【改稿】篭の中の愛しい人

朏猫(ミカヅキネコ)

第1話 新しい人質

 主国アンダリアズは、三十年ごとに隷属国タータイヤから人質を迎える――それは古くから延々と続く取り決めであり、どちらの国も疑問を抱くことのない普遍のことだった。


 はじまりは四百年近く昔、歴史書でしか知るすべのない古い時代にまで遡る。

 タータイヤは平地が少なく岩山ばかりの国で、経済力にも戦力にも乏しく、周囲の国々から狙われることすらない弱小の国だった。ところが厄介ものとばかり思われていた岩山から上質な岩塩が取れることがわかり、状況が一変する。

 タータイヤ王国を含む近隣諸国は海に隣接しない内陸にあった。これらの国々にとって海で採れる塩は金銀や宝石に勝るとも劣らない貴重なもので、多くの国が大金を使い時間をかけて手に入れてきた。ところが、すぐそばに岩塩を豊富に持つ国が見つかったのだ。

 そのことを知った周辺諸国は、すぐさま岩塩を求めて動き出した。力を持たない弱小国に圧倒的な武力を持って侵略しようとしたのだ。突然の出来事に、タータイヤ王国が騒然となったのは言うまでもない。

 為すすべを持たなかったタータイヤ王家は、王の末の姫が嫁いでいた大国アンダリアズに救いの手を求めた。


 ――タータイヤが侵略されれば、隣接するアンダリアズ王国にとっても由々しき事態になるだろう。助けてくれるのなら、優先して岩塩を届けることを誓う――。


 タータイヤ王国の申し出に、大国アンダリアズは大軍を持って応えた。

 こうしてタータイヤ王国は国を守ることができたが、同時にアンダリアズ王国に隷属することになった。

 その後、両国の間で以下の取り決めが正式に交わされることになった。


 一、タータイヤ王国は毎年決められた量の岩塩をアンダリアズ王国に献上すること

 二、タータイヤ王国はアンダリアズ王国の求めに応じ、労働力を提供すること

 三、揺るぎない両国の絆の証として三十年に一度、タータイヤ王国は王の血筋を一人アンダリアズ王国に差し出すこと

 四、以上の取り決めが滞りなく行われている間、アンダリアズ王国はタータイヤ王国を庇護すること


 取り決めが交わされてから三百年余り、主国と隷属国の関係は変わることなく続き、枯れることのない岩塩と人質が差し出され続けてきた。そうして先の人質からちょうど三十年が経ったこの日、新たな人質がアンダリアズへと送り届けられた。


  * *


「これは我が国への侮辱ではありませんか!?」

「このような態度で王族とは、信じられませんな」

「見るからに貧相そのもの。落ちぶれた貴族ですらこれほどではありませんぞ」

「もしや、厄介払いに使われたのでは?」


 新たな人質を迎えたアンダリアズ王宮の大広間には罵声が飛び交っていた。主要な王族や貴族たちが嫌悪と侮蔑の視線を向けているのは、今し方到着したばかりの人質であるタータイヤ王国の王女――であるはずの人物だった。

 煌びやかな衣装を身にまとった人々が取り囲む中央には、ひときわ小柄な女性がポツンと立っている。肩にかかる髪はくすんだ灰色で艶がなく、手入れが行き届いているようには見えない。それなりの衣装を身に着けてはいるものの、中途半端な長さの袖や余った生地ごと締められた腰回りを見れば、大きさが合っていないのは明らかだ。とくに衣装からのぞく首や手はひどく痩せていて、枯れ木を連想させるほどだった。

 ベールで隠れている顔まではうかがい知れないが、主国の王を前に名前を名乗って一度頭を下げただけで、その後は突っ立ったままでいる。声を発することもなく、決して小さくない周囲の罵る声に反応することもない。

 まるで人形のような様子に、周囲の者たちは次第に口を閉じていった。不可解な姫の態度に眉をひそめ、訝しげな顔をする者も現れる。

 そのとき、大広間の扉がガチャリと音を立てて開かれた。


「僕の奥方様が到着したって?」


 不自然なまでの静寂に包まれた大広間に、華やかな男の声が響く。


「ミティアス、なぜ遅れた? おまえには王子としての自覚がないのか?」

「あぁ、一の兄上、すみません。ちょっと野暮用があって」

「言うだけ無駄ですよ、兄上。ミティアスの場合は王子以前の問題ですから」

「相変わらず二の兄上はひどいなぁ」


 兄弟たちの会話を視線だけで止めたのは、王妹の夫であり兄弟たちの叔父でもある宰相だった。上段に立つ二人の兄はグッと唇を閉じ、同じように宰相に睨まれたはずの末弟は微笑みながらゆったりと大広間を横切っていく。

