るお言葉でございます。……それに、必ず良きように導いてくださると信じておりましたから」


 美しい顔に策士めいた色を見たミティアスは「やられたな」と思った。どうやら確実に確実に落とされるための挑発に乗ってしまったらしい。


(かなり強引だとは思うけど、それだけシュウクも必死だったってことか)


 必死になる理由は想像できた。王の末子であるミティアスは、この先子を残すためにほかの伴侶を娶る可能性が高い。ミティアス自身にその意思はなく、このことは側近であるダンも知っているが、それでもシュウクは不安に感じたのだろう。もしミティアスに新しい伴侶ができれば、ミティアスを好きになったキライトの心はどうなってしまうのか……。

 感情を取り戻しつつある心は、悲しみのあまり再び凍りついてしまうだろう。それどころかミティアスを失ってしまったと考え、今度こそ本当に人形同然になりかねない。いまのような表情も感情も二度と取り戻せなくなる――そう考えたシュウクはキライトの望みを叶え、同時にミティアスの背中を一気に押すことにしたのだ。


(それだけ僕に期待しているということでもあるのだろうな)


 キライトをそばに置くためならミティアスは何でもする。事実、これまでも周囲に悟られないようにあちこちに手を回していた。身も心も結ばれたいま、必ず成し遂げてみせると固く決意もしている。


(ダンも一枚噛んでいそうだけど、まぁいいか)


 結果的に一気に前進できたのだから文句はない。


「シュウクのおかげで本当の伴侶になれたわけだし、僕にとっては願ったり叶ったりだ」

「殿下の広いお心、ありがたく存じます」


 ここまできたら、あとは最後の詰めだけだ。


「僕はキライト殿下以外を伴侶に迎える気はない。キライト殿下を奪われるのも許容できない。だから、そろそろ計画を実行しようと思う」


 そう宣言したミティアスは、用意された花茶をグッと飲み干した。ふわりと甘い香りにわずかな酸味を帯びた花茶は甘い焼き菓子にぴったりの味わいをしている。


「そういえば、シュウクが入れるお茶はいつもこれだね」

「はい。こちらはタータイヤで採れる数種類の花と葉を混ぜた特注品になります。陽を浴びる代わりのもの、と申しましょうか」

「……そうだよな」


 陽の光を浴びなければ体調を崩してしまうのは、なにも猫に限ったことではない。人も陽の光を浴びなければ病になると、以前何かの本で読んだ記憶がある。

 この花茶は長く軟禁されてきたキライトのためにシュウクが手配したものなのだろう。そうしなければならなかったキライトの過去を思い、ミティアスの眉がわずかに寄った。

 こんなものに頼らなくても、ただ窓のある部屋にいられればいつでも陽の光を浴びることができる。そうすれば紫色と淡い碧色の瞳も、もっと綺麗に輝くはずだ。


「こんな牢部屋みたいなところから、そろそろ出てもいいと思うんだよね」

「殿下、それでは」


 ダンの言葉にミティアスがこくりと頷く。


「先方からは、いつでもかまわないと返事が来たよ」

「では、準備を進めておきます」

「うん、頼む」


 心配そうな表情を浮かべる侍従に、ミティアスがにこりと微笑みかける。


「せっかく大好きな人と心身共に結ばれたわけだし、こんな窮屈なところから出ようと思っているんだ」


 そう告げたミティアスは数日後、国王の執務室をざわつかせることになる。


 その日は朝から王の執務室がいつになく騒がしかった。部屋には王とミティアスのほかに二人の兄もいる。


「本当にエンカに行くというのか?」

「はい、二の兄上。大叔母上からも返事をいただきましたし」

「いまは穏やかだが、事が起きれば難しい場所になるのはわかっているんだろうな?」

「承知の上ですよ、一の兄上。まぁ、実際に何かあったら、そのときはそのときということで」

「おまえというやつは……」

「兄上、何を言っても無駄ですよ。ミティアスは物事を自分に都合がよいか、そうでないかでしか判断しませんからね」

「相変わらず二の兄上はひどいなぁ」

「うるさい。いつもいつも心配と迷惑ばかりかけているくせに」


 下の兄の小言に肩をすくめたミティアスは、無言のまま兄弟の話を聞いている父へと視線を向けた。重厚な椅子に座る父王は、肘掛けに肘をつき手の甲に顎を乗せて静かに目を閉じている。その指にはめられた金の指輪の緑玉と紅玉が心情を物語るようにギラリと光ったように見えた。

 エンカというのはアンダリアズ王国とタータイヤ王国の国境にある領地で、ほかにも隣接する二国と国境を接している。

 その昔、岩塩が発見されたタータイヤ王国が周辺国から攻められたとき、エンカ地方は逃げ惑うタータイヤの民とそれを追う他国の兵士に侵略されたことがあった。当然、自国を守るアンダリアズ王国軍も集結し、さらには戦火から逃れようとする自国民が入り乱れ大変な戦場になったと歴史書には記されている。

 それ以来、エンカは平和と争いをたびたびくり返す地となった。直近では、百二十年ほど前に起きた小競り合いから一時は戦場へと戻り、当時の王弟が自前の軍を率いて乗り込んだことで何とか平常を取り戻すことができた。その後、エンカは王弟領として独自に統治される土地となり、その後は特別領へと姿を変えている。

