三小節目

 高校二年の冬。先生が廊下で倒れているのを発見した俺は、彼女を保健室へ連れて行った。養護教諭が席を外した数分後、先生が目を覚ました。

「先生。気分はどうですか?」

 彼女は蒼白い顔で、俺の顔をじっと見た。

「先生?」

「〆野君。私ね、あと半年で死ぬの」

 一瞬、彼女の言葉が理解できなかった。

「半年って、今まで元気だったのに?」

「自分でも驚いているんだけど、そうみたい。だからね、〆野君にはちゃんと伝えておこうと思って」

「そんな・・・・・・」

 あと半年で、先生が死ぬ。頭の中が「嫌だ」という単語で埋め尽くされた。

「〆野君。今までありがとう。短い間だったけど、あなたと過ごせて嬉しかった」

「やめてください。もう二度と会えないみたいじゃないですか」

 先生は何も言わずに、俺の手を握った。それが何を意味しているのか、痛いほど分かってしまった。

「嫌です、そんなの。だって、俺はまだ・・・・・・」

 あなたに何も返せていない。そう言いかけた時、祖父から教えてもらった秘術を思い出した。

『冬樹。この術のことは決して誰にも話すな。もう二度と使うなよ』

 ごめん、と心の中で祖父に謝ってから、俺は口を開いた。

「先生。先生が死んだ後、数日間だけ俺の身体を貸しますよ」

 俺が真面目な顔でそう言うと、先生はやや驚いた顔で俺を見た。

「嘘じゃありません。俺の祖父も、同じことが出来ますから」

「〆野君は、今まで誰かに身体を貸したことがあるの?」

「あります。最初に身体を貸したのは祖母でした。祖父に試しにやってみろと言われて術を使ったんですが、意識が戻った後で散々文句を言われました」

「どうして?」

「祖母に思いきり殴られたそうです。入れ歯が遠くまで吹っ飛んで、しばらく何も食べられなかったと言っていました」

 先生は小さく吹き出すと、ツボに入ったのか、涙目を浮かべて笑っていた。

「先生も、俺の身体を借りてみる気になりましたか?」

「ありがとう。でも、遠慮しておくわ」

「なぜですか?」

「私があなたの身体を借りている間に事故に遭うかもしれない」

「大丈夫ですよ。俺、見た目よりも頑丈なので」

「私があなたの身体を借りている間に悪事を働くかもしれないわよ」

「いいですよ。先生になら、何をされても構わない」

 すっと、先生の指先が俺の唇に触れた。

「〆野君。あなたは、もっと自分の身体を大事にしなさい」

「でも・・・・・・」

「返事は?」

「・・・・・・はい」

 俺が頷くと、彼女はいつもの優しい笑みを浮かべた。

「〆野君。元気でね」

 彼女の言葉に、喉の奥がきゅうと熱くなった。

 俺は椅子から立ち上がると、養護教諭と入れ替わるようにして保健室を出た。

 先生を学校で見たのは、それが最後だった。


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