 再び静まり返ったところで、玉座に座る王が口を開いた。


「そこにいるメイリヤ姫が新たな人質だ」

「人質って……。まぁ、間違いじゃないけど」


 立場的には人質ではあるものの、その呼び方は随分前に使われなくなっている。というのも、隷属の証であった人質は長い年月を経て王族の伴侶という形に変化していたからだ。

 そのため表向きは人質ではない。タータイヤ王の息女がやって来るということで、今回はアンダリアズ国王の末子ミティアスが伴侶として迎えることになっていた。

 歩みを止めたミティアスは、貴族たちの輪の中心に立つ姫を見る。


(なるほど。これはたしかに人質っぽいな)


 そう思いながらも内心は「どちらでもかまわないけど」と思っていた。

 人質でも伴侶でもミティアスにとっては大差ない。伴侶という席を埋めてくれる存在であれば御の字というだけで、正式な伴侶として扱う必要がないからだ。


(子どもを作るなってことだけど、元々その気もないしね)


 人質が伴侶という立場に変わったとき、アンダリアズ王家ではある決まりが作られた。内容はただ一つ、子を作ってはならないということ。決まりがあるためか、これまで人質としてやって来たタータイヤ王族との間に子が生まれたことは一度もない。

 隷属国の血を引く王族が生まれることは、主国であるアンダリアズ王国の望みではなかった。主国はあくまで主人であり、隷属国は永遠に隷属するもの――その形を変える恐れのある存在は生まれてはならないのだ。

 そのため人質は王族の伴侶という立場になっても、伴侶としての役割を求められることはなかった。その証拠に、多くの人質は同性の王族とめあわせられてきた。そういう意味では人質と呼ばれていた頃と変わらないのかもしれないが、ほとんどの人質は伴侶として丁重に扱われ、死後は王族の伴侶として王家の墓地に手厚く葬られている。

 今回の人質も過去の人質たちと同じ運命をたどるはずだった。子を生むことはできないが、王子の伴侶として一生を静かに過ごすはずだった。

 ところが、やって来たのは王族とは思えない何とも奇妙な姫だった。これでは人質としての役目を果たせるのかさえ疑わしい。


「君がメイリヤ姫?」


 ミティアスの声が聞こえていないのか、姫の体はピクリとも動かない。何か答えるわけでもなく、ただじっと突っ立っている。

 訝しむミティアスをよそに、再び広間がざわつき始めた。


「陛下、やはりたばかられたのではありませんか?」

「このような娘が王女など、到底信じられません」

「主国を侮辱するとは、何を考えているのか……!」

「タータイヤへ抗議の兵を送るべきです!」


 姫への言葉はいつしかタータイヤ王国への罵声へと代わり、多くの貴族たちが兵を送るべきだと口々に訴え始めた。

 そんな物騒な雰囲気を気に留めることなく姫に近づいたミティアスは、黒いベールをわずかにめくって中を覗き込んだ。その様子に貴族たちは驚き、ミティアスの兄たちや宰相でさえ咄嗟に言葉が出なかった。

 それもそのはずで、アンダリアズ王国では未婚女性のベールをめくるのは大変な無作法とされている。それを地位のある者がやるなど普通ではあり得ない。


「……へぇ」


 珍しいものへの感嘆なのか意外なものへの感想なのか、ミティアスの口からわずかな声が漏れる。


「父上……っと、陛下、予定どおり姫は僕の伴侶でかまいませんか?」


 予想外の言葉に、広間は再びしんと静まり返った。少し考えるような様子を見せた王は、自由気ままに振る舞う息子を見据え、口を開く。


「おまえがそれで良いというなら、かまわん。ただし、人質は“捕リ篭とりかご”に入れる。よいな」

「はい、かまいません」


 華やかな笑顔を残し、ミティアスはやせ細った姫の手を引いて広間をあとにした。

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