五小節目

 真冬が倒れてから数日が経った。

 真冬に身体を貸してくれた男の名前は、〆野冬樹と言うらしい。看護師がその名前で彼を呼ぶのを聞いてはじめて、彼の名前を知った。

「真冬。お前はもう戻ってこないのか」

 元々色白の肌をしていたが、いまは蒼白く、まるで死体のようだった。

「今日、会社から電話があって、明日から仕事に戻ることになった。遅くなると思うけど、明日も必ず会いに来るから」

 病室を出ようとしたその時だった。扉がガラリと開き、ひとりの女性が部屋に入ってきた。

 胸元が大きく開いたシャツに短いタイトスカートを履いた女は、俺を見るなり、「あんた、誰?」と尋ねてきた。彼女がベッドに横たわっている男の関係者だと察した俺は、彼が道で倒れているところを保護したのだと嘘をついた。

「失礼ですが、あなたは?」

「こいつの母親」

 女はハイヒールを鳴らしながら病室を闊歩すると、真冬が寝ているベッドの上にカバンを置いた。

「なんだ、元気そうじゃない。来て損した」

 彼女の言動に、危うく理性を失いそうになった。ここが病院じゃなかったら、彼女を思い切り殴っていたかもしれない。

「彼が心配ではないんですか?」

「別に、あんたには関係ないでしょ」

 彼女の素っ気ない態度に、俺は驚きを隠せなかった。他人の家庭事情に首を突っ込むつもりはないが、流石に彼が可哀想だと思った。

 俺はカバンから名刺を抜き取ると、それを彼女に差し出した。

「すみません。もしも俺がいない間に彼が目を覚ましたら、この番号に連絡していただけないでしょうか?」

「はあ?どうして、あんたにそこまでしないといけないのよ」

 女は眉間に皺を寄せ、不快感をあらわにした。だが、ここで引いてしまっては絶対に後悔すると思った。

「俺は道で彼を助けただけですが、彼のことがどうにも心配で、夜も眠れないんです。この名刺は処分してもらって構いませんから、どうかお願いします」

 深く頭を下げて頼みこむと、女は舌打ちしながら名刺を受け取り、そのまま病室を出て行った。

「ああ、怖かった。お前の母親、おっかないな」

 ため息交じりにそう言うと、ベッドで眠っている彼が微かに笑ったような気がした。

 

 翌日。仕事帰りに病院へ行くと、真冬が寝ていたベッドが空になっていた。近くを通りかかった看護師に尋ねると、今朝意識が戻って退院したと言った。それ以上のことは個人情報だからと言われ、なくなく病院を後にした。それから数か月が経ったが、母親からの連絡は一切なく、真冬との接点は完全に失われてしまった。

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