四小節目
向日葵畑から家に帰る頃には、疲れがピークに達していた。
「無理させてごめんね」
「気にするな。俺がしたくてしているんだから」
「ありがとう。ハルちゃんは、やっぱり優しいね」
まただ。また、真冬の身体が二重に見えた。
俺はソファにダイブしたい気持ちを堪え、再び玄関へと向かった。
「どこに行くの?」
「夕飯を買いに近所のスーパーまで。すぐ帰ってくるから、お前はここにいろ」
「分かった。いってらっしゃい」
「行ってきます」
ひとりになった後、俺ははあと深いため息をついた。
『ハルちゃんにもう一度会うために、少しの間だけ、この子に身体を譲ってもらったの』
少しの間とは、いつまでを指すのだろう。昨日から始まったとして、今日か明日、長くても明後日までが限度だろうか。真冬を失いたくないが、俺には真冬をこの世に引き留める力はない。だから、俺は、いま自分に出来ることをするだけだ。
「よしっ」
気合を入れ直し、俺はスーパーへと向かった。
家に帰ると、ピアノの音が聞こえた。
ピアノを置いている部屋を開けると、真冬がピアノを演奏していた。
「ただいま」
真冬は俺に気づくと、ピアノから手を離した。
「おかえりなさい。買いたいものは買えた?」
「買えたよ。それよりも、さっきの曲はなんていう曲なんだ?」
「愛する我が子へ」
真冬はそう言って、譜面台に置かれた楽譜を愛おしそうに撫でた。
「この曲は、私の父が作った曲なの。世界にたったひとつだけの曲。最後にもう一度、弾けてよかった」
真冬の寂しそうな横顔に、胸が締め付けられた。
「あのさ、スーパーでスイカを買ってきたんだけど、一緒にスイカ割りするか?」
スーパーの袋から大きなスイカを取り出すと、真冬の顔がぱあっと明るくなった。
「ついでに花火も買ってきたから、近くにある川辺へ行こう」
「うん、うん!行こう。行きたい!」
無邪気にはしゃぐ彼女の姿に、俺までつられて嬉しくなった。
川辺に着く頃には、辺りは真っ暗になっていた。地面にブルーシートを敷き、その上にスイカを置いた。交互に棒でスイカを叩きあい、十回目にしてようやく大破したスイカを、家から持って来た白い器に盛りつけた。
「夏だね」
「夏だな」
静かに流れる川を見ながら、スイカを食べた。
「ハルちゃん、今日はありがとう。スイカ割りも線香花火もはじめての経験だから、すごく嬉しい」
「そうなのか?」
「昔から興味はあったんだけど、素直に言葉に出来なくて。今さらだけど、もっと自分の気持ちを大事にすればよかったな」
柊木真冬は、中学の頃に両親を交通事故で亡くして以来、叔父の家で育てられた。音大を卒業しているぐらいだから、決して貧乏な家庭ではなかったはずだが、事情が事情なだけに、我慢することも多かったのだろう。
「初めてならなおさら、楽しんでもらわないといけないな」
ビニール袋から線香花火のセットを取り出し、その内の一本を真冬に渡した。最初は緊張の表情を見せていたが、火に慣れてくると、次から次へと花火に火をつけては子供のようにはしゃいでいた。
「これで、いよいよラストだな」
「ねえ、最後にどちらが長く灯せるか勝負しない?負けた方が、相手のお願い事をひとつ聞く」
「いいね。その勝負、受けて立つ」
それぞれの線香花火に火が灯り、二つの火花がパチパチと爆ぜた。
向日葵畑に行って、スイカを食べて、花火をする。病室で真冬が言った夢の話は、そこで終わりだ。花火が落ちるまでに次のお願いを聞かなければ、真冬が消えてしまうような気がした。
「まふ・・・・・・」
「ハルちゃん」
真冬の唇が、俺の頬に触れた。
「幸せになってね」
二つの火花が同時に燃え尽きた後、真冬の身体がぐらりと傾いた。
「真冬!!」
その後、何度呼びかけても、彼女が目を覚ますことはなかった。
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