 現在は先代国王の妹が守る地となっているが、エンカ領主との婚姻を反対されての家出同然の降嫁だったため王家との仲はかんばしくない。

 そういうこともあり、ここ数十年の間にエンカに足を踏み入れた王族はおらず、何をするにもまずは領主の許可が必要な独立した土地になっていた。国内外に厳しい目を向けている宰相ですら、エンカの裏側は掴めていないという。

 そういう土地に現国王の末子が伴侶をともなって出向くというのは、あまりに無謀で難しいことだった。だからこそ二人の兄は心配し、ミティアスは最良の土地だと考えた。


「大叔母上からは書面で許可をいただきましたし、大丈夫だと思いますよ?」

「……っ、これだから、おまえは王子としての自覚がないと言うんだ! あの地へ行くということは、もう二度と王都へは戻れないということなんだぞ!?」

「嫌だなぁ、二の兄上。エンカの領主であるのはたぶん二十年くらいでしょうから、役目が終わって気が向いたら戻って来ますよ。それに、里帰りしてはいけないとは大叔母上もおっしゃっていませんでしたし」

「……領主だと? おまえ、エンカへは領主として行くというのか?」

「はい、一の兄上。次の領主はまだ生まれたばかりだということで大叔母上もお困りだったようですし、僕が繋ぎの領主として手を挙げたんです」

「……おまえというやつは……」


 呆れか怒りかに震える兄二人を横目で見つつ、ミティアスはもう一度父を見た。

 大叔母からは国王へ直接書状が届いているはずで、そこにはミティアスを領主として迎える旨も書かれていたはずだ。あとは国王である父が了承すれば、ミティアスが思い描いたとおりの未来がやって来る。


(調べた限り、エンカこそが僕たちにとって最良の安寧の地なんだ)


 同じ国の中だというのに、エンカの内情はほとんどわかっていない。いや、民の数や軍の規模、税収など表向きのことはわかっている。ただ、領主となった大叔母に関することの多くがぼんやりしているのだ。

 これは意図的に隠されているに違いない。そうしてまで隠さねばならないことが、あの土地にはある。そして隠せるだけの力があの城に、大叔母上にはある――そう考えたミティアスは、ダンの同期である諜報員を使い慎重に調べ続けた。

 そうして大叔母への接触の機会を図っていたとき、予想外にも先方から手紙が届いたことで繋がりができた。


(そもそも大叔母上については、父上のほうが僕より詳しいと思うんだよな)


 父王は王太子時代に視察のためあちこちの領地を回っていた。そのときの古い公式記録を見たミティアスは、エンカに隣接する領地の滞在期間だけがやけに長いことに気づいた。詳しくは記されていなかったが、父王が何度も先のエンカ領主に面会していることも気になった。


(王家と疎遠だったエンカ領主が、何度も王太子と会うには何か理由があるはず)


 それはおそらく大叔母に関わること、しかも個人的なことに違いない。だから今回の件も大丈夫だと思ってはいるものの、静かに目を閉じている顔を見ると若干の不安がよぎる。

 気がつけば兄たちの小言も消え、執務室には静寂が広がっていた。ピンと張り詰めた空気のなか、目を開いた王の視線がミティアスへと向けられる。


「よかろう。おまえをエンカの領主に任ずる。書状のとおりメイリヤ姫をともなうことも許可する」


 父の言葉にミティアスはホッとした。「ありがとうございます、父上」と告げるミティアスとは違い、二人の兄はギョッとしたように目を見開いた。


「父上、よろしいのですか!?」

「それではミティアスを人質に出すようなものではありませんか?」

「おまえたちの心配はわかる。しかし、あの方はそのような人ではない。……そろそろエンカと王家が歩み寄ってもよい頃合いだろう」


 思い描いた未来が一気に現実へと変わる。これでキライトとの安寧の地は確保されたと、ミティアスは浮き足立つような気持ちになった。あとはさっさと旅の準備を進めるだけだ。

 まだ何か言いたそうにしている兄たちをなだめ、何かあれば手紙を書くと約束をした。下の兄は「何もなくとも手紙くらいは寄こせ」などと言い出し、まぁそのくらいの手間はかけてもいいかと頷く。そうして執務室を出て行こうとしたミティアスを呼び止めたのは意外にも父王だった。


「おまえは、わかっていてあの方に今回の件を持ちかけたのか?」

「さぁ、何のことでしょうか」


 微笑むミティアスに父王が目を細める。


「おまえが一番食えぬ奴に育ったな」

「お褒めていただき光栄です、父上」


 ミティアスの返事に父王がわずかに口元を緩めた。


(そういえば、兄弟三人の中で僕が一番父上に似ていると言われていたっけ)


 容姿も色男振りも、若かりし頃の父王にそっくりだと言ったのはダンの母親だ。王太子時代には、それこそ何人もの恋人がいたのだと懐かしそうな目で話すこともあった。


(そんな父上の過去のおかげで今回はうまくいったんだろうから、エンカでは領主らしくしないとな)


 せめて心配をかけないことが孝行だろう。エンカと王家の橋渡しを求められれば骨を折るのもやぶさかではない。そんなことを考えつつ、ミティアスは愛しい人が待つ“捕リ篭とりかご”へと向かった。

 それから二月ふたつき後、ミティアスとキライトはダンとシュウクのみをともなってエンカの地へと旅立った。

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